ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ダイムラー (1834~1900)

2019年06月09日 | 空木宝剣

梅雨空や 天が動くか 地走るか

齢と書いて、強いと呼ばず、よわいと言う。

歳には勝てないという謙虚さの表れかも知れない。

昨今、高齢者ドライバーの交通事故が目立っている。

ブレーキとアクセルの踏み間違いのような、暴走事故は悲惨である。

何故、アクセルも、ブレーキも、足に任せるのか。

人体に於いて、手先のほうが足先よりも、機敏な筈である。

ましてや、老化による衰えは、足や目から始まるにもかかわらずである。

アクセルをフットにすれば、ブレーキはハンドにて、アクセルとブレーキは分離すべきである。

車椅子の運転免許者によると「我々は改造された自動車を、手だけで操縦するから、健常者より事故は少ない」との弁。

高齢化社会。

目や運動能力の衰えによって、錯覚や勘違いを起こし、ブレーキとアクセルを迷って踏んだり、2車線を咄嗟に3車線と勘違いし、反対車線に侵入したりの間違いを起こす。

間違いはあっても、相対するものがなければ事故にならないが、過密社会では、違反や間違いは即、事故につながる。

オートマチック。

いつだったか、折衝事故を起こした車を運転していたのは、小学生だったという報道があった。

クラッチもなく簡単に運転できる自動車は、反対に、事故を起こさない複雑なセンサーを備えた鎧をまとうべきである。

盾と矛、天動説と地動説。

老人と自動車。

相対する課題は同角である。