OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アージェントに身構えた頃

2010-04-20 15:01:18 | Rock

Hold Your Head Up c/w Trgedy / Argent (Epic / CBSソニー)

1970年代キーボードロックの雄だったアージェントが、どうにかブレイクのきっかけとしたヒットが、本日ご紹介のシングル盤A面曲でした。

当時のメンバーはロッド・アージェント(vo,key)、ラス・バラード(vo,g,key)、ジム・ロッドフォード(b,vo)、ロバート・ヘンリット(ds,per) の4人編成で、本国イギリスでは1971年11月に発売され、翌年の春になって、ようやくチャートの上位にランクされたという遅咲きのヒットではありましたが、とにかくアージェントにとっては躍進の第一歩! そして我国でも昭和47(1972)年、ラジオの洋楽番組を中心に小ヒットしています。

で、これまでにも度々述べてきたように、アージェントはゾンビーズ直系の進化形グループとして、如何にも1970年代的なロックジャズとプログレの美しき融合だったわけですが、告白するとサイケおやじがアージェントを最初に聴いたのは、この「Hold Your Head Up」だったのです。

ただしスリー・ドッグ・ナイトのヒット曲「Liar」のオリジナルがアージェントであった事実を既に知っていたことから、身構えていたのは言うまでもありません。そしてこのシングル盤を買い、そこに掲載されていた解説文を読んで、大好きだったゾンビーズがアージェントに進化した経緯を知ったというわけです。

肝心の曲調はミディアムテンポで幾分単調なリズムパータンを用いながら、サビのキメになっている「Hold Your Head Up」というリフレインが覚えやすく、一緒に歌いながら、自然と気分が高揚していくという仕掛けは、ヒット曲の必要十分条件でした。

ちなみにこの曲はアージェントにとって3枚目のアルバムとなった「オール・トゥゲザー・ナウ」からの先行シングルとして、6分超のアルバムバージョンを3分弱に編集した所謂シングルバージョンですが、これには世界各国で様々な仕様が存在していると言われています。参考までに、この日本盤のランニングタイム表記は2分50秒!

しかし正直、アルバムバージョンに接してしまえば、完全に物足りません。

さらに言えば、歌と演奏の第一印象が、同時期に絶頂の人気を謳歌していたエマーソン・レイク&パーマーを狙った事がミエミエでしたから、アージェントの実力を完全に発揮しているアルバムバージョンが素晴らしいに決まっています。

その意味でB面に収録された「悲劇」なんていうストレートな邦題がつけられ「Trgedy」は、絶妙にファンキーなギターイントロからシンコペイトしたベースと重心の低いドラムスが全体をリードする名曲にして名演! アージェントならではのコーラスワークとキーボートの存在感、さらにゾンビーズ直系というキメのメロディ展開も最高という熱いハードロック♪♪~♪ 

個人的には、こっちの面ばっかり聴いていたのが当時の本音でした。

中間部で炸裂するベースとギターのカッコ良いユニゾンリフからオルガンのアドリブへと続く展開には、本当にゾクゾクさせられますよ。

ちなみに、この曲はイギリス等では「Hold Your Head Up」に続くシングルA面曲として、またまた短く編集されたシングルバージョンが登場し、期待どおりにヒットしていますが、この日本盤に収録されたのはアルバムバージョン! しかも微妙にミックスが異なっていますから要注意です。

もちろん件のシングルバージョンも、あらためて日本発売されたのですから、なんとも罪作りではありますが、そんなこんなもヒット曲と洋楽の楽しみだと思います。

ということで、ここで完全にアージェントの虜となった若き日のサイケおやじは、まずはこの2曲が収録されている前述のサードアルバムを買い、続けて1st「アージェント」と2nd「リング・オブ・ハンズ」の2枚のLPをゲットして、シビレまくったという次第です。

ただし、それでもリアルタイムの我国では、アージェントなんて、本当に「なんて」の評価しか得られず、知る人ぞ知るとい存在に甘んじていたのです。しかしそれが再び、あるきっかけで注目されることになるというお話は、次回へのお楽しみとさせていただきます。

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今でも仕事はアナログ主義

2010-04-19 17:00:08 | Weblog

昨日からの緊急出張により、本日の1枚の休載、ご理解願います。

それにしてもネットだ、ケータイだって言ったって、いろんな問題は実際に現場に行かなければ、きちんとした解決はつきませんねぇ。

今回もしみじみ、それを痛感しております。

我が国の親分も暗い顔ばっかりしていないで、現地に行ったらどんなもんでしょう。

僭越ながら、直接対話・陣頭指揮が問題解決には有効だと思います。

ということで。、明日は帰るぞぉ~~。

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それからのオールマンズ 其の壱

2010-04-18 14:48:17 | Allman Brothers Band

Win, Lose Or Draw / The Allman Brothers Band (Capricorn)

何事も過大な期待は禁物!

というはサイケおやじの座右の銘なんですが、どうにかそういう心境になれたのも、数え切れない失望や思い込みの激しさが裏目に出た、これまでの悲惨な日常の連続によるものです。

それは例えば、成人作品の予告篇で浮かれた気分を打ちのめされた映画本篇、表紙に魅了されて買ったビニール本の中身の欺瞞性、海外オークションでやっと競り落としたレコードの???な気分、各種ガイドブックの適当な解説、さらに女心や猫のきまぐれ等々、思い出すだけで一生を費やするのは必定なんですが、本日ご紹介のアルバムも、そのひとつでした。

主役のオールマン・ブラザーズ・バンドはご存じ、夭折の天才ギタリストとして今もロック史に残るデュアン・オールマンを擁したサザンロック勃興の立役者だったわけですが、そのデュアン・オールマン亡き後にも、残されたメンバーの踏ん張りによって「ブラザーズ&シスターズ」という大ベストセラー盤を出してしまったのが、今となっては苦難の道の第一歩だったのかもしれません。

当然、ライプ巡業ではトップバンドとして君臨し、金回りも良くなったグループは当然の帰結として酒や女、そして悪いクスリにどっぷり……。

さらに音楽的主導権争いもあって、まずはグレッグ・オールマンとディッキー・ベッツが1974年頃からソロ活動をスタートさせ、共に同時期に発売したリーダー盤が大ヒットしてしまったことが、さらにオールマンズを迷い道に踏み込ませたようです。

そして解散の噂が強くなっていた1975年、なんとかバンドを存続させようとするレコード会社の主導によって新作レコーディングが企画され、同年初秋に出たのが本日の1枚でしたから、待ちくたびれた世界中のファンによって、予約段階からゴールドディスクになっていたという伝説も!?!

もちろん洋楽マスコミは挙って強烈なバックアップ体制で持ち上げていましたから、若き日のサイケおやじは何の疑念も感じることなく、入荷したばかりの輸入盤を手にしたのですが……。

 A-1 Can't Lose What You Never
 A-2 Just Another Song
 A-3 Nevertheless
 A-4 Win, Lose Or Draw
 A-5 Louisiana Lou And Three Card Monty John
 B-1 High Falls
 B-2 Sweet Mama

結論から言うと、なんとも淀んだような、纏まりの無い仕上がりだと思います。

当時のオールマンズはグレッグ・オールマン(vo,key)、ディッキー・ベッツ(vo,g)、チャック・リーヴェル(key)、ラマ・ウィリアムス(b)、ブッチ・トラックス(ds,per)、ジェイモー(ds,per) というメンバーでしたが、まずジャケットに全員集合の写真が無いのも、なかなか意味深でした。

実は後に知ったことですが、1975年初頭から始まった録音セッションにはレギュラーの面々が一堂に会することがほとんど無かったそうで、そんなこんなから、特にドラムスはプロデューサーのジョニー・ザドリンが叩いているパートが多いと言われています。

またサウンド作りの面でも、ディッキー・ベッツとチャック・リーヴェルの対立、そしてグレッグ・オールマンのジコチュウが三竦みだったそうですから、他のメンバーがヤル気を失うのも当然だったのかもしれません。

おまけにグレッグ・オールマンのボーカルパートは、仕上げ段階でのオーバーダビングという孤独な作業だったか!?

ですから期待して針を落とした「Can't Lose What You Never」の倦怠して精気の無い仕上がりには、如何にも「やっつけ仕事」という感じが強く、ちなみにこの曲は偉大な黒人ブルースマンだったマディ・ウォーターズのカパーですから、おそらくはグレッグ・オールマンの主導だったと思われるのですが、率直に言って、とても期待の新作アルバムのド頭を飾れるものではないでしょう。

一方、ディッキー・ベッツは持ち前のブルーグラス&カントリーロックの趣味性を丸出しにしたというよりも、明らかに前作「ブラザーズ&シスターズ」で大成功したヒット曲「Ramblin' Man」路線の焼き直しという「Just Another Song」や「Louisiana Lou And Three Card Monty John」でお茶を濁したというか……。

そんな状況ですから、サイケおやじがA面でどうにか満足して楽しめたのはグレッグ・オールマンが自作した「Nevertheless」と「Win, Lose Or Draw」の2曲だけでした。しかし「Nevertheless」は熱気が不足していますし、アルバムタイトルともなった「Win, Lose Or Draw」にしても、シミジミとした哀愁を表現するにはグレッグ・オールマンの歌いっぷりがイマイチで、実に勿体無い限り……。

それでもB面のほとんどを使ったインストジャム風の「High Falls」は、チャック・リーヴェルが本領発揮のジャズっぽいエレピが最高にクールで熱い♪♪~♪ バンドのウリだったツインドラムスとラマ・ウィリアムスのペースも、きっちりと役割を果たしている感じですから、後にオールマンズが分裂休止状態になった時、チャック・リーヴェルとラマ・ウィリアムスがシー・レベルを結成して似たようなフュージョン演奏を展開してくれたルーツが、ここに記録されていたというわけです。

個人的にも、このアルバムの中では一番に聴いていたトラックでした。

しかしこんな演奏がオールマンズの全盛期に残されたというのは、やっぱり違和感があります。何故ならば、あの吹きつける熱風のような勢いが全く感じられませんし、洗練やお洒落なんていうキーワードはスワンプ&サザンロックを期待していたイノセントなファンには、ほとんど受け入れられないものでした。

だからこそ、オールマンズ的なマンネリに満ちたオーラスの「Sweet Mama」が非常に心地良く、この気抜けのビールのような歌と演奏が締め括りに相応しいのは、なんともやりきれません。

ただ……、それでも救いだったのは、このアルバム発表後のライプ巡業では、それなりに威厳と体面を保てていたことでしょう。公式盤とブートで今も楽しむことが出来るその頃の音源は、もちろんデュアン・オールマンが在籍していた時期とは比較にならずとも、このアルバムを幾分とも弁護する手段になったと思います。

現在のオールマンズはメンバーを入れ替えながら、元気にライプ巡業の日々を送っているのですが、はっきり言えば、それは個人的にも否定することの出来ない、素晴らしい伝統芸能でしょう。

そこに至るには、様々な苦渋の選択があったことは言わずもがな、きっかけとなったのは、このアルバムでした。

そう結論づけて後悔しないものを、サイケおやじは初めて聴いた時のがっくりした気分と共に、何時も思い続けているのでした。

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プリティ・シングスの埋もれた狂騒

2010-04-17 15:48:44 | Rock

Get The Picture? / The Pretty Things (Fontana)

サイケおやじがストーンズを聴いていく過程で、非常に気になったバンドがプリティ・シングスでした。

それはプリティ・シングスが公式デビュー前のストーンズに関係していたギター&ベース奏者のディック・テイラーよって結成されたという、当時は本当に少なかった我国の洋楽ニュースの中でも特に印象的な情報を知ってからのことです。

しかもプリティ・シングスはリアルタイムでストーンズ以上のワルだったとか!?

ザ・フー以前にロックオペラのアルバムを作っていたとか!?

とにかく知るほどに驚愕の新事実が浮かび上がってきたのですから、これはど~しても聴く他は無い!

と心に決めたものの、肝心のレコードが我国では入手困難……。

それは本国イギリスでも同様だったのが1970年代の事情でした。

しかし救世主はどこにでも確かに現れるもので、そんなある日、偶然にも再会した小学校時代の同級生のお姉様が交際していたイギリス人の彼氏が、若い頃にプリティ・シングスのファンだったことから、このレコードを譲り受け、また様々なエピソードを聞かせてもらうことが出来たのです。

それによるとプリティ・シングスは、やっぱりストーンズと比較されることが多く、まあ、そういう売り方だったんでしょうが結局は勝てず、また本当にメンバーの素行が悪くて、放送局や興行主から嫌われていたのが致命的……!?

ただし後年になるとメンバーチェンジを重ね、少しずつ音楽的にも認められていったそうですが、時に既に遅くというのが、その時までの真相らしく思われました。

それでも1965年末に発売された、このプリティ・シングスにとっては2枚目のアルバムは、ブリティッシュビートがストレートに表現された素晴らしい内容で、実質的には売れなかった現実が、本当に不思議に思えるほどです。

 A-1 You Don't Believe Me
 A-2 Buzz The Jerk
 A-3 Get The Picture?
 A-4 Can't Stand The Pain
 A-5 Rainin' In My Heart
 A-6 We'll Play House
 B-1 You'll Never Do It Baby
 B-2 I Had A Dream
 B-3 I Want Your Love
 B-4 London Town
 B-5 Cry To Me
 B-6 Gonna Find Me A Substitute

当時のメンバーはフィル・メイ(vo)、ディック・テイラー(g)、ブライアン・ペンドルトン(g)、ジョン・スタックス(b,hmc)、ヴィヴ・ブリンス(ds) という5人組で、もちろんディック・テイラーの目指すところは自分が主導するストーンズタイプのバンドという目論見だったのでしょう。

ちなみにディックテイラーはミック・ジャガーやキース・リチャーズと常に行動を共にしていたらしいんですが、そんな日々の中でブライアン・ジョーンズに出会ったのが運命の分かれ道!? 本格的に自分達のバンド、つまりストーンズをやっていく中で、本来はギタリストだったディック・テイラーはベースをやらされたりしたことから、去っていったと言われていますが、一説にはブライアン・ジョーンズやミック・ジャガーの後ろ盾だったアレクシス・コーナーとソリが合わなかったという……。

まあ、それはそれとして、とにかくメンバーを集めてプリティ・シングスと名乗ったバンドは1963年秋頃からロンドンでライプ活動をスタートさせ、そのストーンズ以上と評判になった過激なステージアクト、また当時としては長すぎたヘアスタイル等々で忽ち注目を集め、1964年6月に正式にレコードデビューするのですが、ジワジワと売れていった以降のシングルやEP、そしてアルバムの成果とは反比例する良識派マスコミからのバッシングが、日増しに増大していったそうです。

こうした事情は今になっての推察として、完全にストーンズ以上のワルを演じざるをえなかったバンドとマネージメントの思惑が行き過ぎた結果かもしれませんが、現実的には悪いクスリと酒に溺れていたドラマーのヴィヴ・ブリンスが、ある時はステージに放火したり、巡業の移動中には警察沙汰の問題を起こしたりという、本当のハチャメチャをやっていたのですから、せっかく完成した待望のセカンドアルバムが業界からも疎まれて当然の結果になったようです。

しかし、そんな話を聞かされながら聴いたこのアルバムは、なかなか素敵な魅力に溢れていました。

まずド頭に収録の「You Don't Believe Me」は当時のアメリカ西海岸でブームになっていたザ・バーズ風のフォークロックを、さらにブリティッシュビートで煮詰めたような素晴らしい歌と演奏が最高の極み! ちなみに曲を書いたのはフィル・メイと録音セッションにも参加したと言われるジミー・ペイジ!?

そして続く「Buzz The Jerk」や「Get The Picture?」という、実に荒っぽいムードが充満したオリジナル曲も、所謂ガレージと呼ばれるガサツな熱気が横溢した名演ロックで、イケイケのギターとブリブリのリズム隊が流石の存在感ですよ。

また「Can't Stand The Pain」のプレ・サイケデリックな試み、あるいはストーンズへの対抗意識を剥き出しにしたかのような有名ブルース曲のカパー「Rainin' In My Heart」での直向きな情熱は、好感が持てると思います。

ですからA面のラストを飾るに相応しい狂熱の「We'll Play House」が、尚更に素晴らしい前半のクライマックス! プチキレたギターアンサンブルと破綻寸前のロックビート、さらにエグ味の強いボーカルは、まさにロックの本質じゃないでしょうか。

その素敵な勢いはB面にも見事に継承され、「Terry-sh」なギターが炸裂する「You'll Never Do It Baby」、レイ・チャールズでお馴染みの「I Had A Dream」を捨て鉢な感性でカパーした狙いの的確さは流石!

さらに一応はバンドオリジナルという「I Want Your Love」のストレートな感性、そしてフォークロックのしぷとい変奏ともいうべき「London Town」の独自の個性が、これぞっ、プティ・シングスなのかもしれません。

しかし残念ながら同時期のストーンズと競合してしまったR&Bのカパー「Cry To Me」は、意図的にアレンジや歌い回しを変えてしまったのでしょうか、ストーンズのバージョンを既に体験していれば、いかにも「らしく」ありません。ただし、これはこれで、プリティ・シングスのガサツな熱気がたっぷりと感じられる、なかなか味のある仕上がりでしょう。

その意味でオーラスの「Gonna Find Me A Substitute」は、本当に粘っこくて剛直なR&Bロックの決定的名演で、ヘヴィなビートでブリブリにドライヴするリズム隊、ハナからケツまで弾きまくられるギターの狂騒、そしてロックボーカリストは、こう、あるべしっ! という完璧なお手本が楽しめると思います。

ということで、本当にロックがど真ん中の、素敵なアルバム♪♪~♪

もう、これがリアルタイムで売れなかったのが、信じられないほどですよっ!

ちなみに前述でちょいと触れましたが、レコーディングセッションにはジミー・ペイジ(g) の他に数名のドラマーが参加しているようですし、発売直後にはバンドレギュラーだったヴィヴ・ブリンスが馘首されたと言われています。

しかし、それでもプリティ・シングスの悪い評判は終息せず、いよいよ苦難の道を歩むことになるのですが、そうした実情とは裏腹に制作され続けたアルバムは、今日的な観点も含めて、ロック史では隠れ名盤化しています。

最後になりましたが、ストーンズとの比較云々では、やはり奥行とか粘っこさで、些か劣る部分は否めません。しかし独得の狂騒的な雰囲気はストーンズとは似て非なるもので、それはこのセカンドアルバムを楽しむことで、ますます夢中になれると思います。

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デイヴ・メイソン的1970年代ロック

2010-04-16 15:32:46 | Rock

It's Like You Never Left / Dave Mason (Columbia)

昨夜、ちょっとCD屋に行ってみたら、デイヴ・メイソンの黄金期だった1970年代の諸作が紙ジャケ仕様で復刻されていました。

ただし残念ながらボーナストラックがひとつも入っていなかったので、私は買いませんでしたか、これから何か聴いてみよう! と決意されている皆様には、本日の1枚をオススメ致します。

発売されたのは1974年、大手のCBSコロムビアと新規契約の第一弾とあって、如何にも当時のフィーリングとヤル気に満ちた名盤が、これっ♪♪~♪

ご存じのようにデイヴ・メイソンと言えばスペンサー・デイビス・グループのローディから、そのバンドの花形だったスティーヴ・ウィンウッドが独立して作ったトラフィックにギタリストとして参加しながら、現実的にはギターもロクに弾かせてもらえず……。

しかし歌作りの才能は素晴らしく、なかなかの名曲を残していたのですから、独り立ちしての活動の方が合っていたのでしょう。ただしそれにしても様々な不運や世渡りの下手さ加減があったらしく、広い交友関係が逆に裏目という因縁は続いていたようですが、とにか心機一転を狙ったこのアルバムは最高の仕上がりに♪♪~♪

そうした経緯は以前にも、先行シングルとなった「とどかぬ愛」で書いたとおりです。

 A-1 Baby... Please / とどかぬ愛
 A-2 Every Woman
 A-3 If You've Got Love / 愛を見つけて
 A-4 Maybe
 A-5 Head Keeper
 B-1 Misty Morning Stranger
 B-2 Silent Partner
 B-3 Side Tracked
 B-4 The Lonry One
 B-5 It's Like You Never Left / 忘れえぬ人

収録各曲の充実度は言わずもがな、参加メンバーも超豪華で、多くの曲でコーラスハーモニーの要所を司るのがグラハム・ナッシュ♪ さらにマーク・ジョーダン(key)、チャック・レイニー(b)、カール・レイドル(b)、グレッグ・リーヴ(b)、ジム・ケルトナー(ds) 等々の実力派に加えて、スティーヴィー・ワンダー(hmc)、さらには Son Of Harry 名義のジョージ・ハリスン(g) がっ!!

ですからデイヴ・メイソンの歌とギター、そして曲作りはもちろんのこと、アレンジとプロデュースも冴えわたりですよっ♪♪~♪

それは冒頭の「とどかぬ愛」から全開となって、続くアコースティックな小品「Every Woman」のホノボノとした雰囲気の良さは、グラハム・ナッシュとのコラポレーションが最高に和みます♪♪~♪

そしてジョージ・ハリスンの如何にもというスライドギターがイントロを飾る「愛を見つけて」の泣けてくるフィーリングは、本当に1974年がど真ん中のロック&ポップス黄金期♪♪~♪ 躍動的なリズム隊のグルーヴや意想外にソウルフルな女性コーラスの使い方も気が利いていて、この味わいは当時の我国歌謡ポップスにも存分に応用されたものです。

というA面初っ端からの三連発は、実に時代の要請に応えたキャッチーな流れだったんですが、一方、トラフィック時代を彷彿とさせる「Maybe」も良い感じ♪♪~♪ 十八番の英国トラッド風の曲メロとアコースティックギターがメインのアレンジは、絶妙の温もりを与えてくれるんてすねぇ~♪

あぁ、この湿っぽさが、デイヴ・メイソンのひとつの魅力でもあると思います。

また「Head Keeper」は、これ以前の元祖スワンプロック時代だった1972年に出したアルバム「ヘッドキーパー(Blue Thumb)」のタイトル曲だったんですが、ここではさらに力強さとファンキーさを前面に押し出しセルフカバーの大名演! 何時も同じようなフレーズばっかり弾いているギターが逆に頼もしく、多重録音によるキメのツインリードはオールマンズを意識しているのがミエミエながら、本当に憎めませんよ。

しかしそうした保守性が新進の意欲へと転化したB面も、なかなか素敵です。

まずはブラスやニューソウル系のリズムパターンを密かに導入した「Misty Morning Stranger」からして、無理を承知の強がりというか、こういうスタイルは前述したトラフィック時代からの好敵手であり、天敵でもあるスティーヴ・ウィンウッドには絶対に叶わないはずなんですが、終盤のギターソロの必死さが熱いです。

そのあたりの狙いは突然トロピカルになる「Silent Partner」がロギンス&メッシーナだったり、ファンキーソウルなロックインスト「Side Tracked」が、フュージョン期のオールマンズを先取りしていたりする、些か中途半端な流れになって……???

まあ、このあたりがデイヴ・メイソンの間口の広さというか、何をやってもそれなりに出来てしまう器用さの表れかしれませんし、ある意味では頑固者なんでしょうねぇ。

ですから居直ったようにジョージ・ハリスン風の「The Lonry One」を、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカをゲストに歌ってしまうという禁断の裏ワザが!?!

これもまた、素晴らしく心地良いですよねぇ~~♪

そしてオーラスが真っ向勝負のスワンプロックなファンキー天国「忘れえぬ人」なんですから、ここで全ては用意周到だったことが知れるという奥深さ! 本当にクライマックスでフェードアウトしてしまうのが勿体無い限りです。

ということで、収録各曲の充実度は満点に近いと思いますし、デイヴ・メイソンの如何にも1970年代的なギターとボーカルは唯一無二♪♪~♪ このあたりの感覚が好きになれるか、否かで、自己のロック感応指数が測れると仰った評論家の先生も居たほどです。

まあ、それは大袈裟だと私は思いますが、しかしサイケおやじの愛聴盤重要度が相当に高いところにあるのは確かです。

そしてそのアナログ盤に些かのガタを感じている昨今、せっかくのCD復刻をゲットしようか、迷っているのですが、多分、買うでしょうねぇ~♪

とにかく1970年代ロックが堪能出来ますよっ!

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プロコル・ハルムの真実ってなんだ!?

2010-04-15 16:47:36 | Rock

これが真実! / Procol Harum (Polydor / 日本グラモフォン)

永遠の名曲「青い影」でお馴染みのプロコル・ハルムの、全くヒットしなかったシングル盤です。

原題は「Quite Rightly so」で、本来は1968年のセカンドアルバムに収録され、イギリスでは先行シングル扱いだったんですが……。

しかしサイケおやじが長い間、これを求め続けていたのは、なんとイギリス以外の諸国で発売されたのが独自のシングルバージョン!? という情報を得て以降の事ですから、決してリアルタイムで聴いて、好きになって云々という話ではありません。

つまり珍しいというポイントだけで蒐集の対象にするという、なんとも陰湿で自己満足の快楽主義なんですが、中古盤屋を漁りまくって実際に入手してみても、どこが違うのか???

結論からいうと、微妙に歌詞が違っているというだけらしいですよ。

う~ん、それもあんまり、わかりません……。

肝心の楽曲そのものは、所謂クラシック路線のロックという、如何にもプロコル・ハルムが十八番のスタイルで、荘厳なオルガンの響きを活かしたスケールの大きさが魅力なのでしょう。しかし当然ながら、大ヒットした「青い影」には及ぶべくもありません。

ただし、後年のハードロック路線やプログレ風味の強くしたドラマチックな手法よりは、ずぅ~~っと好感が持てます。

こういうヒット狙いというか、小品的なプログレも捨て難い魅力があって、つまりプログレだってシングル盤で聴く時代が、1960年代だったというわけです。

それが真実!?

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コンパクト盤でもOKのピンク・フロイド

2010-04-14 18:15:30 | Rock

ビッグ4 / Pink Floyd (EMI / 東芝)

正直、ピンク・フロイドは苦手なんですが、それでも大ヒットアルバム「狂気」は好きですし、私には未だに理解出来ない名盤「原子心母」が出る以前のサイケデリック期は、もっと好きです。

ご存じのとおり、ピンク・フロイド結成時の主要人物はシド・バレットという、実にアブナイ感覚のギタリストだったわけですが、そのシリアスな表現手段を如何にポップに展開していくかが、ピンク・フロイドにとっては永遠の命題なのかもしれません。

当然ながら、シングルヒット狙いの初期楽曲は今日でも古びていませんし、その反面、アルバム中心主義になって以降は、何故かガチガチのロックファンほど冷淡な態度を表明するのが、今日の実相かと思います。

それはピンク・フロイドが、例えばイエスのような超絶技巧集団でもなく、キング・クリムゾンのような怖さも、エマーソン・レイク&パーマーのような自然体の構築美も、あるいはフォーカスやソフトマシーンのようなフュージョン指向も目指すところではないという、プログレに分類されながら、その立ち位置を自ら曖昧にし続けた結果かもしれません。

ですから局地的には高級BGMとまで揶揄されたのが、1970年代後半からの受け取られ方なんでしょうが、それゆえに凝りに凝ったステージアクトやライトショウを伴ったライプ巡業は常にソールドアウト! しかもその演目は過去のスタジオ録音アルバムの再現をメインに据えるという、非常に居心地の良いものです。

おまけに1980年代後半からはグループの分裂があったとはいえ、新作アルバムが過去のヒット作をセルフパロディしたかのようなものばかり……。

う~ん、これも伝統芸能プログレ篇というところなんでしょうか?

そんな状況ですから、サイケおやじは尚更にピンク・フロイドが苦手になり、また同時に初期の楽曲への偏愛度数が上がるという、なかなか天の邪鬼な道を歩んでいます。

で、本日のご紹介は、そんなピンク・フロイドが「狂気」で大ブレイクする以前の人気曲を集めた、我国独自編集のコンパクト盤♪♪~♪ 発売はジャケットにもあるとおり、昭和47(1972)年の来日に合わせたものです。

 A-1 One Of These Days / 吹けよ風、呼べよ嵐
 A-2 Julia Dream / 夢に消えるジュリア
 B-1 Point Me At The Sky / 青空のファンタジア
 B-2 She Emily Play / エミリーはプレイ・ガール

まず、この如何にもという邦題が泣かせますよねぇ~~♪

尤も「エミリーはプレイ・ガール」は、このコンパクト盤ではストレートに「シー・エミリー・プレイ」と表記されているんですが、やはり我国で最初にシングル盤が出た時のタイトルが素敵に決まっています!

肝心の楽曲は公式デビュー間もないピンク・フロイドが2枚目のシングルA面曲として、1967年初夏に発売した、実にポップなサイケデリックヒット♪♪~♪ 力強いピートと浮遊感に満ちたキーボード、そしてキャッチーな曲メロを彩る様々な効果音が見事に融合した抜群の仕上がりがニクイばかり♪♪~♪

ちなみに当時のメンバーはシド・バレット(vo,g)、リック・ライト(key)、ロジャー・ウォーターズ(b,g,vo)、ニック・メイソン(ds,per) という布陣でしたが、実質はシド・バレットのワンマンバンドだったと言われています。ただしピンク・フロイド結成前には、シド・バレット以外の3人がジャズや現代音楽を演奏するトリオを組んでいたそうですから、シド・バレット脱退以降の結束も当然だったと思います。

そうした成果は、なんといってもファンには一番人気であろう「夢に消えるジュリア」に顕著で、シド・バレット在籍時のシングル曲ではありますが、現実的には後任として参加したデイヴ・ギルモア(g) が既にライプ巡業で活躍していた1968年初夏の発売でしたから、全体に漂う穏やかで美しいフィーリングは、明らかにシド・バレットが抜けて以降の味わいに直結しています。

おそらく、この曲が嫌いなファンは存在しないんじゃないでしょうか?

しかし特に我国で一番有名なピンク・フロイドの楽曲は、「吹けよ風、呼べよ嵐」でしょうねぇ。なにしろ悪役黒人プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマ曲として、プロレスファンはもちろん、広く一般大衆に印象付けられた名演だと思います。

それは冒頭からビビン、ビビンと鳴り響くエレキベースを核として、暴風の効果音や不気味な不安感を増幅させる演奏展開が、本当にジャストミートの大衆プログレ! 何回かのリバイバルヒットが記録されたのも、ムペなるかなでしょう。

そしてこのコンパクト盤のウリだったのが、それまで我国では未発表だった「青空のファンタジア」でした。実は本国イギリスでは1968年、デイヴ・ギルモアが正式メンバーとして迎え入れられた直後のシングル曲として発売済みだったわけですが、契約の関係でしょうか、アメリカでさえも未発表になっていました。

で、その曲調は正直、ビートルズの「Lucy In The Sky With Diamonds」の展開をパクッたというか、本物から煌びやかな装飾を剥がし、デモテープの如きシンプルなスタイルで再構成したと言っては、言葉が過ぎるでしょうか……。

相当に期待していたサイケおやじは、強烈な肩すかしをくらった気分でした。

ということで、如何にもコンパクト盤という隠れ人気メディアの特性を活かした1枚だと思います。なにしろ発売された頃にはロックもアルバムで聴くのが本筋となっており、ましてやピンク・フロイドはアルバムでなければ真髄を楽しめないという定説が出来あがっていたのですから!?

しかし、そんなピンク・フロイドに馴染めない私のような者だって少なからず存在していたはずですし、もちろん経済的な理由も確かに強いものがありました。

現在のように曲単位でダウンロード出来る仕組みも無かった1970年代、コンパクト盤は以外にも強い味方だったというのが、本日の結論なのでした。

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ディランを歌ったホリーズの別れ道

2010-04-13 15:41:09 | Hollies

Hollies Sing Dylan (Parlophone)

リーダー格のグラハム・ナッシュが抜けてから初めて出されたホリーズのアルバムです。

内容はタイトルどおり、ボブ・ディラン作品集という企画物!?!

 A-1 When The Ship Comes In / 船が入ってくるとき
 A-2 I'll Be Your Baby Tonight
 A-3 I Want You
 A-4 Wheels On Fire / 火の車
 A-5 I Shall Be Released
 A-6 Blowin' In The Wind / 風に吹かれて
 B-1 Quit Your Low Down Ways
 B-2 Just Like A Woman / 女の如く
 B-3 The Time They Are  A'Changin' / 時代は変わる
 B-4 All I Really Want To Do
 B-5 My Back Pages
 B-6 Mighty Quinn

発売されたのは1969年ですが、ここへ至るには例えばアルバム「バタフライ」やシングル「キング・マイダス」等々、グラハム・ナッシュが主導していたサイケデリック路線の惨めな失敗が要因だったと言われています。確かに今日では、それらの諸作は再認識されていますが、明快なコーラスワークとメリハリの効いたギターサウンドをウリにしていた所謂ホリーズスタイルに馴染んでいたファンにとっては、違和感がたっぷりだったという推察は容易です。

リアルタイムのサイケおやじにしても、やっぱり「Bus Stop」を何時も求めてしまっていた気持を否定出来るものではありませんでした。

そして昭和43(1968)年の来日公演後から、グループ内のゴタゴタの末にグラハム・ナッシュは脱退というニュースが洋楽マスコミで伝えられ、それでも翌年春にはポップス王道路線の「ごめんねスザンヌ / Sorry Suzanne」という、まさに起死回生の傑作曲を出しながら、ホリーズは時代遅れに……。

で、そういう流れを決定的にしたのが、本日ご紹介のアルバムでした。

既に述べたようにサイケデリック路線の不発を反省したホリーズは、1968年秋に「ベストで行こう / Do The Best You Can」という素敵なフォークロックのシングル曲を出したのですが、本国イギリス以外では、ほとんど無視状態……。

しかし結局、この方向性に確信を抱いていたレコード会社とバンドは、次にボブ・ディランの楽曲をホリーズスタイルでカパーする企画を立案するのですが、これに断固反対していたのがグラハム・ナッシュだったというわけです。

なにしろ、そういうものは既にザ・バーズ等々がやりつくしたものでしたし、同じボブ・ディランのカパーなら、ザ・バンドのような力強くてファンキーなロックでやるのが当時の流行になっていましたから、企画そのもの云々よりも、ホリーズというグループの特性を勘案すれば、グラハム・ナッシュの危惧も……。

また何よりも、自分達独自の主張を盛り込んだ歌をやりたかったのかもしれません。

こうしてグラハム・ナッシュはホリーズを辞め、渡米してスティーヴン・スティルスやデヴィッド・クロスビーとの交流からCS&Nを結成するわけですが、ご存じのとおり、デヴィッド・クロスビーはボブ・ディランの楽曲をフォークロックでカパーする元祖だったザ・バーズのメンバーでしたから、なんという因縁でしょう。

というか、既にそうしたスタイルが古くなっていた現実を誰よりも察知していたのが、件のふたりだったのかもしれません。

しかし、このアルバムはなかなか素敵な仕上がりなんですよねぇ~♪

録音は1968年の秋からスタートしたそうですが、既にグラハム・ナッシュは脱退を表明しながら、数曲では演奏&コーラスパートに参加しているという説もあります。しかし完成したアルバムのジャケットには当然ながらグラハム・ナッシュの姿と名前が消えており、代わりにテリー・シルヴェスター(g,vo) を加えての当時のメンバーはアラン・クラーク(vo,hmc)、トニー・ヒックス(vo,g,etc)、バーナード・カルバート(b,g,key)、ボビー・エリオット(ds,per) が新生ホリーズでした。

まずA面初っ端の「船が入ってくるとき」は、バンジョーを大きく前面に出した軽快なアレンジと十八番の爽やかコーラスがジャストミートの名演なんですねぇ~♪ それも決してカントリーロックではなく、明らかにホリーズだけのスタイルを守り貫いているのが本当に潔いです。

また些かベタなハーモニカが逆に心地良い「I'll Be Your Baby Tonight」や気抜けのビールみたいな「I Want You」でも、きっちりとやっています。しかし、それが裏目に出たとしか言えないのが、ザ・バンドの演奏で定番化している「火の車」や「I Shall Be Released」でしょう。

なんか、気恥ずかしくて……。

そうした二律背反は、しかしホリーズの特徴が、ここぞとばかりに発揮された証明でもあって、力強さとか、スワンプとか、そういう粘液質なものとは相容れないスマートさがホリーズだけの魅力なのです。

その意味でオーケストラをバックにした「風に吹かれて」は、完全に時代に逆行しているとしか言えませんが、当時の現実は決してロックがバリバリの流行ではなく、こうした中道ポップスも大いに売れていたのですから、あながち間違った方針ではなかったと思います。

ただし、それが後世まで名演名唱として残っていくかと言えば……。

ですからB面に収録された「All I Really Want To Do」や「My Back Pages」といった、既にザ・バーズの素晴らしいフォークロックで大ヒットした有名曲は、本音で苦しいです。どうしても、そのイメージで聴いてしまいますから……。

しかし強烈なR&Rビートとコーラスワークが冴えまくった「Quit Your Low Down Ways」は、本当にホリーズでなければ成しえなかった秀逸な仕上がり♪♪~♪ もしかしたらビートルズがディランをやったら、こうなる!? という感じさえするんですよねぇ~♪

そして「女の如く」が、これまた白人ゴスペル風味とモータウン系ポップスのアレンジが見事に融合した隠れ名演で、ストリングスやオーケストラの使い方もイヤミになっていません。

さらに中期キンクス風アレンジがニクイばかりの「時代は変わる」、英国トラッドとカントリーロックをゴッタ煮として、ブラスまでも導入した「Mighty Quinn」の娯楽感♪♪~♪

もう、このあたりを聴いていると、これは立派なポップスアルバムの秀作!

そうです、ホリーズはポップスグループの王者だと思います。

そして、その認識が目覚めた後のサイケおやじは、このアルバムが愛おしい♪♪~♪

ボブ・ディランのポップス的な解釈としては、モダンフォーク寄りのピーター・ポール&マリーを筆頭に、星の数ほどのカパーが残されてきましたが、ここまでブリティッシュビートに拘ったスタイルは、まさに温故知新でしょう。

ただし既に述べたように、ここらあたりを境にして、ホリーズはロックバンドからポップスグループへと定着していったように思います。一方。グラハム・ナッシュはCS&Nとして大ブレイクし、新しいロックを牽引していったのも、なかなか味わい深い別れ道なのでした。

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サイボーグのウェザー・リポート

2010-04-12 17:07:24 | Rock Jazz

I Sing The Body Electric / Weather Report (Columbia)

ウェザー・リポートの諸作の中で、おそらくは一番に聴かれていないのが1972年に発表された、この公式セカンドアルバムじゃないでしょうか? 特に我国ではジャズ喫茶から率先して嫌われ続けていたように思います。

 A-1 Unknown Soldier (1971年11月録音)
 A-2 The Moors (1971年11月録音)
 A-3 Crystal (1972年1月録音)
 A-4 Second Sunday In August (1972年1月録音)
 B-1 Medley (1972年1月13日録音)
      1) Vertical Invader
      2) T.H.
      3) Doctor Honoris Causa
 B-2 Surucucu
(1972年1月13日録音)
 B-3 Directions (1972年1月13日録音)

上記の収録演目はA面にスタジオでの新録音、B面にはライプ音源という構成が本国アメリカでは目新しかったかもしれませんが、そのB面が来日公演からだった所為で、なんと同じソースを使った2枚組「ライブ・イン・トーキョー(ソニー)」が日本独自発売になっていたのです。

さらに何ともSFしているジャケットは、当時のイノセントなジャズファンにとっては特に忌み嫌う要素になっていました。

もちろんサイケおやじもリアルタイムのジャズ喫茶で聴いたことは、ほとんど無い!? という記憶でしたから、ウェイン・ショーターへの義理を果たすべく買ったのも、輸入盤が安くなった1974年のことでした。

そして聴いて吃驚!

そこには多彩なゲストを起用したスタジオ録音にレギュラーグループだけのB面という、まさにアナログ盤LPならではの両面性が見事に構築されていたのです。

まずA面冒頭からの2曲、「Unknown Soldier」と「The Moors」には前述したとおり、多くの助っ人ミュージシャンが集められ、中にはラルフ・タウナー(g) やヒューバート・ロウズ(fl) といった有名人から数名のコーラスシンガーやストリングスセクションまでも動員した、相当に練り込んだ演奏が作られています。

ちなみに当時のウェザー・リポートはウェイン・ショーター(ss,ts)、ジョー・ザビヌル(key)、ミロスラフ・ビトウス(b) の3人が所謂「Shoviza Productions Inc.」として制作全般の責任を負い、他に一応のレギュラー扱いだったのがエリック・グラバット(ds) とドン・ウン・ロマン(per) だったようです。

で、とにかく「Unknown Soldier」は4ビートのスタートですから、ジャズ者にも親しみがあって当然なんでしょうが、テーマらしき部分ではコーラスが入っていますし、どこがアドリブなのかわからないような展開では……。しかしその流れの中で炸裂するエリック・グラバットのドラミングや自由闊達に暴れるミロスラフ・ビトウスのペースは痛快ですし、多重録音で空間を自在に飛翔して出現するウェイン・ショーターのソプラノ&テナーのアグレッシプなソロプレイには、後年の全盛期には感じられない突飛さがあるのです。

さらに作曲したジョー・ザビヌルの趣味だと思われますが、様々な効果音やキメのコードワークも、なかなかに味わい深いですねぇ。

ただしそれは、当時のモダンジャズでは許容範囲を超えていたと思います。

ですから続く「The Moors」にしても、いきなりラルフ・タウナーのアコースティック・ギターが弾き出される展開に、ついていけないものを感じてしまうのでしょう。実際、始まりから曲全体の半ばまではギターソロなんですよ!?! そしてようやく作者のウェイン・ショーターがソプラノサックスで斬り込んで来たかと思えば、演奏は短いクライマックスで終息してしまうのです……。

そしてミロスラフ・ビトウスが書いた「Crystal」が、これまた問題というか、如何にも優しいメロディのようで、かなり抽象的なテーマと全体演奏が曲者です。極言すれば「アイランド」期のキング・クリムゾンのようでもあり、ソフトマシーンの類似系でもあるような、しかしそれでいて、これはウェザー・リポートでしかありえないのは、ウェイン・ショーターが多重録したサックスの真っ当なジャズっぽさがあるからでしょうか……。

そんな不可解なミステリは「Second Sunday In August」にも継承されていて、演奏をリードしていくウェイン・ショーターの足を引っ張るが如き他のメンバーの意地悪さが、実はひとつの終焉に向かっていくのですから、侮れません。

あぁ、疲れるなぁ~~。

でも、どこか心地良いんですよねぇ~~♪

という気分でレコードをひっくり返したB面は、いゃ~、本当にスカッとしますよっ!

基本は1972年の来日公演から渋谷公会堂でのライプ音源なんですが、巧みな編集によって前述した日本独自発売の2枚組アルバムよりも、ある意味では楽しめます。

まずはエリック・グラバットのドカドカ煩いドラムスが全力疾走し、千変万化のロックジャズが展開される「Medley」の中には、電気アタッチメントを使ったミロスラフ・ビトウスのアルコ弾きのアドリブが、なんとマイルス・デイビスがウリにしていた電気ワウワウのトランペットと同じ味わいになっています。

またリングモジュレーターやエレピを駆使するジョー・ザビヌルが、本当にファンキーロックがど真ん中の熱演ですから、ウェイン・ショーターが尚更に奇怪なフレーズを連発するという展開は、完全に当時の主流派ジャズから逸脱していたと思います。

ただし意地悪い観点としては、結局はマイルス・デイビス抜きのマイルスバンドであり、そこに至ったマイルス・デイビスが如何にジョー・ザビヌルやウェイン・ショーターといった、かつての子分達からアイディアを貰っていたかが実証されているのかもしれません。

まあ、どっちが先だったかは鶏と卵だと思いますから、とにかく聴いてシビレる演奏さえやってくれればOK!!

怖い異次元ミステリのような「Surucucu」から4ビートの快感へ導かれる「Directions」と続く流れも、最高に計算されつくした王道なんでしょうねぇ~♪ 私は好きです♪♪~♪

ということで、告白すれば最初はB面ばっかり聴いていました。もう前述の「ライブ・イン・トウキョー」よりも好きなほどです。おそらくジャズ喫茶で鳴ったとしても、違和感は無いと信じているのですが、現実は厳しく……。

ご存じのようにウェザー・リポートは、その存在感とは裏腹に初期の作品群はウケが悪く、どうにか一般的な人気を得たのは、ミロスラフ・ビトウスが脱退してからだったと思います。

その意味で、このアルバムなんか、もうミロスラフ・ビトウスのベースワークが無ければ成り立たないほどの怖さがあって、それはフリージャズにギリギリ近づいた暴虐や意想外のロックっほさの同居じゃないでしょうか?

もちろん、その居心地の悪さが、アルバム全体の人気の無さに直結しているように思います。

そして今こそ、聴かなければ勿体無い!

これを大声で訴えることが出来るのでした。

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イェ~、イェ~♪

2010-04-11 13:20:49 | Beatles

She Loves You c/w I'll Got You (Parlophone / 東芝)

昭和39(1964)年のちょうど今頃、私が初めて聴いたビートルズのレコードが、本日ご紹介のシングル盤でした。

それは従姉が我が家にあったステレオで鳴らそうと持ってきたものでしたが、今になって思うと、ビートルズの楽曲は、例えば「抱きしめたい」とかは既にラジオで知っていたような記憶があります。

しかしそれがブームになっていたかと言えば、否でしょう。

ですから従姉がこの時点でピカピカの新譜だったビートルズのレコードを買っていたという事実は、なかなか新しい感覚が冴えていたんですねぇ~。現在ではありきたりのおばちゃんになってしまった彼女について、認識を新たにする次第です。

しかも従姉はA面の「She Loves You」よりはB面の「I'll Got You」が素敵♪♪~♪

とか言っていたんですから、少年時代のサイケおやじには完全に???

もちろん後年になれば、その「I'll Got You」も大好きになったんですが、やっぱりズバッと炸裂するドラムスのイントロ! そしてイェ~、イェ~♪ というキメのコーラスが上手いんだか、乱れているんだか、ちょっと分からないその迫力には圧倒されましたですねぇ~♪

さらに全篇に横溢する疾走感、そして一端は終息しそうになって再び盛り上がって終るエンディングのせつなさも、当時の洋楽ポップスでは実に新鮮でした。

しかし少年時代のサイケおやじは、ビートルズがブームになって他の曲を聴けるようになった時、オリジナルよりはR&BやR&Rのカパーの方が、さらに好きになりましたですねぇ。尤もそうした歌と演奏も、その頃はビートルズのオリジナルだと思い込んでいたわけですから、今となっては苦笑です。

それと曲名の日本語表記なんですが、「ラヴズ」の「ウに点々」という書き表し方も、なかなかインパクト、ありましたですねぇ。それまでのサイケおやじは、当然ながら「フに点々」でしたから。

ということで、私にとっての果てないビートルズ天国への階段が、この「She Loves You」だったというのが、本日のお話でした。

ちなみに「She Loves You」はモノラルミックスしか存在しておらず、ステレオ表記のあるバージョンは全てニセステなんですが、1977年に我国で再発されたシングル盤「EAR-20224」は、そのニセステのさらに上を狙ったような、実にミョウチキリンな音になっていますから、これは案外と要注意かもしれません。

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