今日は、秋分の日。
咳、痰が止まらない日々、コロナもインフルエンザも結核肺炎、感冒も、全て気管支炎。
空気中には、超微小な粉塵、多様なウィルスがうようよと泳いでいる。
体内に残る後遺症も怖い。
新鮮な空気が欲しい、換気は必要です。
この半世紀という50年間、どんな空気を吸って吐いて生きていたのかなぁ?
49年前の秋、広島県全体が、お祭り気分でした。
翌年(昭和50年)春、山陽新幹線が岡山から博多まで延伸開通を控えていたからです。
ただ、今の新尾道駅は存在せず、尾道市民の多くは、新幹線が到着する隣の福山と三原に何とも言えないジレンマを味わった時代です。
当時、高校3年生でした。
新幹線車両の走行テストが始まった頃には、僕らも通学途中、新幹線車両の試験走行を歓声を上げながら通学路の三原駅近くで眺めたものです。
ドクターイエローは、まだまだ登場していない時代です。
その新幹線車両の試験走行を眺めながら、来年からの進路先を決めなければならない高校3年生決断の秋でした。
思い出せば、高校からは進学希望の多くの生徒に薦めていたのは、翌年開校予定だった福山大学、岡山理科大学?でした。
地元に恋人がいるわけでもなく、やっと男子校と訣別ができる歓喜、しかも翌年春からは、広島から東京まで新幹線が繋がる歴史的な転換期、何が面白くて地元に残る理由が無い、東京行きの目的探し、理由付けを早々にして、新宿御苑近くにあったトラベル専門学校に進みたいと親に言い始めた我が儘な高校生でした。
結局いろいろあって、東京の予備校に進みましたが、地方の高校3年生が東京へ出て行きたいだけの素直な心情でした。
振り返れば、「高校卒業後、あの時地元に残り、父の背中を追いかけて船乗りになればよかったのかなぁ」と、ふと思う事もあります。
そして、あれから49年後の今日この頃。
福井県が半世紀間待ちに待った来年春待望の北陸新幹線延伸、その新幹線車両の試験走行が、やっと今日から始まりました。
新幹線が地元を走る❗
このワクワク感、人生で二度味わえるとは思いも寄らなかった事です。
今度は、地元福井県に残らないとね、来年からが楽しみです。
人生には、換気と歓喜が必要です。
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