コロナ禍の 味にもあきて 秋の風
コロナ禍の衆議院選挙。
人が変われば、世の中の流れも変わるかも知れない。
見慣れた顔は、安心するが、見飽きた顔は、ご免である。
聞きなれた演説には、安堵感があるが、聞き飽きたアジテーションには、辟易する。
土台、「皆さんの為に」という広くあまねく不特定多数から、票を集めようとすれば、演説は抽象的にならざるをえない。
追憶すると、アメリカの一番良かった時代は、1950年代だったと、レッドフォードは、回顧する。
戦争に勝った国と負けた国。
勝った国は、戦争という呪縛にさいなまわれる。
かつて、日本もそうだった。
権力は、暴力武力軍事力につながっている。
よって、権力の集中は、暴君や独裁者の温床というのは、歴史をひもとけば自明の理であり、現在に於いても、国を私物化する為政者が数多存在する。
民主主義に於いて、国は、みんなのものである。
「みんな」は、こういった場合に使うと語弊がない。
団塊が懐古するに、敗戦後、日本の良かった時代は、昭和50年代のような気がする。
第一次石油危機を克服して、一億総中流と云われた時代だった。
エコノミックアニマルと、揶揄されたこともあったが、他国から羨望の目で見られる面もあった。
アメリカ社会の良いとこ取り。
つまり付かず離れずの映画映像の世界を踏襲した結果、ジャパン アズ ナンバーワンとなった。
やがてバブル経済崩壊。
アメリカユナイテッド51州目に成り下がり、大店舗自由化。
派遣法、自己責任、大都市と地方の人口格差。
所得格差。銀行を始め、金融機関は、合併合併の巨大化で小回りのきかない合併症。
企業も個人も、将来に不安があるから、内部留保や貯蓄に励むしかない。
政治は何を施すべきか?
世の中から、不安のトゲを抜く作業だと思う。
老後2000万円以上必要というキャッチフレーズで、心配性の人ほど、貯めこんで、何千万という老後資金を、オレオレ詐欺に奪われるニュースがあとを経たない。
奪われるのも悲しいが、詐欺するほうも罪である。
終わり良ければ、全てよし。
老後まで生きれない人は別として、「ゆりかごから成人まで、中を抜いて、定年から墓場まで」を国がフォローすれば、人生の入口と出口は、社会主義のパンに、その中の美味しい具は、資本主義のサンドイッチとする、新資本主義。
ビーバリッチ(1879~1963)の「揺り籠から墓場まで」をパクったような、新資本主義を、同じ英国のサンドイッチ伯爵は、果たして美味しいと評価してくれるだろうか?。