ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

桃島~神島 北緯34度線上

2012年10月10日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
伊勢湾の沖合いに、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島があります。

愛知県の伊良湖岬と三重県の鳥羽との間を運航するフェリーから何度か眺めたことがあります。

百島と同じような潮の香が漂う神の島です。



その神島から伊勢地方へ、

さらに、伊勢地方から飛鳥地方へ、

さらに、飛鳥地方から淡路島へ。

その距離約150KM。

・・このルート(≒北緯34度32分)を古代の謎「太陽の道」と呼ぶようです。

(距離は、東の三重県の神島から、西の淡路島舟木石神座までの東西≒150キロメートルに及びます。)

春分の日、秋分の日に、お天道さまが通る道でもあります。

古代の謎そのものです。

古代人は、どのように正確な東西線を引き出すことが出来たのでしょうか?

古代人の感覚は、現代人が想像する以上に、鳥の目のような俯瞰感覚を備えていたような気がします。

伊勢神宮を祀った当時は、新益京(後の藤原京)の時代でした。

伊勢神宮と出雲神社を線で結ぶと、大和の国(奈良盆地)の上を通ります。

つまり、古代大和の国では、伊勢は日が昇る地、出雲は日が沈む地であるという研ぎ澄まれた感覚があったようです。

それはそれで、ともかくとして・・です。

このルート(≒北緯34度32分)を「太陽の道」として、東から、神島、斎宮跡(伊勢神宮旧跡)、室生寺、長谷寺、三輪山、箸墓、二上山(奈良県)、日置荘、大鳥神社(大阪)・・伊勢久留麻神社、舟木石神座(兵庫県淡路島)となるとのこと。

中心位置として、飛鳥の箸墓古墳から、東へ進むと天照大神を祀る伊勢となり海上の島、神島へ。

同じく箸墓古墳から、西へ進むと、ほぼ同じ距離にあるのが、淡路島にある伊勢の森。

付け加えるならば、です。

古事記にあるように「国生み神話」では、日本発祥の地は、淡路島となります。

そこを中心点の起源とすれば、東にまっすぐ進めば、神島です。

では、もし、西へと、ほぼ同距離進めば・・です。

さて、どこに行き当たるのでしょうか?

そう、桃源郷の桃島です。

つまり、「わが故郷の百島」です。

正確には、北緯34度32分線上ではないですが、≒北緯34度22分界隈にあるのが、百島なのです。

緯度1分の長さ 約1.85kmです。

その程度の距離と誤差は、あるとしても、古代人のロマンを感じます。

いいえ、百島の浪漫創りです。

時感覚。

2012年10月09日 | 易行難行修行
おそらくイスラム教徒の方だと思います。

「日本人は、とても時間にルーズだ」と呟いたようです。

日本人は、始業時間に遅刻なんて・・とても非常に厳しく批判するのに、「終業時間には極めてルーズだ」とのこと。

一理あるかな?

体育の日 描く力 

2012年10月09日 | 資本と社会の問題
今日は、息子の通う大学へ「保護者キャンパス見学会」に行って参りました。

食事まで、無料で用意されていました。

今、小生が学んでいる京都の大学よりも、施設も教室も豪華、充実していたのにも驚きました。

授業料も、高いはずです。



大学側からの説明のあった教育方針の言葉の羅列。

企業組織に貢献できる人材。

地域社会に貢献できる人材。

国際社会に貢献できる人材。

就職活動のガイダンス、インターナショナルな感覚養成、グローバルな人材育成・・等々。

30年以上昔、我々が大学生だった頃と全く変わり映えのない言葉でした。



養成育成よりも、自立が先です。

「働かせていただいています」

「学ばせていただいています」

多分、楽しく貢献できる人間が、よく寝て、朝もスッキリと起きられる日々を過ごすことができると思います。

自分の心にあるキャンパスに、どんな心象風景を描きたいですか?

それが、自分の人生航路になるのに違いありません。


走る人たち

2012年10月07日 | 千伝。
今朝は、福井マラソンを観ながら、知り合いに声をかけながら散策しました。

小生も一時期、ずっと参加していた日本海側最大級のマラソン大会です。

今年は、約一万人ほどの参加者です。











ファイト! 走る人たちです。

あなたへ

2012年10月07日 | 福伝。
1962年、10月5日・・50年前の一昨日、映画「007」の第一作「ドクターノオ」が公開されたとのこと。

偶然、同年同日には、ビートルズが「ラブ ミ ドゥ」を引っさげてデビューしたとのこと。

あのハーモニカの音・・ジョンレノンが、オランダで万引きしたハーモニカだったとか。

世界を盗んだ大英帝国が斜陽の国と呼ばれて衰退しても、世界に影響力がある英国力には、学ぶべきものがあります。

あれから、50年・・世界を活性化する英国の映画も音楽は、今も顕在です。

中学生の頃、英国映画「恋のメロディー」という映画が、日本だけでヒットしました。

何か・・英国は、日本的な「恋」のイメージを、ヒントとして与えてくれるようです。

日本のあちらこちらで、「恋人の聖地」という場所が、生まれています。

勝手に各地域が、「恋人の聖地」と名付けているのかと思っていると・・なんと!

これを認定しているのが、静岡市にあるNPO法人 地域活性化支援センターだとのこと。

昨日今日の新聞コラム・・俳優の大滝秀治さんを悼むコラムが多かったです。

ほとんどが、最後の仕事になった映画「あなたへ」と共演した高倉健さんの涙を引きあいに書いていました。

とある新聞コラムだけが、劇団民芸の先輩でもあった故宇野重吉さんが、大滝さんへ施した徹底した指導ぶりを紹介していました。

地元の新聞を読んでいると、興味深い記事がありました。

福井県民に訊いた「日本で一番行きたい県ランキング」でした。

「これで、いいのだと」と思いました。

暮らしやすい街、幸せな都道府県ランキングでは、全国のトップに位置する福井です・・

その住民が、想うイメージを大切にすればよいのです。

よく全国紙で見かける「日本で住んでみたい街、暮らしてみたい街ランキング」等々。

日本で一番行きたい観光地は、京都。

日本で二番行きたい観光地は、金沢。

その中間に位置する福井は、日本で百番以内にもランキングされていません。

この頃、散策をするようになりました。

「007」、ビートルズ・・高倉健さん、宇野重吉さん。

いにしえ昔から「あなたへ」の想い。

偲ばれ、思い出される人が多く、かつ雰囲気のある場所が、人気スポットとなるのでしょう。

メイド イン 百島(Made in Momoshima)

2012年10月04日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
子供の頃、百島で一番の製造業と言えば、百島造船所でした。

あれは、30年ほど昔の2月の寒い日でした。

インターネットも無い時代です。

当時、東京に暮らしていて、故郷のニュースを知る手立てというのは、都立図書館に出向いて地方紙(中国新聞)を読むことでした。

日比谷公園内にあった都立日比谷図書館での閲覧での出来事でした。

中国新聞のトップの第一面の記事に、目が釘付けになりました。

「明治時代創立 国内でも老舗名門 百島造船所 倒産」という文字が躍っていました。

・・ショックでした。

二つ年上の先輩、剛ちゃんが、百島造船所の跡取りでした。

どうしているのだろう?

当時の時代世相は、とまりれんさんの作詞作曲した演歌「氷雨」が、ヒットしていた頃でした。

百島には、日本総理大臣賞?を授賞した醤油屋さんもありました。

百島での塩作りも、昔、盛んだったようです。

郷土誌「ふるさと百島」には、具体的な塩作りの過程も紹介しています。

今は、メイド イン 百島の一番手は、「いちご」でしょうか?

今年の大学卒業者の5人に1人が、就職もしていないというのが、日本の現実です。

雇用問題も深刻です。

若者に「人生に夢を持て。自分にふさわしい仕事を持て」というのも悲しい現実です。

かと言って、稼げない起業活動もシンドイ状況になります。

ただ、金さえあれば何でもできると思ったら、大間違いです。

金があっても苦労するのが、人間です。

老若男女・・少しでも、よい仕事をしようと勤めている者にとっては、その仕事を褒められるほど嬉しいものはありません。

余生というよりも、終世までが、人生の仕事です。

最近は、田舎回帰よりも都心回帰を目指している方が多いようです。

買い物や交通が便利で、看護師さんが常駐しているような高齢者向けマンションに人気があるようです。

ご自分が選択できる住処というのは、まだまだ若い気持ちのある余裕なのかもしれません。

ほんとうに身動きがとれなくなり、寝たきりのお年寄りとなる終の棲家に、交通の不便、買い物は関係ありません。

介護する側の必要な時間と意図が、介入するだけです。

生きる力こそが、ご自分で身動きできる生命力であり、健康寿命です。

人間は生きているだけで、何かの恩恵を頂いています。

とりわけ、百島を考える、百島を思い出すことは、生きるうえで非常に大きな財産になっています。

百島で暮らした時間を、マイナスと考えると大損です。

プラスと考えると、大きな自信となります。

だって、百島での生活、百島での人間関係・・こんな人生体験は、滅多なことで、この世では出会えない貴重なものです。

先月、日本感動大賞に「百島関連二組」を投稿しました。

メイド イン 百島は、「感動」という生活、作品、商品が、今一番似合うのかもしれません。

日々、百人に感謝。

晴好雨奇

2012年10月04日 | 萬伝。
パリのルーブル美術館でレオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」を見たのは、随分昔となりました。

写真撮影禁止だったと思います。

でも、小生のアルバムには、ちゃんとカメラで撮った「モナリザ」の写真が残っているはずです。

撮ったのは、小生ではなく、華僑系の友人でした。

昔、その友人に「机の四足以外は何でも食べる民族では?」と尋ねたことがありました。

返ってきた言葉は、「中国民族は、日本人や蛇のように生卵を食べることはないよ」

そんな昔話を思い出しました。

昨日のニュースで、神奈川県葉山町と広島県府中町で、母親が、我が子(女児)を殺すという悲惨な事件が続けて起こりました。

親殺し、子殺し、伴侶殺しが起こっても、「またか・・」という、さほど驚かなくなった日本の社会です。

今日、知り合いの投資家の中国人が、言いました。

「中国では、親や子を殺すなんて、絶対にあり得ないことです」・・と!

本当かな・・?!

今日、10月4日は、投資の日です。

「貯蓄よりも投資を」という呼びかけメールも入っていました。

晴耕雨読・・晴好雨奇の日々。

ももいろ クローバーZ

2012年10月03日 | 百伝。
「週末ヒロイン・・ピュアな女の子が、幸せを運びたい」と紹介されていました。

今年の紅白歌合戦に出られるといいですね。

小生が、高校に入学した頃、山口百恵さんがデビューして、一躍、日本の国民的スターになりました。

百恵・・その名が、よかったのでしょう。

朗らかな、爽やかな、泣き言をいわない・・そんな幸運を呼ぶようなネーミングです。

そうそう、当時、「瀬戸の花嫁」が大ヒットして、島へお嫁に行くのが幸せになるような雰囲気のある時代でした。

自分にとって、善いもの、好いものを選びましょう。

お国自慢も、大変自慢も・・素晴らしいものです。

百千億万 
無量大聖 
数如恒沙 
供養一切 
斯等諸仏 
不如求道 
堅正不却

百のものを、千にも万にも億にも活かすこと、即ち、「なりたい自分を作りなさい」というメッセージです。

「ももいろ クローバーZ」を観て、そんな感想を持ちました。

百島 旗伝説 

2012年10月02日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今朝は、お坊さんから「勤行聖典」を頂戴しました。

まことに御恩報謝の気持ちです。

テレビを見ていると、石川県能登半島輪島市内のとある集落を映していました。

100人ほどの小さな集落ですが、5つもお寺があるようです!

お寺で、寺カフェ、寺ヨガをしているなど地域興しも盛んです。

能登半島・・地域色の強いイメージがあります。

昨日、10月1日は、日本酒の日、コーヒーの日でもありました。

白と黒の色を楽しみました。

さて、わが百島の地域色に関して。

以前、「旗色掌」で、小生の個人的な考えを書いてみました。

ちょっと、繰り返して書いています。

平家の旗の色は、赤に近い桃色です。

一方の源氏の旗の色は、白色です。

嘉吉の乱後、百島に赤松一族が逃れてきました。

赤松一族は、八幡宮に連なる清和源氏一門の流れを汲む白旗を錦としています。

赤松家の居城は、播州播磨の「白旗城」です。

赤松一族が祀っていたのは「白旗八幡宮」「白旗観音」であります。

さて、平家一門は、瀬戸内海を制覇しており、旗の色は、桃です。

百島の泊地区には厳島明神があります。

平家一門の氏神となる厳島神社は、毛利家一族、村上水軍まで連なるものです。

百島には、旗手(はたて)姓があります。

当時の旗は、錦の旗でもあり、誰もが触れるものではありませんでした。

旗手姓のルーツは、読み書きの出来る神官か僧侶の身分ではなかったのかと考えます。

今尚、百島にある天理教、黒住教も、旗手一族の方によって継承されています。

つまりは、百島を安住の地となるべき、当時のネゴシエイターとしての役割のような時代の貴重錦旗の担い手として、旗手(はたて)姓を名乗ったのかもしれません。

かつて、百島には、桃源郷のような里に、桃の花が多く咲いていたかもしれません。

だから、かつては、桃島だったのでしょう・・きっと。

それでも、赤松一族の源氏旗「白色」の錦を、どこかに表飾しなればなりません。

居住地が、平家の「桃」の地名では、少々困る問題があったのかもしれません。

そこで考えたのが、平家の桃色の旗に遠慮しながらも、桃島から「白」に似た「百」を「桃」の代わりに取り入れて、百島と名付けて変更したのかもしれません。

小生の考える・・百島の旗伝説です。

♪白地に、赤く、日の丸染めて・・

源平の戦から成り立つ・・日本国旗の伝説でもあります。

百島の「亥の子唄」

2012年10月01日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
十月は、亥の子祭り。

我々の世代では、亥の子祭りの記憶はないのですが、昔からの百島での行事があったようです。

亥の子石も残っています。

今に伝わる「百島の亥の子唄」です。

一で、俵(ひょう)踏んばえて

二で、にっこり笑うて

三で、酒をつくって

四で、世の中よいように

五つ、いつまでもよいように

六つ、無病息災で

七つ、何事もないように

八つ、屋敷を広めて

九つ、ここらで蔵を建て

十で、とんとん 納めて 

   われが家は ようでけてた 

   繁盛せえ 繁盛せえ

出典:「ふるさと百島」百島ふるさと文化史研究会