久々に実家で完全休養と決めこみましたが、来客、野暮用頻発でした。一番堪えたのが、冷蔵庫の故障! 老朽化しているからなぁ……、ということで、量販店へ行ってみると、買い替えの処分代が高いなぁ……。
と本日も嘆き節ご容赦です。そこで景気づけと言うか、ストレス発散の1枚を――
■The Real McCoy / McCoy Tyner (Blue Note)
マッコイ・タイナーと言えば、ジョン・コルトレーン! これはどうしても逃れることの出来ない、マッコイ・タイナーの宿命でしょう。そしてそれは、けっして哀しいことではありません。ジャズ者は何時だって、マッコイ・タイナーにそれを望んでいるのです。
等と、またまた独断と偏見から書き出してしまいましたが、実際、私がマッコイ・タイナーに求めるイメージは「コルトレーンという伝統芸能」の正当な継承者という位置付けです。
皆様が良くご存知のとおり、マッコイ・タイナーは1960年の秋頃にジョン・コルトレーンのバンド・レギュラーになってから注目されたわけですが、その暗くて饒舌なピアノ・スタイルは、当にジョン・コルトレーンがサックスで表現しているフレーズや音色、感情や精神性までも直に後追いしているものです。
しかしジョン・コルトレーンのバンドに在籍していた当時に作られた自己のリーダー盤では、饒舌なピアノ・スタイルはそのままに、もっと気軽な演奏、つまり常套的なハードバップとか明るさも漂うピアノ・トリオ物が主体でした。
もちろんその中にも名盤・名演とされるものが多々あります。しかし1965年末にジョン・コルトレーンのバンドを辞めた瞬間、マッコイ・タイナーにはバッタリと仕事が来なくなり、レコーディングの契約も打ち切られたそうです。
つまりジョン・コルトレーンあってのマッコイ・タイナーだったわけです。この現実の厳しさに、当時のマッコイ・タイナーの気持ちは、いかばかりか……。ついにはタクシー運転手や肉体労働をやりつつ生計を立てていたと言われています。
しかし、そんなマッコイ・タイナーに契約を申し出たのがブルー・ノート・レーベルで、このアルバムはその第1弾として製作されたものです。録音は1967年4月21日、メンバーはジョー・ヘンダーソン(ts)、マッコイ・タイナー(p)、ロン・カーター(b)、エルビン・ジョーンズ(ds) という4人組! おぉ、これは誰が想像したって、全くジョン・コルトレーンの真似っこバンドに違い無い!
結論から言うと、そのとおりです。しかもその期待どおりの音が出てくるのですから、たまりません――
A-1 Passion Dance
エルビン・ジョーンズの活き活きとしたドラムスによるイントロから、タイトルどおりに情熱的なテーマが流れてきた瞬間、聴き手はジョン・コルトレーンが作り出した熱気と混濁の世界に放り込まれます。
しかしそれが快感なんですねぇ~♪ もちろん演奏メンバー全員の意思統一もそこに集約されており、アドリブ先発のマッコイ・タイナーはジョン・コルトレーンのバンドでさんざん聴かせてきた十八番のノリと指使い! ピアノにおけるシーツ・オブ・サウンドを大爆発させています。
そして、やっぱりこの人というエルビン・ジョーンズが、両手両足フル稼働のポリリズム・ドラミング! 快感のシンバルと馬力のオカズがたまりません!
さらにコルトレーン派の第一人者であるジョー・ヘンダーソンが、暗く屈折したテナーサックスをフル・ボリュームで鳴らしまくり! 続けてエルビン・ジョーンズの大車輪ドラムソロが出るという、完全王道の演奏パターンは、例え真似っこであっても、ジャズ者には大歓迎の一時でしょう♪ あぁ、最高です。クライマックスでは4者入り乱れのチャンバラ状態までも、楽しめます。
A-2 Contemplation
あぁ、この怠惰な雰囲気のワルツ曲こそ、「コルトレーンという伝統芸能」の美味しい部分です。重いビートを叩き出すエルビン・ジョーンズのドラムス、蠢くロン・カーターのベースを土台にして、ジョー・ヘンダーソンが呻き、マッコイ・タイナーが暗い情念を吐露してくれれば、それだけで満足するのが日本のジャズ喫茶のお客さんです。呪術的快感に身も心も委ねる、それが許される瞬間が至福でもあるのです。
B-1 Four By Five
躍動的なモード曲で、テーマ部分でのリズム割りは複雑ですが、アドリブパートでは爽快な高速4ビートになるという、全く上手い構成です。
ジョー・ヘンダーソンのテナー・サックスはスピード感満点ですし、マッコイ・タイナーはアドリブソロはもちろんのこと、伴奏でのコード弾きでも独自の色合いを存分に発揮してくれます。
そしてクライマックスでは、エルビン・ジョーンズとの遣り取りまでも用意されていますが、あまりにもお約束が多すぎるような……。
B-2 Search For Peace
ミディアム・スローで演じられる哀愁曲です。そしてこういう雰囲気だと、ジョー・ヘンダーソンが十八番の隠し味という、昭和歌謡曲モードを漂わせてくれるので嬉しくなります。
またマッコイ・タイナーもこれ以前のリーダー盤で聞かせていた繊細な歌心、ビル・エバンス風のハーモニーの展開を披露しています。こういう部分はジョン・コルトレーンのバンドでは、やりたくても出来なかったところですから、マッコイ・タイナー自身もじっくりと自己表現に撤しているようです。
B-3 Blues On The Corner
この何だか陽気でドタバタしたテーマ演奏が違和感満点のブルースです。しかしアドリブパートに入っては、何時ものマッコイ・タイナー節が大盤振る舞いされますし、バックで煽るエルビン・ジョーンズも楽しそうで、これは完全に1960年代初頭のジョン・コルトレーン・バンドというノリです。
そのあたりのツボは、次に登場するジョー・ヘンダーソンも充分に把握してというか、もちろん自分だけのフレーズとノリは大切にしていますが、コルトレーン派に属するかぎりは必須の演奏に撤していて、好感が持てます。
ということで、これは全曲がマッコイ・タイナーのオリジナルから成る「コルトレーンという伝統芸能」の最良盤です。おそらくマッコイ・タイナーとブルーノートの製作陣は、そのあたりについてシビアな話し合いがあったはずですから、単なる真似っこという安易な道を選んだわけでは無いと思うのですが、図らずもこのセッション直後の7月にジョン・コルトレーンが急逝! このアルバムの発売時期もその頃と推定されるだけに、この作品の存在感は一際だと思います。
マッコイ・タイナーはこれ以降、吹っ切れたように「コルトレーンという伝統芸能」を継承し、1970年代前半に大輪の花を咲かせるのです。そしてほとんど誰も、それを非難しなかったという事実が残されました。
それはジョン・コルトレーンの音楽が、それだけ絶大な力があった証ではありますが、やはりマッコイ・タイナーというピアニストが正当な継承者と認められたからだと思います。しかもその伝統芸能を担う演奏者の中には、このアルバムをお手本とする者まで現れているのです。
そしてマッコイ・タイナーの諸作や新譜は、必要以上に肩に力を入れて聴いたものです。それは日本のジャズ喫茶の美しき姿でもありました。そんな至福をもたらしてくれたマッコイ・タイナーに、あらためて感謝です。