ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

朝日と夕日の9.11

2014年09月13日 | 百伝。
一昨日の9月11日・・日本のメディア史に残る記者会見がありました。

朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長が、東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」に関する記事を取り消すとともに、従軍慰安婦をめぐる報道での訂正の遅れを謝罪しました。

その記事というのは、5月20日付朝刊で「第1原発にいた所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し第2原発へ撤退した」と報道したものです。

ぼくは、そのショッキングな内容に、当日、わざわざコンビニまで行き朝日新聞を買って、その感想をブログにも残しています。



韓国や中国のメディアば、従軍慰安婦をめぐる報道を含めて、朝日新聞は「日本の良心」と持ち上げています。

その後、調書を入手した日本国内の複数のメディアが「命令違反はなかった」と報じたことから、朝日新聞の記事に疑義が生じました。

もし、自分が海外メディアで働いていたとします。

今の感想は、日本政府は、吉田調書だけではなく、関わる全員の調書を開示すべきでしょう。

決して、朝日新聞を援護しているわけではありません。

従軍慰安婦をめぐる朝日新聞の報道は、当時から「?」のつく記事でした。

何故、日本国内のメディアは、素早く反論しなかったのでしょう?

出征した・・多くの日本兵士のインタビュー記事を載せるべきはずでした。

水上勉先生やら「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生にも、当時の従軍慰安婦の状況や背景に関して、意見を求めればよかったのにと考えます。

昔、子どもの頃、昭和44年(1969年頃)だったかな・・百島の泊地区中小路にタバコの葉の乾燥場があって、その片隅に、戦前の書物や新聞が捨てられていました。

満州鉄道で働いて帰国された方の持ち物でした。

その中に、戦前発行していた朝日新聞も多くありました。

ヒットラー礼賛の文字や戦争を高揚する記事が沢山ありました。

それが、かつての大日本帝国家、満州国を後押ししていた天下の朝日新聞の姿です。

学生の頃・・朝日、読売、毎日、産経、日経・・日本の中心的な主流メディアでした。

今は、ぼくの同年代の皆さんが、そのメディアの大幹部として居座っています。

ただ、彼らが思い違いしてはならぬものは、全国主要紙だったメディアと地方紙のメディアのコラムの質の内容が、ほとんど変わらないレベルになっているのです。

メディア同士での競争・差別化というのは、情報の正確さです。

朝日新聞に限らず、他紙にも同じことが言えます。

いまやインターネットの個人情報から仕入れて、それをニュース解説にするのが潮流になりつつあります。

現場を足で稼ぐ・拾う記事・ニュースという報道記者・ジャーナリストの需要は少なくなりつつあります。

今年の9.11・・いつか振り返れば、新聞メディアが、テレビや週刊誌との差別化していた境界線が消えてゆく記録と記憶に残る日となるかもしれません。

日本・・とりわけ地方を発奮させるニュースが欲しい日々です。

今日が人生の最後の日だと思い、

今日が人生の一番新しい日だと願い、

・・また、明るい日は昇ります。