ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

養生訓

2014年09月15日 | 千伝。
江戸時代から広く愛読される「養生訓」という健康・長寿指導書があります。

現代の高齢化社会にも示唆するところ多々あります。

著したのは、貝原益軒・・個人的にも興味深い人物です。

当時としては、超高齢者であり、70歳を過ぎて著述に専念して、1713年(正徳3)、84歳にして「養生訓」を大成したものです。

若い頃は、損も美徳として、貝原損軒と名乗っていたようです。

今日は、「敬老の日」・・高齢少子化社会での「生き方」をテーマした発言も多いようです。

貝原益軒「養生訓」の一部分を下記抜粋させていただきました。

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
人の身は百年を以て期(ご)とす。
上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。
六十以上は長生なり。
世上の人を見るに、下寿をたもつ人少なく、五十以下短命なる人多し。
人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。
長命なる人すくなし。
五十なれば不夭と云て、わか死にあらず。
人の命なんぞこの如くみじかきや。
これ、皆、養生の術なければなり。
短命なるは生れ付て短きにはあらず。
十人に九人は皆みづからそこなへるなり。
ここを以て、人皆養生の術なくんばあるべからず。

ここを以て養生の術を行なひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成べきほどは弥(いよいよ)長生して、六十以上の寿域に登るべし。
古人長生の術あることをいへり。
また、「人の命は我にあり。天にあらず」ともいへれば、この術に志だにふかくば、長生をたもつこと、人力を以ていかにもなし得べき理あり。
うたがふべからず。
只気あらくして、慾をほしゐままにして、こらえず、慎なき人は、長生を得べからず。

年若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩にして短命なる人多し。
またわが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄す。
この如くにては、たとひ百年のよはひをたもつとも、楽なくして苦み多し。
長生も益なし。
いけるばかりを思ひでにすともともいひがたし。

生を養ふ道は、元気を保つを本とす。
元気をたもつ道二あり。
まづ元気を害する物を去り、また、元気を養ふべし。
元気を害する物は内慾と外邪となり。
すでに元気を害するものをさらば、飲食・動静に心を用て、元気を養ふべし。
たとへば、田をつくるが如し。
まづ苗を害する莠(はぐさ)を去て後、苗に水をそそぎ、肥をして養ふ。
養生もまたかくの如し。
まづ害を去て後、よく養ふべし。
たとへば悪を去て善を行ふがごとくなるべし。
気をそこなふことなくして、養ふことを多くす。
これ養生の要なり。
つとめ行なふべし。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

百島百歳定年

2014年09月15日 | 百伝。
長寿が、すべて幸せではないと・・誰もが知っています。

以前にも書きましたが、例え、百歳まで生きていても「きょういく」と「きょうよう」がないとねぇ!

もちろん、小生は、そんなに長生きはできません。

今日、行く場所がある。(きょういく)

今日、用事がある。(きょうよう)

今日は、敬老の日です。

100歳まで生きてゆける社会よりも、100歳まで働ける社会がいいかなぁと・・昨夜再放送していた「ガイアの夜明け」を観ながら、そんなことを想いました。

・・とある「道の駅」を紹介していました。

「しまなみ海道」の来島海峡近くにある愛媛県の「道の駅」。
平日の閑散時にも、自転車好きの方にしまなみ海道に来てもらおうという企画と営業努力。
とりわけ台湾にアピール。島の海鮮料理、来島の潮流観光・・「地域おこし」というコンセプト。

もうひとつは、山口県周南市に道の駅「ソレーネ周南」。
過疎化・高齢化という深刻な事態に、離島のお年寄りが作る農作物をわずかな量でも集荷して売ること。
さらに買い物が不便な山間部の集落のために生活に必要な商品を届ける配送サービス・・「生きがい支援」というコンセプト。

百島で、100歳まで働ける職場(遊び・憩い場)があれば、面白い提言・メッセージになるのではないかと考えました。

百島百歳定年宣言。