今日は、大きな病院での定期受診。
新型ウィルスの影響のせいか、いつもより患者さんが少ないように映ります。
それでも、日本の認知症高齢者の人口が、近い将来に約1000万人を超える統計数値があります。
さっき、院内での受診待ち時に「久しぶり」と声かけられたが、最後まで誰だか分かりませんでした。
僕も、記憶障害、認知症の始まりかもしれません。
認知症という言葉表現は比較的新しくて、かつては、痴呆とか、呆けとか、ボケ老人と呼ばれていました。
ボケ老人とは、会話が成り立たないから、そんな風に呼ばれたのでしょう。
療養型病院で勤務していた頃、家庭介護を経て入院する患者さんよりも、施設生活を経由した患者さんの方が、褥瘡(床ズレ)、認知症率が高いのは何故かと、ずっと疑問に思っていました。
昨年、高齢者施設に転職して、認知症の方と接すると、ある程度、認識を新たにしました。
老人は、本来は、生き方よりも、死に方を考える存在です。
高齢者を含めて、現代の風潮の流れは、デイサービスという通所は、老人の健康スポーツジム化しています。
その迎えのバスに乗るのが嫌で、幼児のように駄々をこねて通所拒否する高齢者の多さ。
一方で、施設内での生活理念は、その人らしい生活をお手伝いする優しさに包まれた生活です。
毎日三食用意され、毎朝バイタルチェック、毎週二回以上の入浴、規則正しく定められている生活、冷暖房完備の季節感のない日常。
延々と変わらない個室での日常生活、いつまでも帰る場所がないという焦燥感、未来が暗くなるのです。
人は、明るい場所に戻りたいという帰宅願望、せん妄が表れ、認知症を発症するのは、必定かもしれません。
実際、認知症の方と話していると、明日のこと、来週のこと、来年のこと、未来の話が出来ないのです。
彼らの現在は、過去の時間軸が基準になっていますから、繰り返しになります。
老人からみれば、成年も青年も少年少女も過去の人です。
だから、自分の過去の人物像である成年、青年、少年少女、あるいは幼児にまで遡り、成りきります。
認知症の高齢者は、肉体は老いても、気持ちは、いつまでも若くて幼いのです。
認知症高齢者約1000万人となる少子化高齢社会。
人間社会の活性化に必要なもの?
あの地域に暮らしたいという動機付けが必要です。
その施設で暮らしたいという動機付けが必要です。
この病院へ入院したいというのは、動機付けではなくて、動悸付けとなります。
病いは気の毒から、悩みは気の迷いから、そんな動悸は必要ないです。
若い頃の日々、笑って楽しむ気持ちが充満する社会にならないとね❗
人生は結果オーライにしないとね❗
新型ウィルスの影響のせいか、いつもより患者さんが少ないように映ります。
それでも、日本の認知症高齢者の人口が、近い将来に約1000万人を超える統計数値があります。
さっき、院内での受診待ち時に「久しぶり」と声かけられたが、最後まで誰だか分かりませんでした。
僕も、記憶障害、認知症の始まりかもしれません。
認知症という言葉表現は比較的新しくて、かつては、痴呆とか、呆けとか、ボケ老人と呼ばれていました。
ボケ老人とは、会話が成り立たないから、そんな風に呼ばれたのでしょう。
療養型病院で勤務していた頃、家庭介護を経て入院する患者さんよりも、施設生活を経由した患者さんの方が、褥瘡(床ズレ)、認知症率が高いのは何故かと、ずっと疑問に思っていました。
昨年、高齢者施設に転職して、認知症の方と接すると、ある程度、認識を新たにしました。
老人は、本来は、生き方よりも、死に方を考える存在です。
高齢者を含めて、現代の風潮の流れは、デイサービスという通所は、老人の健康スポーツジム化しています。
その迎えのバスに乗るのが嫌で、幼児のように駄々をこねて通所拒否する高齢者の多さ。
一方で、施設内での生活理念は、その人らしい生活をお手伝いする優しさに包まれた生活です。
毎日三食用意され、毎朝バイタルチェック、毎週二回以上の入浴、規則正しく定められている生活、冷暖房完備の季節感のない日常。
延々と変わらない個室での日常生活、いつまでも帰る場所がないという焦燥感、未来が暗くなるのです。
人は、明るい場所に戻りたいという帰宅願望、せん妄が表れ、認知症を発症するのは、必定かもしれません。
実際、認知症の方と話していると、明日のこと、来週のこと、来年のこと、未来の話が出来ないのです。
彼らの現在は、過去の時間軸が基準になっていますから、繰り返しになります。
老人からみれば、成年も青年も少年少女も過去の人です。
だから、自分の過去の人物像である成年、青年、少年少女、あるいは幼児にまで遡り、成りきります。
認知症の高齢者は、肉体は老いても、気持ちは、いつまでも若くて幼いのです。
認知症高齢者約1000万人となる少子化高齢社会。
人間社会の活性化に必要なもの?
あの地域に暮らしたいという動機付けが必要です。
その施設で暮らしたいという動機付けが必要です。
この病院へ入院したいというのは、動機付けではなくて、動悸付けとなります。
病いは気の毒から、悩みは気の迷いから、そんな動悸は必要ないです。
若い頃の日々、笑って楽しむ気持ちが充満する社会にならないとね❗
人生は結果オーライにしないとね❗