ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

七福神

2014年09月07日 | 千伝。
七福神を眺めながら、テキスト本を読んでいました。

今、学んでいる社会福祉学が取り扱う主題は、貧困を根底とした生活問題です。

ただ、その生活問題が多岐にわたっており、大まかに細分すると、高齢者福祉論、障害者福祉論、児童福祉論に分かれます。

それぞれの分野も専門分化の傾向が強まっており、その対策が十分になされているとは言い難いのが現実社会なのです。

それを意味するところは、生活問題が潜在化・個別化して、その背景・特徴が、より狭く深く、自己責任論、自己決断などとする傾向にあるということです。

社会福祉という同じ土台に立つ認識を持つことが難しくなっているということです。

生活問題は、個人や家族、地域に様々な形で出現します。

根本的な要因は、社会性を帯びた問題なのかもしれません。

しかし、専門別化、個別化によって、その社会性問題が覆い隠されてしまい、個人の責任として潜在化されてしまう怖さです。

深刻な状況に陥った生活に苦しんでいる人々が大勢います。

その要因が、個人や家族の責任によるものだと断定された場合、個々の責任として扱われて社会性問題として顕在化されずに放置されていることもあります。

社会福祉の出発点は、自己責任や自助や共助や地域の助け合いの流れと社会保障とを結び、調和を図る視点ではないと考えます。

自己責任として片づけられてしまう生活問題の起因となる潜在的な社会問題だと考えます。

社会における所得階層別での生活問題を抱える対象者の分析も把握も必要かもしれません。

そうでないと、貧困のすべては、国民側の個人・自己能力の責任に起因とされるでしょう。

現行の社会制度や政策・・これでよりよい社会になるのか?・・と考えてしまいます。

老後という人生の最終ステージで、所得格差が拡がって、生活保護を受給する高齢者が増えています。

社会福祉の現場に立てば・・何か空恐ろしい不安だらけの未来社会です。

残念ながら・・支持政党は、ありません。



よりよい生活、よりよい社会になるために、もっと学びながら、社会福祉の現場から、
・・社会提言としてのメッセージを送りなさいと・・七福神に叱られたような今日一日でした。

栄光の男

2014年09月06日 | 百伝。
昨夜のテレビで、久しぶりにサザンオールスターズの桑田さんを二度観ました。

桑田さんが、デビュー前の青春時代を語っていたのが印象的でした。

同じ青春時期を過ごした同年代にとっては、とても懐かしいです。

桑田さんは回想しています。

渋谷にあった都会っぽい青山学院に入学したものの全然モテなくて、毎日が目的もなく、みじめで暗い日々だったとのこと。

その頃に、巨人の長嶋茂雄選手の引退に・・何かインスピレーションを受けたのでしょう。

「栄光の男」という歌を作っています。

昨夜、聴いていたサザンの「天国オン・ザビーチ」・・とても下品な歌でしたが、暗かった青春時代に輝いていた西城ヒデキのブルースカイブルーや郷ひろみの振付を、ちゃんと作詞と振付けの中に入れていたのには驚かされました。 

少子化時代・・彼らの歌は、子どもを増やすための人口増加に役立つかもしれません。

デビュー前、サザンの桑田さんが、みじめな青春だったという当時、ぼくは、かれらの母校の青学に潜りで「キリスト教概論」等を受講していました。

青山学院は、百島の親友同級生の保ちゃんが通っていた母校で、潜りの受講も可能だったのです。

その後、サザンオールスターズが、青学生として白いランニングシャツと短パン姿でデビューを飾った時には、二人して驚いたものです。

あれから36年・・サザン・オールスターズは、ヒット曲を生み続けました。

今や国民的なバンドになり、江の島や湘南を全国的に有名にしたのは、サザン・オールスターズの桑田佳祐だとも言われています。

まさしく「栄光の男」になった桑田佳祐です。

「栄光の男」

歌:サザンオールスターズ
作詞・作曲:桑田佳祐

ハンカチを振り振り
あの人が引退(さ)るのを
立ち喰いそば屋の
テレビが映してた
シラけた人生で
生まれて初めて
割箸を持つ手が震えてた
「永遠に不滅」と
彼は叫んだけど

信じたモノはみんな
メッキが剥がれてく

I will never cry.
この世に何を求めて生きている?

叶わない夢など
追いかけるほど野暮じゃない
悲しくて泣いたら
幸せが逃げて去っちまう
ひとり寂しい夜
涙こらえてネンネしな

ビルは天にそびえ
線路は地下を巡り
現代(いま)この時代(とき)こそ
「未来」と呼ぶのだろう

季節の流れに
俺は立ち眩み
浮かれたあの頃を思い出す
もう一度あの日に
帰りたいあの娘(こ)の
若草が萌えてる

艶(いろ)づいた水辺よ
生まれ変わってみても
栄光の男にゃなれない

鬼が行き交う世間
渡り切るのが精一杯

老いてゆく肉体(からだ)は
愛も知らずに満足かい?

喜びを誰かと
分かち合うのが人生さ

優しさをありがとう
キミに惚れちゃったよ

立場があるから
口に出せないけど
居酒屋の小部屋で
酔ったフリしてさ
足が触れたのは故意(わざ)とだよ

満月が都会の
ビルの谷間から
「このオッチョコチョイ」と
俺を睨んでいた

I will never cry.
この世は弱い者には冷たいね

終わりなき旅路よ
明日天気にしておくれ

恋人に出逢えたら
陽の当たる場所へ連れ出そう
命預けるように
可愛いあの娘とネンネしな

とある百物語。

2014年09月05日 | 百伝。
妖怪アニメ・ソングが、流行る昨今。

恐ろしく、切なく、美しく・・怪談と言えば、江戸時代から伝わる「百物語」です。

・・「百」という縁起のよい文字に、何故、悲しさが潜むのか?

随分若い頃、「百丸」というペンネームを考えていた時分がありました。

しかし、少しだけ・・怪談気味に妙な部分が気になり、江戸時代の武家の幼名を調べたことがあるのです。

松千代、竹千代、梅千代は・・縁起がよさそうですね。

しかし、「百」が付く名が、ほとんど無いのです。

それで、何故なのか?・・と調べたことがありました。

とても悲しい事件でした。

時は、安土桃山時代。

時の天下人は、豊臣秀吉。

子のいない秀吉は、関白の職を甥を養子として豊臣秀次に譲ります。

その時点で、秀吉亡きあとの天下人は、豊臣秀次となるはずでした。

ところが・・秀吉には、淀君(茶々)との間に、秀頼という子ができました。

その時、秀次の子には、幼名を「百丸」という次の次の天下人になる子どもがいたのです。

おそらく、「百」は目出度く、豊臣秀吉に下った小早川一門の村上桃島は、百島と名を変えたはずです。

秀頼を溺愛する秀吉・・養子である関白職の秀次は、既に邪魔者?・・歴史の定説でもあります。

豊臣家崩壊の序章です。

豊臣秀吉は、狂気の沙汰か・・関白豊臣秀次の一家を根絶やしに全員を処刑しました。

豊臣秀吉に刃向う者は、誰もいません。

幻のような「天下人となる幼き百丸」も殺されたのです。

その悲劇の抹殺事件以来・・「百」がつく名前が激減しているのです。

その後の歴史の表舞台に出るのは、淀君と秀頼・・石田三成、そして徳川家康です。

あの北の庄(福井)の落城で、柴田勝家公、お市の方共々、その子ども三姉妹(茶々、初、お江)も全員自害していれば、淀君・秀頼親子の誕生もなければ、関ケ原の戦いも、徳川家光の誕生も無かったのです。

幻の幼名「百丸」が、天下人となっていたはずなのです。

心田開拓

2014年09月03日 | 百伝。


「いとしろ大杉」を仰いでの下山の帰り道・・足がつってしまいました。

ミニ・バイクで大正解でした。

車ならば、アクセルもブレーキも踏めないぐらいの痛みでした。

ましてや、あの狭い林道・・あっちこっちで落石注意、土砂崩れの跡があって、スリル満点でした。

それにしても、九州の湯布院や信州の高原と同じような緑と空気と水の色彩がありました。



岐阜県郡上市白鳥の山間部にある石徹白地区・・白山の麓にあり、古の時代から「神に仕える人々」の集落として、苗字も帯刀も許され、税を納めることもなかったとのことです。



人々も草木一本も神々しく映りました。





この石徹白が、近年注目を集めています。

キャッチ&リリース(C&R)という運動を始めたことから話題になりました。

「釣った魚を川に戻す」というキャンペーン運動です。



一部流域に限っていますが、その効果がみるみるうちに上がって、県外は勿論、海外からも釣り人が訪問するようになったとのことです。

百島よりも、小さな集落のように映りました。

それでも、各々家庭、石徹白の皆さんがユニークなのでしょう。







家や庭や畑を、外から見ても楽しめるような工夫をしていました。







石徹白小学校です。



校長先生の許可を得て、中庭にあった石碑の写真を一枚撮らせていただきました。



「心田開拓」という文字を刻んでいます。

もともとはお釈迦さまの話ですが、農村荒廃の根本理由は人心の荒廃にあると考えていた江戸時代の二宮金次郎の言葉です。

一度、心田を開拓しても、放っておけば次々と雑草が生える・・常に心の田を開拓しなければならないという戒めなのでしょう。

九月なのに紫陽花が咲いていた石徹白・・忘れられない場所のひとつになりました。

さて、足が引き攣ったまま、何とか帰福できました。

自撮りで、心田開拓。



無事到着・・感謝。

いとしろ大杉

2014年09月03日 | 千伝。
ここは、福井県と岐阜県の県境になります。



川釣りを楽しむ人もいます。



延々とこんな道を走ります。





石徹白の町を通り抜けて、白山国立公園に入りました。



ここからは、非常に危なく狭い道が続きました。



山肌から水が流れて、何度かスリップしてしまいました。

何とか・・到着。



林道から、ここまで辿り着くのに、400段近くある石段を登ってきました。



樹齢約1800年・・手を合わせたくなりました。

石徹白・・かつて神に仕える人々が暮らしていたという集落です。

今は、世界から集う日本の清流「石徹白」と謳っています。

ホント!・・出かけてよかったです。

・・続く。

九頭竜湖駅前・道の駅から

2014年09月03日 | 千伝。
JR北越線始発・終点の九頭竜湖駅です。


その駅前にある道の駅です。





恐竜街道(国道158号)沿いにあります。



さて、一緒にと誘ったけど、ここから、ハーレーでは、かなり危険な狭い道を進んでいきます。



やっぱり、途中で、ハーレー君は、引き返して帰りました。残念!!



単独で、岐阜県郡上市白鳥にある石徹白(いとしろ)地区へ。


龍虎風雲

2014年09月01日 | 千伝。
今日は、防災の日。

百年の計を以て、次の世代、その次の世代が誇れるように暮らす地域創生が、今生きる者の務めでしょう。

日本の各界の発信源でもある首都東京に直下の大地震があれば、日本全体の機能がストップする現実です。

東京は、地方から若い人材が吸収される「人口減少問題」の震源地でもあります。

東京からの視点は「地方創生」ですが、その反語として、地方からの視点は「東京リスク」です。

だから、今更のように東京に「地方創生本部」というものを設置されても、日本の臍で茶を沸かすようなものです。

今日から九月。

・・龍虎さんが亡くなられたというニュース。

龍虎さんが、力士からすでにタレントになっていた頃、増上寺・芝公園にあったゴルフ練習場で、隣り同士で打ち合ったことがありました。

友人が「龍虎がいる」と言ったのが聞こえたのか、こっちを向いたので「龍虎さんだ!」と言い添えたのを思い出しました。

・・合掌。

龍は、洪水・日照り等・自然現象を治め悪を退治して幸運を呼ぶ。
 
虎は、勇猛・勇気・権威・膂力・病等の悪霊退散して幸運を呼ぶ。
(中国の龍虎風雲の諺から)