ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

尾崎放哉 (1885~1926)

2020年03月07日 | 空木宝剣
鄙の地の 百年越しに 咳ひとつ

朝日新聞社昭和経済50年史によると、昭和は、波乱含みのスタートを切った。



年号が変わって間もない昭和2年3月15日、東京渡辺銀行が倒産、「金融恐慌の始まりである」とある。

第一次世界大戦による好景気を享受した大正デモクラシーの時代が終わり、バトンタッチした昭和が、早速恐慌という洗礼を受けたのである。

令和2年3月7日。  

新型コロナウイルス騒動で、戒厳令を彷彿させる世相であるが、ついに、わが広島にも感染患者が現れた。 

戦々恐々とする令和の幕開けだが、恐慌から戦争へと舵を切った昭和前期の二の舞は、土佐の後免である。

「咳をしても一人」ほぼ百年前の俳人、放哉の自由句である。 

放哉の時代の結核は、死に直結した恐怖だった。