ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

黙祷

2013年06月28日 | 千伝。
今日の午後0時、福井市街地で一斉にサイレンが鳴り響きました。

・・黙祷。

今から65年前(昭和23年)の今日・・福井地方は、大きな地震に襲われました。

犠牲者3800人余り、倒壊家屋3万5千戸を超えた大震災でした。

その3年前、昭和20年、福井は、米軍の空襲により市街地の95%が焦土と化しました。

やっと、戦災から復興しかけた矢先、今度は、震災に遭ったのです。

福井人の足跡を調べると・・粘り強く、凄いものです。

ほとんどの日本人が知らない・・日本の土台となる縁の下の力持ちのような印象があります。

兎も角、それは別の機会に譲るとして・・

~今日の地元福井新聞「若水越山」のコラムから~

▼二十九日早暁(そうぎょう)、通信・交通の途絶した震災地一番乗りを行った記者が、数分ごとに襲ってくる余震におびやかされつつ、子をさがし親を求める阿鼻(あび)叫喚の巷(ちまた)に三十日朝を迎えた…。
▼1948(昭和23)年6月、大阪の夕刊紙に掲載された福井地震の記事である。クレジットは【三十日朝福井にて 佐野・福田特派員発】と書かれている。
▼2人の記者のうち、福田という人こそ後に作家となった司馬遼太郎である。産経新聞京都支局の記者だった司馬は、地震が起きた28日夜のうちに急ぎ福井へと向かった。
▼「新聞記者 司馬遼太郎」(産経新聞社、文春文庫)によれば、司馬は映画館崩壊などの様子を伝え、戦後の復興建築の大半が手抜き工事であることをいち早く指摘したという。
▼20代半ばの司馬が惨状を目にした福井地震からきょうで65年になる。マグニチュード7・1の直下型地震で、死者行方不明者3800人余り、倒壊家屋3万5千戸を超えた。
▼地震国日本で長く戦後最大と位置づけられたが、最近では1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災と福井をしのぐ大地震が続発している。
▼さらには最大34万人以上の犠牲者が予想される南海トラフ巨大地震も想定されている。われわれは福井震災から阪神、東日本大震災と悲惨な歴史を記憶にとどめている。日々の備えをいま一度確認したい日である。

合掌。

ムムム都会

2013年06月28日 | 千伝。
ちょっと気になったコラムな言葉。

~今日の日本経済新聞「春秋コラム」から~
好きな食べ物は何? 都会の子供たちにそう聞くと、ハンバーグやカレーライスなど料理の名前が返ってくる。ところが身近に生鮮品が採れる地方は違う。北海道の小学校で尋ねるとトウモロコシ、ジャガイモ、アスパラガスと、料理ではなく野菜の名が次々とあがる。
▼調理して味つけする前の、おいしい野菜の味を知っているからだろう。先入観がない子供の舌は正直である。畑でもぎ取ったナスやカボチャをそのまま食べる機会は、都会人にはめったにない。夏の太陽を浴びて自然に育った作物はいまが収穫の本番。料理せず生で食べたくなるような甘い夏野菜は、どこで出会えるのか。
▼香川県に「ムムム農場」という一風変わった農園がある。有機栽培のさらに上をゆき、化学肥料、農薬、畜産廃棄物を使わない。3つの無だからこんな名がついた。化学物質が染み込んでいない耕作放棄地を借り、刈り取った雑草から堆肥をつくる。手間がかかるので値段は2倍近いが、その豊かな野菜の味に誰もが驚く。
▼経営者は土建会社の社長と日銀の元高松支店長の異色コンビである。農家ではない新規参入だから、放棄地や雑草を宝の山に変える大胆な農法が生まれたのだろう。都市部を中心にどんどん売れるというから、安心で高品質な農産物に需要があるのは間違いない。貿易自由化の嵐の中で、たくましく実る日本の農業もある。


地方に暮らす人ならば、ちょっと思うこと、ちょっと感じることが理解できるかもしれません。

ナマズのような感覚なのかもしれませんが、「東京方面に、気持ちと足が向かない」のです。

何だか知らないけど、大地震と出くわすような気分。

何だか知らないけど、地下鉄、地下街に潜るとモグラになったような気分。

富士山よ、爆発しないでおくれ・・と祈るような気分。

東京(関東)方面の都会に暮らす身内・友人の皆々衆へ。

いざという時、土が無い、水が無い、電気も無くなるぞ。

田舎が、いいぞ。

地方回帰だよ。