ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

メイド イン 百島(Made in Momoshima)

2012年10月04日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
子供の頃、百島で一番の製造業と言えば、百島造船所でした。

あれは、30年ほど昔の2月の寒い日でした。

インターネットも無い時代です。

当時、東京に暮らしていて、故郷のニュースを知る手立てというのは、都立図書館に出向いて地方紙(中国新聞)を読むことでした。

日比谷公園内にあった都立日比谷図書館での閲覧での出来事でした。

中国新聞のトップの第一面の記事に、目が釘付けになりました。

「明治時代創立 国内でも老舗名門 百島造船所 倒産」という文字が躍っていました。

・・ショックでした。

二つ年上の先輩、剛ちゃんが、百島造船所の跡取りでした。

どうしているのだろう?

当時の時代世相は、とまりれんさんの作詞作曲した演歌「氷雨」が、ヒットしていた頃でした。

百島には、日本総理大臣賞?を授賞した醤油屋さんもありました。

百島での塩作りも、昔、盛んだったようです。

郷土誌「ふるさと百島」には、具体的な塩作りの過程も紹介しています。

今は、メイド イン 百島の一番手は、「いちご」でしょうか?

今年の大学卒業者の5人に1人が、就職もしていないというのが、日本の現実です。

雇用問題も深刻です。

若者に「人生に夢を持て。自分にふさわしい仕事を持て」というのも悲しい現実です。

かと言って、稼げない起業活動もシンドイ状況になります。

ただ、金さえあれば何でもできると思ったら、大間違いです。

金があっても苦労するのが、人間です。

老若男女・・少しでも、よい仕事をしようと勤めている者にとっては、その仕事を褒められるほど嬉しいものはありません。

余生というよりも、終世までが、人生の仕事です。

最近は、田舎回帰よりも都心回帰を目指している方が多いようです。

買い物や交通が便利で、看護師さんが常駐しているような高齢者向けマンションに人気があるようです。

ご自分が選択できる住処というのは、まだまだ若い気持ちのある余裕なのかもしれません。

ほんとうに身動きがとれなくなり、寝たきりのお年寄りとなる終の棲家に、交通の不便、買い物は関係ありません。

介護する側の必要な時間と意図が、介入するだけです。

生きる力こそが、ご自分で身動きできる生命力であり、健康寿命です。

人間は生きているだけで、何かの恩恵を頂いています。

とりわけ、百島を考える、百島を思い出すことは、生きるうえで非常に大きな財産になっています。

百島で暮らした時間を、マイナスと考えると大損です。

プラスと考えると、大きな自信となります。

だって、百島での生活、百島での人間関係・・こんな人生体験は、滅多なことで、この世では出会えない貴重なものです。

先月、日本感動大賞に「百島関連二組」を投稿しました。

メイド イン 百島は、「感動」という生活、作品、商品が、今一番似合うのかもしれません。

日々、百人に感謝。

晴好雨奇

2012年10月04日 | 萬伝。
パリのルーブル美術館でレオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」を見たのは、随分昔となりました。

写真撮影禁止だったと思います。

でも、小生のアルバムには、ちゃんとカメラで撮った「モナリザ」の写真が残っているはずです。

撮ったのは、小生ではなく、華僑系の友人でした。

昔、その友人に「机の四足以外は何でも食べる民族では?」と尋ねたことがありました。

返ってきた言葉は、「中国民族は、日本人や蛇のように生卵を食べることはないよ」

そんな昔話を思い出しました。

昨日のニュースで、神奈川県葉山町と広島県府中町で、母親が、我が子(女児)を殺すという悲惨な事件が続けて起こりました。

親殺し、子殺し、伴侶殺しが起こっても、「またか・・」という、さほど驚かなくなった日本の社会です。

今日、知り合いの投資家の中国人が、言いました。

「中国では、親や子を殺すなんて、絶対にあり得ないことです」・・と!

本当かな・・?!

今日、10月4日は、投資の日です。

「貯蓄よりも投資を」という呼びかけメールも入っていました。

晴耕雨読・・晴好雨奇の日々。