OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追悼・グレン・フライ

2016-01-20 19:44:18 | 追悼

New Kid In Town / Eagles (Asylum / ワーナーパイオニア)

イーグルスの創設者にして、ウエストコーストロックの全盛期を導いたひとりでもあるグレン・フライの訃報に接しました。

皆様ご存じのとおり、グレン・フライはイーグルスにおいて数々の名曲を作り、またリードを歌ったヒット曲も多いので、そのまんま、リーダー的な存在と目されていたわけですが、個人的には同バンドの歴史を鑑みても、一番に地味な存在という印象です。

もちろん、と書いてしまったのも、失礼ながらギタリストとしてはバーニー・レドン、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュという歴代名手の後塵を拝し、またボーカリストとしてもドン・ヘンリーという哀愁のソウルシンガー、あるいはハイトーンボイスにコーラスも上手いランディ・マイズナーがあまりにも強い存在感を発揮してしまえば……。

しかし、それでもグレン・フライは「イーグルスの」という冠が一番に相応しいメンバーであり、それはイーグルス解散後にヒットレコードを作った時でさえ、失せる事はなかったと思います。

つまりグレン・フライが参加しなければ、解散後のイーグルスが再結成した時も意味が無かったはずであり、逆に言えばグレン・フライが仲間のレコーディングセッションに参加しただけで、仕上がったレコードにはイーグル風味を我々は期待してしまうという現実が確かにあったんじゃ~ないでしょうか。

また、グレン・フライの音楽性やキャリアを紐解けば、駆出し時代はアメリカ中西部あたりで骨太ロックをやっていたらしく、ロスに移ってからはフォークロックやカントリーロックに傾倒したレコードを出しながら、結果的には鳴かず飛ばずだったんですが、その流れの中でボブ・シーガーJ.D.サウザージャクソン・ブラウン、そしてリンダ・ロンシュタットのマネージャーだったジョン・ボイラン等々の名士(?)と知り合い、共に明日に向かって友情と音楽的交流を深めていったのは、汎用性の高い故人の曲作り、殊更R&Bやソウルミュージックの白人的解釈やAORど真ん中の雰囲気でありながら、不思議と懐古趣味に彩られた楽曲の味わい等々に反映されていたと思います。

で、そんなこんなの印象から、サイケおやじとしてはイーグルスが1976年に出した驚異のメガヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」から先行シングルとしてカットされた「New Kid In Town」を故人を偲ぶ1曲と致します。

いゃ~、もう、とにかく最初に聴いた瞬間から、この穏やかにしてせつない曲調の魅力は、まさにソングライター&ボーカリストとしてのグレン・フライならではの世界ですよねぇ~~♪

しかも楽曲を印象づけているエレピが、バンド内では堂々とキーボードを演奏する事になっているグレン・フライじゃ~なく、なんとっ! 剛腕ギタリストのジョー・ウォルシュが弾いていたという現実が、如何にも「らしい」真相というのも、味わい深いところでしょう。

ということで、グレン・フライについては、もっともっと書きたい気持ちがあるんですが、とりあえず本日はここまでとさせていただきとうございます。

ただ、願わくば前述したイーグルス以前のキャリアの中で、J.D.サウザーと共にロングブランチ / ペニーウィッスルと名乗ったデュオ名義のLPを完全公式盤として復刻して欲しいものです。

なにしろこれが和みのフォークロックが満載なんですよっ! 決して「ぬるま湯」とか云って欲しくはないほどの穏やかさは、たまらない魅力ですから!

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

 

コメント (2)
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