■最後の本音 / Sooo Baad Reveu (フィリップス)
いやはや、仕事は縺れ、会議は紛糾という本日の流れの中、サイケおやじの胸中に浮かびっぱなしだったのが掲載のシングル盤A面曲「最後の本音」です。
とにかく、
俺は決して 悪い人間じゃない
ただ考えが甘いだけ
というキメの一節が痛切、こみあげてくるわけですよぉ。
演じているソー・バッド・レヴューは昭和50(1975)年頃から2年に満たない期間に存在していた関西のバンドで、メンバーは山岸潤史(g)、石田長生(g)、国府輝幸(key)、チャールズ清水(key)、永本忠(b)、土井正和(ds)、北京一(vo)、砂川正和(vo,per) という8人をベースに、時折はトラも入れていたようですが、やっていたのはソウルでファンクで、しかもブルースな歌謡曲という、コテコテの関西ロック!?
うむ、確かに関西出身のバンドではありましたが、本場アメリカのソウルフィーリングをロック的に解釈し、さらにライブの現場ではジェームス・ブラウン等々のステージレヴューを巧みに折衷した笑いと涙と熱血のギグを披露していましたですねぇ~~♪
ただし、サイケおやじがソー・バッド・レヴューのライブに接したのは、たったの2回だけですので、勘違いだったらご容赦願いたいところです。
しかし、それでもジミヘンかジェフ・ベックみたいに唸っては燃える山岸潤史のギター、その相方としてファンキーなリズムプレイやオカズの妙義を聞かせてくれる石田長生の存在も侮れず、加えて国府輝幸とチャールズ清水のダブルキーボードの達者な演奏がニクイばかり!
そこには永本忠と土井正和が作り出すリズムとビートの土台もがっちり固まっている事は言わずもがな、その頃は漫才師としても知られていた北京一のコミカルな語りと熱い節回しに義理と人情が入ったとしか思えない、ど根性のボーカルこそが、この「最後の本音」をメインで歌っている砂川正和の真骨頂でしょう。
ちなみに作詞作曲は石田長生なんですが、楽曲そのものは既に下北(下北沢)のジャニスと云われていた金子マリが歌っていたのをサイケおやじは知っていまして、前述のように接した最初のライブが昭和51(1976)年春の日比谷野音、そしてこのレコードが出たのは同年晩秋頃でしたから、ど~ゆ~経緯や交友関係があったのか、その真相は興味津々、当時の我が国のロック分布図を解き明かす要点のひとつに成りうるような気がしています。
緩和休題。
しかし、バンドとしてのソー・バッド・レヴューは既に述べたとおり、本当に短命で、このシングル曲を含むアルバムを同年に出したっきりで解散……。一応、それを前提にしたとしか思えない巡業から作られたライブ盤も残していますが、驚いた事にアメリカ録音という件のデビューLPがあればこそ、記録と記憶がリンクしてしまいます。
告白すれば、ここまでサイケおやじが書いていながら、実は2回だけ接したソー・バッド・レヴューのライブには、どこかしら和めないものを感じていたのも本音です。
そりゃ~、始まりはバンドだけのインスト演奏、そしてボーカリストがステージの上手&下手から飛び出し、続けて繰り広げられるのは熱~~いライブという構成は凄いものでしたが、メンバー各々がウルトラ級の個性派だったという事でしょうか、なんとなく意地の張り合いみたいな場面も散見され、後に知ったところでは、どうやらバンド内の人間関係は縺れていたとか……。
ですから解散後、メンバーがそれぞれの道で活躍したのもムベなるかな、しかしソー・バッド・レヴューの記憶は幻影を超越して、今に伝えられているんじゃ~ないでしょうか。
ということで、ど~でもいいことかもしれませんが、この「最後の本音」はレコード化された時、オリジナルの歌詞の一部に問題有りという理由から、ライブで親しんだものとは異なる仕上がりになっていますが、そんなの関係ねぇ~~~!
サイケおやじは、ただただ、本音を吐露したいという気分に満たされているのでした。