「いとしろ大杉」を仰いでの下山の帰り道・・足がつってしまいました。
ミニ・バイクで大正解でした。
車ならば、アクセルもブレーキも踏めないぐらいの痛みでした。
ましてや、あの狭い林道・・あっちこっちで落石注意、土砂崩れの跡があって、スリル満点でした。
それにしても、九州の湯布院や信州の高原と同じような緑と空気と水の色彩がありました。
岐阜県郡上市白鳥の山間部にある石徹白地区・・白山の麓にあり、古の時代から「神に仕える人々」の集落として、苗字も帯刀も許され、税を納めることもなかったとのことです。
人々も草木一本も神々しく映りました。
この石徹白が、近年注目を集めています。
キャッチ&リリース(C&R)という運動を始めたことから話題になりました。
「釣った魚を川に戻す」というキャンペーン運動です。
一部流域に限っていますが、その効果がみるみるうちに上がって、県外は勿論、海外からも釣り人が訪問するようになったとのことです。
百島よりも、小さな集落のように映りました。
それでも、各々家庭、石徹白の皆さんがユニークなのでしょう。
家や庭や畑を、外から見ても楽しめるような工夫をしていました。
石徹白小学校です。
校長先生の許可を得て、中庭にあった石碑の写真を一枚撮らせていただきました。
「心田開拓」という文字を刻んでいます。
もともとはお釈迦さまの話ですが、農村荒廃の根本理由は人心の荒廃にあると考えていた江戸時代の二宮金次郎の言葉です。
一度、心田を開拓しても、放っておけば次々と雑草が生える・・常に心の田を開拓しなければならないという戒めなのでしょう。
九月なのに紫陽花が咲いていた石徹白・・忘れられない場所のひとつになりました。
さて、足が引き攣ったまま、何とか帰福できました。
自撮りで、心田開拓。
無事到着・・感謝。