ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島 旗伝説 

2012年10月02日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今朝は、お坊さんから「勤行聖典」を頂戴しました。

まことに御恩報謝の気持ちです。

テレビを見ていると、石川県能登半島輪島市内のとある集落を映していました。

100人ほどの小さな集落ですが、5つもお寺があるようです!

お寺で、寺カフェ、寺ヨガをしているなど地域興しも盛んです。

能登半島・・地域色の強いイメージがあります。

昨日、10月1日は、日本酒の日、コーヒーの日でもありました。

白と黒の色を楽しみました。

さて、わが百島の地域色に関して。

以前、「旗色掌」で、小生の個人的な考えを書いてみました。

ちょっと、繰り返して書いています。

平家の旗の色は、赤に近い桃色です。

一方の源氏の旗の色は、白色です。

嘉吉の乱後、百島に赤松一族が逃れてきました。

赤松一族は、八幡宮に連なる清和源氏一門の流れを汲む白旗を錦としています。

赤松家の居城は、播州播磨の「白旗城」です。

赤松一族が祀っていたのは「白旗八幡宮」「白旗観音」であります。

さて、平家一門は、瀬戸内海を制覇しており、旗の色は、桃です。

百島の泊地区には厳島明神があります。

平家一門の氏神となる厳島神社は、毛利家一族、村上水軍まで連なるものです。

百島には、旗手(はたて)姓があります。

当時の旗は、錦の旗でもあり、誰もが触れるものではありませんでした。

旗手姓のルーツは、読み書きの出来る神官か僧侶の身分ではなかったのかと考えます。

今尚、百島にある天理教、黒住教も、旗手一族の方によって継承されています。

つまりは、百島を安住の地となるべき、当時のネゴシエイターとしての役割のような時代の貴重錦旗の担い手として、旗手(はたて)姓を名乗ったのかもしれません。

かつて、百島には、桃源郷のような里に、桃の花が多く咲いていたかもしれません。

だから、かつては、桃島だったのでしょう・・きっと。

それでも、赤松一族の源氏旗「白色」の錦を、どこかに表飾しなればなりません。

居住地が、平家の「桃」の地名では、少々困る問題があったのかもしれません。

そこで考えたのが、平家の桃色の旗に遠慮しながらも、桃島から「白」に似た「百」を「桃」の代わりに取り入れて、百島と名付けて変更したのかもしれません。

小生の考える・・百島の旗伝説です。

♪白地に、赤く、日の丸染めて・・

源平の戦から成り立つ・・日本国旗の伝説でもあります。