百島の殿山から十文字山に登る道は、車が1台通るぐらい幅広い登山道でした。
あの場所は、子供の頃から凧を上げたり、十文字山まで駆け上がって、一気に段々畑の殿山まで飛んで降りて行けるようなトレジャーアイランドでした。
薄雪が積もれば、最高に楽しい場所でした。
昔の先人は、あの場所で松茸を取り、西日本最高峰の石鎚山を眺めていたのかもしれません。
ただ、明治以前の江戸時代の日本人の殆どが富士山を仰ぎ見た事もなければ、西日本最高峰の山が、四国山脈の石鎚山だとは知らなかったはずです。
「全国、津々浦々」という言葉があります。
津々浦々の崎が、百島の向かいにある「浦崎」です。
尾道市浦崎町道越にある厳島神社の赤い鳥居。
(写真提供 : 尾道観光協会)
この鳥居の先に見える百島。
全国、津々浦々の先が、百島です。
江戸時代、松尾芭蕉が歩いた奥の細道。
芭蕉が憧れた500年前の先人、西行や木曽義仲が歩いた道を、百代の過客と表した奥の津々浦々。
時は流れて、いつの世も格差社会。
岸田首相になって株価が下がる。
経済再生、分配強化の新資本主義を掲げる岸田内閣にとって、よいことなのでは?
格差是正の一助になるのでは?
多くの国民、貧困層にいる生活者は、株の保有者にもなれません。
いつの世も、格差社会が拡がれば、階級闘争となります。
されど、レーニンやら毛沢東が、身分階級制度を打破し、大地主、富裕層ブルジョアを粉砕して、人民に解放した社会主義、平等を掲げたコミュニストが、否定されるのは何故か?
人民の為、国民、国家の為と訴えながらも、終わりない権力という保身愛、限りない欲望の権現となるからです。
財産、資産、お金には、賞味期限を❗
世界の津々浦々の先は、第一人称のアイ(I )、アイランド、日本語では、あいうえおの「あい」。
「ん」から始まり、その頂点「あい」の極地に辿り着いた人間は、道元禅師か、良寛和尚か・・その境地は、未だ遠いです。
戦に敗れて都落ちした「瀬戸際の落ち武者達」が逃げた先は、瀬戸際の崎。
その先に見えた島は、桃が咲き誇る桃源郷に見えたかも知れません。
当時、数えられた憧れの文字は「百」が最高峰。
百島の名付け親は、津々浦々歩いた「あい」有り余る人物だったのでしょう。