■愛こそはすべて / The Beatles (Parlophone / 東芝)
昭和42(1967)年の今日、つまり遥か42年前の8月6日、私は本日ご紹介のシングル盤を買いました。
今では知らぬ人もない、まさにビートルズが全盛期の大ヒット曲ですが、そのお披露目は当時としては画期的だった宇宙中継によるものです。
それはイギリスのBBCが企画制作した「われらの世界」という、要するに人工衛星を使った宇宙生中継という番組でしたから、我国でもNHKがリアルタイムで放送したのです。
当時のメモを読み返すと、その日は昭和42年6月26日の早朝、午前3時55分からNHKによる解説が5分間あり、番組本篇は4時からのスタートになりましたが、これはもちろんイギリスと我国の時差によるものです。
しかし、その番組にビートルズが出るということは、そんなに前宣伝があったわけではなく、私の場合は4日ほど前のラジオ放送で、その事実を知って驚愕歓喜!
なにしろ現代と違って、海外ロックスタアの動く映像というのは極めて貴重な時代でしたし、特にビートルズの場合は、その絶対的な人気のわりに、我国では「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」とか「ヘルプ」という劇場公開作の映画、来日公演のテレビ放送、あるいはお菓子のCM放送ぐらいしか、ビートルズの動く姿に接する機会がなかったのです。有名なエド・サリバン・ショウにしても、完全版が放送されていたかは定かでなく、またイギリスでの「レディ・ステディ・ゴー」あたりの音楽番組も、当時は見た記憶がありません。もちろん家庭用ビデオデッキという文明の利器もありませんでしたから、この企画は嬉しかったですねぇ~♪
ところが、ビートルズが実際に登場するのは、番組のどのあたりなのかは、さっぱりわかりませんから、とにかく最初っから、じっとテレビ画面を見ている他はないのですが、それがなんとも退屈というか……。企画の性質からして、それは世界各国からのニュースレポートを繋ぎながら進行するという内容も、映像が白黒だったこともあって、???
そしてビートルズが登場したのは、5時半を過ぎていました。
場所はロンドンの、多分、アビー・ロード・スタジオからでしょうか、ビートルズが新曲をレコーディングするという生ライプ中継には、本当に心臓がバクバクするほど興奮させられましたですね。
しかもビートルズ本人達の風貌が驚くほど変わっていて、我国の音楽雑誌に掲載されていた近影と比較しても、まずジョン・レノンには髭が無くなっていましたし、現場に居並ぶ人々の多さとか、メンバーがヘッドフォンを着用していたのにも、非常に違和感を覚えました。
実は「Strawberry Fields Forever」のところでも既に述べたように、当時のビートルズに対して私は完全についていけませんでしたから、これでちょっと悪い予感に満たされたのが正直な気持ちです。
ところが、いざ歌と演奏が始まると、それはとても覚えやすく、ズバリ、良い曲♪♪~♪
ブラスバンドみたいな演奏パートも親しみやすく、なによりも最初の「ラァ~ヴ、ラァ~ヴ、ラァ~ヴ」という繰り返し、キメのコーラス「オール、ニード、イズ、ラヴ」と合いの手の「チャンチャチャカチャ~ン」の調子良さ♪♪~♪ ジョン・レノンの神妙にしてリラックスした歌いっぷりとヘヴィで煮え切らないようなストリングや混濁した音の彩りも、「Strawberry Fields Forever」よりは、ずっと洗練されているように感じたのです。また歌詞そのものも、簡単な英単語を使っていたのは大正解でしょう。
相当な眠気に襲われていたサイケおやじも、これで瞬時に目が冴えきって、当日は月曜日でしたから、そのまんまの勢いで朝飯を食って、学校へ堂々と行けたほどです。
さらに嬉しかったのは、その夜には再放送があったんですねぇ~♪
流石に早朝の放送時には家族に遠慮してテレビのボリュームを絞っていた私も、夜にはグッと大きな音でビートルズの新曲に酔い痴れましたですよ♪♪~♪
しかし残念ながら、この「愛こそはすべて」は放送の直近に発売されたアルバム「サージェント・ペバーズ」には収録されておらず、従姉から聞かせてもらったそのLPの内容には、またまた???
ですから、ようやく8月になって、件の新曲が発売されると知った時には心が躍り、小遣い倹約のために、1本5円のアイスキャンディーも我慢出来たほどです。
そしてついに手に入れた「愛こそはすべて」のシングル盤を、それこそ擦り切れるほど聴いていたのが、サイケおやじの昭和42年の夏でした。
いろんな文献によれば、その1967年はサイケデリック文化や音楽そのもので社会を変革出来ると信じられていた若者達の主義主張が最高の勢いだった頃で、サマー・オブ・ラヴなんて形容されているのですが、まさに少年時代のサイケおやじにしても、毎日が「ラァ~ヴ、ラァ~ヴ、ラァ~ヴ」と歌っていた時代でした。
ちなみに前述したテレビ生中継の歌と演奏に関しては、それが本当に公式発売されたレコーディングに使われたのかは、今もって疑問です。
実は後年、そのテレビ放送を直接録音したというテープを聞かせてもらったのですが、シングルバージョンでは存在するイントロのドラムスのロールがそこには無く、またジョン・レノンのポーカルそのものが異なっているように聞こえます。
このあたりは、公式映像作品の「ビートルズ・アンソロジー」でも解明されておらず、その場面では、なんとベストアルバム「青盤」等に収録のステレオバージョンが使われているんですねぇ……。もちろん、このシングル盤はモノラルミックスですし、テレビ生中継の時にはカラオケを使い、参加者多数のコーラス等々も雰囲気だけだったと思われますが、実際、謎は深まるばかりです。
ただし、その場のリアルタイムで動くビートルズと地球という空間を共有出来た喜びは、例えテレビという魔法の箱を通したものであったとしても、個人的には消し去ることの出来ない思い出になっているのでした。
1964年から1966年頃のビートルズの話をすればするほど、もどかしぃんです。
リアル・タイム同士でも、洋楽指向同士でも、
ビートルズに 『のめり込み度』には微妙に温度差があり、
中々マッチングする奴はおりません。
そんな中で、一人だけ同じレベルの者がいて、そいつがいたから楽しい学生生活が過ごせたのでしょう。
彼と僕は、生活のすべてが ビートルズ中心でした。
しかし、それも、サージャントや、イエロー・サブマンのサントラ・コンパクト盤までです。
60年代中期、ビートルズよりも魅力的なPOPSが、雨後のタケノコのように出現してきたのです。
ウォーカー・ブラザース、エレクトリック・プルーンズや、ブルー・チアー、ポール・バターフィールド、ビッグ・ブラザー 名前を挙げたらキリがありません。
あれほどのめり込んでいたビートルズと距離をおくと、
世の中ではやっとビートルズが市民権を得て、
今まで、馬鹿にしていた人たちが急に数年前の楽曲『イエスタディ』は素晴らしい・・とかなんとか 言い出してきましたね。
あれほど、音楽扱いされなかったのに。
ビートルズの良さを分かっていたのは、
キャー・キャー言っていたお姉ちゃんだんたんです。
それって、クィーンの時もそうでしたけ?
ぼやき親父。
コメント、ありがとうございます。
確かにビートルズ以降、素敵なグループや歌手が、どんどん登場しましたですね。それがほとんど、ロックという範疇で語られて、なんの遜色もないところが、今でも凄いと思います。
ただ当時は、女にロックはわからん! と決めつけるような思想信条が確かにあったと思うんですよ。音楽的男尊女卑というか、これはジャズにもあったようですが、つまりは男の「やっかみ」も半分以上はあったでしょう。
しかし女性ファンは、その純粋な思い込みゆえに、鋭くスタアの本質を見抜いています。パッと人気が出て、すぐに落ち目となる芸能界の掟も、また、しかりかもしれません。
クイーンの場合は、某大手Wプロの女帝が最初っから気に入って、我が国でのプロモーションや興業をバックアップしていたそうですよ。流石だと思います。
もどかしさ、と言えば、当時はお金がなくてレコードも満足に買えず、もう新譜を出さないでくれ! なんて矛盾した理不尽を願っていたこともありました(苦笑)。