OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

オーディオラックの危機的状況

2011-08-21 15:15:17 | Weblog

さて、今日は朝からレコード棚やオーディオ周辺の掃除をやったんですが……。

流石に久々なんで、配線関係や裏側諸々が埃だらけでした。

で、ちょっと力んだわけでもないんですが、ラックの棚を支えている部分が寿命というか、ガクッといかれて、二段ほどダメになりかかってしまったです。

う~ん、アンプだって20キロ以上はあるし、なんだかんだで重量がキツイのが、ついにって事でしょう。

そのあたりは観念するほかはないと思いますが、いざ、新品と思っても、なかなかサイズや置き場所に合わなかったり、もちろん価格的にも熟慮が必要という結果です。

なによりも、入れ替えるとなると、レコード棚や入りきらないCDやDVDの山、配線や周辺の家具を全部移動させなければならないので、面倒極まりないのが大問題!

そこで、なんとか騙して様子見の今後ですが、下手にラックに触れると、一気に崩れそうな感じさえしてきましたら、クワバラクワバラ……。

なんとか持ちこたえてくれる事を祈るばかりです。

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またひとり、友人と永久の別れ

2011-08-20 16:00:53 | Weblog

友人急逝、葬儀列席のため、本日の1枚は休載させていただきます。

しかし、それにしても友人は呆気なく、この世に別れを告げて……。

ボキッ、と折れるような死に方は、何事にも粘り強い生き様とは正反対でした。

そういうもんなんですかねぇ。

悲しいとか、せつないとか、そんな気分よりは、色即是空……。

合掌。

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ハービー・マンのクールなラテンジャズ

2011-08-19 15:27:06 | Jazz

Herbie Mann At The Village Gate (Atlantic)

なにか我国の場合、真のモダンジャズは売れちゃいけない!?

そんな風潮が昭和40年代まで、かなり根強くありましたですねぇ。

このあたりの感覚は今日のお若い皆様には、ちょいとご理解しかねるところかもしれませんが、やはりジャズはジャズ喫茶で聴いてこそ、その真髄に触れることが出来るとか、あるいは高名なジャズ評論家の先生が推奨される作品こそが名盤と思い込まされていたのが、当時のジャズファンの一般的な様相だったと思います。

もちろん、そこには今は無くなってしまったメジャーな(?)ジャズ雑誌の存在も大きかったとサイケおやじは感慨を深くしているわけですが、そんなところから常に標的にされていたのがハービー・マンという人気プレイヤーでした。

なにしろラテンジャズに始まり、ボサノバやサザンソウル、ロックジャズからブリティッシュロックやレゲエ、さらにはフィリーソウルやディスコ路線という流行のビートを逸早く応用した独自のモダンジャズは、時代のブームを見事に反映していましたから、イノセントなジャズファンよりは、広く音楽愛好者にウケまくり♪♪~♪

本日ご紹介のアルバムも、まさにそうした中の代表作として名高いヒット盤なんですが、実は意外にも硬派な正統的モダンジャズが演じられています。

録音は1962年12月、ニューヨークの名門クラブ「ヴィレッジ・ゲイト」におけるライプセッションで、メンバーはハービー・マン(fl) 以下、ハグード・ハーディ(vib)、アーマッド・アブダルマリク(b)、レイ・マンティーラ(per)、チーフ・ベイ(ds,per)、ルディ・コリンズ(ds,per) という、おそらくは当時のレギュラーパンドの面々に、1曲だけベン・タッカー(b) が参加しています。

A-1 Comin' Home Baby
 とにかく矢鱈に調子良いブルースですから、これがウケなかったらモダンジャズなんて苦行と言われても、絶対に反論は出来ないでしょう。
 初っ端からウキウキさせられるリズムの楽しさはラテンビートの変形かもしれませんし、その繰り返すパターンが当時の最先端だった所謂モードジャズに応用されている疑念(?)も濃厚です。
 しかしハービー・マンが特にアドリブパートで披露する十八番の祭囃子っぽいフルートの音色とフレーズの兼ね合いは、こうした弾みのついた演奏では殊更に魅力を発揮し、であればこそ、そこにリスナーは素直に身を委ねることが出来るように思います。
 また作者のベン・タッカーが、この演奏にだけ参加しているのも強みのひとつで、ステレオ盤では右チャンネルに定位し、グッと本気度の高いベースソロは流石にツボを外していません。それは分かり易さと如何にもジャズを聴いているという基本的な快楽を与えてくれる職人技!
 もちろんハービー・マンのグループは、常に同じ姿勢を貫いていたと思われますから、ゲスト扱いのベン・タッカーが浮いてしまうなんて事はありえない話で、実は決してバカ騒ぎにならないクールなムードが横溢した演奏は、他にもハグード・ハーディのイカしたヴァイブラフォンも聞き逃せないポイントだと思います。

A-2 Summertime
 お馴染みのスタンダードメロディをじっくりとしたラテンジャズに仕上げた、なかなかの隠れ名演が、これです。
 いや、「隠れ」なぁ~んて言葉は絶対に失礼ですよねぇ。
 思わず反省のサイケおやじがグッと惹きつけられるのは、ハービー・マンの深~いアドリブで、寄り添うアーマッド・アブダルマリクのベースワークとキャバレーモードが全開のラテンパーカッション、さらに日本では全くの無名ですが、ハグード・ハーディのヴァイブラフォンは素晴らしすぎる快演を聞かせてくれますよ♪♪~♪ 自身のフレーズと連動した唸り声も良い感じ♪♪~♪
 ですから再び登場して演奏を締め括っていく親分のフルートが、些か神妙に思えてしまうのもムペなるかな!? しかし、それこそが当時のナイトクラブというか、大人の雰囲気を伝えてくれるのは嬉しいです。
 ジワジワと迫ってくる、この落ち着いた熱気が最高!

B-1 It Ain't Necessarily So
 さて、これこそがLP片面を全部使った硬派な演奏で、素材はガーシュンのスタンダード曲ながら、モダンジャズのプレイヤーが演じると、例えばグラント・グリーンにしろ、マイルス・デイビスにしろ、何故か重厚でハードな仕上がりにも成りうるポイントが、ここでの結論はシリアス!
 ハービー・マンは快楽優先主義と思い込んでいれば肩すかしどころか、見事な背負い投げをくらわされますよ。なにしろチャカポコのラテンリズムとモード系の手法、そして一途なジャズ魂が混濁しながら展開される演奏は、ちょいと結末が予想出来ない瞬間もあるほどで、全く何処に連れて行かれるか不安になるほどです。
 しかし、それでいて20分近い演奏を最後まで聴いてしまうのは、なにか心地良い惰性が提供されているといっては、問題発言でしょうか。
 それは決して不遜ではなく、サイケおやじとしてはジャズ喫茶での「居眠りモード」にも共通する快感と思っているのです。

ということで、既に述べたように、これはヒット盤として当時のジャズ喫茶でも特に「Comin' Home Baby」がバカウケしていたと、これは諸先輩方から伝承された真実なんですが、後追いで聴いたサイケおやじとしては、まず濃密に感じられるのがクールなムードの横溢!

なにか日活アクション映画のキャバレーシーンをイメージさせられる演奏は、これをバックに白木マリが登場し、セクシーなフロアダンスをやってくれそうな気配があって、それゆえにサイケおやじが愛聴するのも当然の仕儀なのです。

まあ、そんなところがリアルタイムではドC調と蔑まされたところかもしれませんし、分かり易さが逆に軽く扱われる要因なのでしょうか……。

振り返ればハービー・マンこそは元祖フュージョンの本家であり、ガチガチの4ビートジャズに拘らない姿勢は、それなりに頑固なファンを掴んでいたと思います。

なによりも売れていた、売れるレコードを作り続けた姿勢は絶対でしょうねっ!

私は好きです。

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懐かしくも忘れらない対自核

2011-08-18 15:50:05 | Rock

対自核 / Uriah Heep (Bronze / 日本コロムビア)

今もしぶとく活動を続けるユーライア・ヒープですが、やはり全盛期は1970年代前半でしょう。

なにしろ、その証として1973年の初来日公演は武道館であり、しっかりライプアルバムもレコーディングされたんですからねぇ~~~!

なんか、隔世の感があると言っては失礼かもしれませんが、翌年からの急速な落ち目街道は、メンバーが感電事故から悪いクスリがバレバレとなって解雇された末に急逝等々……。

その結成の経緯や公式デビュー時からメンバーの出入りが激しかったバンドとはいえ、以降の激動はちょいと把握しかねるほどです。

しかし既に述べた全盛期に出していたアルバムの充実度は、当時流行のブリティッシュ系ハードロックの中でも独得の個性を表現していたのですから、未だユーライア・ヒープが忘れられていないのも納得するべきだと思います。

それは例えば、本日ご紹介のヒットシングル「対自核 / Look At Yourself」にも顕著!

ちなみに当時のメンバーはデヴィッド・バイロン(vo)、ミック・ボックス(g)、ケン・ヘンズレー(key)、ポール・ニュートン(b)、イアン・クラーク(ds) という5人組になっていたようですが、既に回数を重ねていたレコーディングセッションには新旧メンバーやセッションミュージシャンが入り乱れていたとも言われていますので、そのあたりにも紆余曲折を辿ったユーライア・ヒープの歴史が???

また音楽性も一般的なハードロックのバンド編成からして、如何にもギターがメインと思われがちなんですが、サイケおやじの好みからすれば、ユーライア・ヒープは立派なキーボードロックの大御所であり、それは初期~中期の楽曲のほとんどを書いていたのがケン・ヘンズレーであるという現実にも即しています。

この「対自核 / Look At Yourself」にしても、イントロから重層的に使われるオルガン&シンセが終始演奏をリードする中で、キメのリフを弾くのがギターの役割であり、悪魔の叫びとまで形容されたデヴィッド・バイロンのボーカル&ダビングコーラスが、見事にひとつの様式美を作り上げている事がウケまくった要因でしょう。

キャッチーな曲調は言わずもがな、アップテンポで押しの強い展開はアマチュアバンドでもキーボードに自信のあったグループでは切り札的な演目になりましたですねぇ~~♪ ただし当然ながら、このシングル盤に収められたのはアルバムに収録の全長バージョンを短く編集したものですから、要注意!

ちょいと聞きにはディープ・パープルの二番煎じという感も、実はそれこそが憎めないポイントのひとつですし、同じくエマーソン・レイク&パーマー的な雰囲気も滲むという、これは如何にもリアルタイムの1971年を実感させてくれますよ。

う~ん、それにしても「対自核」っていう邦題も熱いですねぇ~~♪ 有名なピンク・フロイドの「原子心母」と並び立つ、なにか哲学的な思い入れさえ想起させられてしまいます。

ということで、ハードロックでは人気のキメ手となるハイトーンボーカル&コーラス、多重層的なキーボードワーク、そしてキャッチーでスピード感満点の曲想と執拗なギターワークが見事に融合した、これは流石にヒットして当然の名演!

ただし、個人的には録音がどこかしら薄っぺらい感じもするんですよねぇ……。

まあ、それは十人十色の好き嫌いとして、一度はお楽しみいただきたい懐かしのロックのひとつが、これですよ♪♪~♪

最後になりましたが、ユーライア・ヒープの魅力はアップテンポの楽曲よりは、幾分勿体ぶったスローな歌と演奏にあって、なかなかメロディアスで幻想的なところはムーディ・ブルースのようでもあり、時にはイエスとかフラッシュの如き、爽やか系プログレの様相も呈する「不思議さ」がサイケおやじの好みなのでした。

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GFRでベース初体験

2011-08-17 15:31:31 | Rock

Heartbreaker / Grand Funk Railroad (Capitol / 東芝)


サイケおやじが最初に覚えた楽器は、小学校でのたて笛とハーモニカを別にすれば、ギターでしたが、それはもちろんエレキブームからのロックやGSの流行と相互作用でありました。

そして、当然ながら最初はガット弦の所謂クラシックギターであり、次いでエレキに持ち替えていったのは自然の法則(?)とはいえ、欲張りなサイケおやじはザ・フーの「My Generation」におけるジョン・エントウィッスルの超絶プレイ、あるいはクリームのジャック・ブルースやゴールデン・カップスのルイズルイス加部、そしてポール・マッカートニーといった名手達の演奏にシビれてしまえば、ベースも弾いてみたいなぁ~~、という願望が強くなっていきました。

しかし現実的にはベースという楽器は手に入りません。

そこで、ギターの低い方の弦4本を使い、それらしい事を弾きながら、自分を納得させていたんですが、いよいよ高校生となって、同好会のバンドに入れてもらった時には、そこにベースを弾く先輩が鎮座されていましたから、少しは慣れてきた頃に「ベースをやりたい」という願いを申し出て……。

いざ、練習をさせてもらうと、これがちっとも思う様にはなりません。

なによりもギターに比べてフレットの間隔が大きい事もあり、単純なリフでも繰り返していると予想外に疲れるんですねぇ。しかも先輩が用意してくれたのは、四分音符ひとつと八分音符がふたつのシンプルなフレーズながら、それを延々と同じリズム感で演じ通すことの難しさは、半端ではありませんでした。

自分では合っていると思っていても、メトロノームには合わなくなるし、なによりも先輩からのダメ出しは激しくキツイばかり……。

まあ、このあたりはリズムギターの練習もきっちり出来ていないサイケおやじですから、当たり前田のクラッカーなんですが、如何に自分の願望が甘っちょろいものか、思い知らされました。

さて、そんな苦闘の日々がどうにか過ぎた頃、次に実際のバンド演奏の中で課題に提出されたのが、本日のお題というグランド・ファンク・レイルロード=GFRの代表曲「Heartbreaker」だったのです。

今となっては、なんであんなに突拍子もない人気があったのか、ちょいと理解しかねるGFRではありますが、とにかくリアルタイムでは圧倒的! 特にエレクトリックなバンドをやっている者にとっては絶対に避けられない存在感がありましたですねぇ。

そのあたりは、1969年の公式デビュー直後から、大音量というか、まさに轟音のハードロックをライプで演じていた事で、忽ち話題騒然! 中でもレッド・ツェッペリンのアメリカ巡業では前座でありながら、完全に主役よりもウケまくったという驚愕のニュースが、遠く離れた島国の日本でも洋楽マスコミによって、実しやかに報道されたのですから、たまりません。

メンバーはマーク・ファーナー(vo,g)、メル・サッチャー(b)、ドン・ブリューワー(ds,vo) というアメリカ人のパワートリオで、基本的な演奏スタイルはクリームというよりも、初期のブルー・チアーあたりの如何にもアメリカンなハードロックを継承していますから、決して凝った音楽性は追及せず、ライプでのアドリブ合戦も単純明快なリフやコード進行を外さず、極言すれば「ノリが一発」の魅力!

しかし、もうひとつの狙いは当たり前ですが、キャッチーな曲作りという部分であって、素敵なメロディは出なくとも、そこに何かしら調子の良いリフやバカにされても言い訳できないシンプルなコードの使い方等々を臆面も無く利用した歌と演奏は、案外と練り上げられたものかと思います。

例えば、この「Heartbreaker」はご存じ、我国では井上陽水が自作という「傘がない」に転用されたほど、まったくロック的にノーテンキな悲壮感が表現出来るコード進行は温故知新!

実は告白すれば、これは聴くよりも、やって楽しいのが本音の名曲でもありますよ♪♪~♪

ですから、GFRが我国で本当に大評判となったのは、2枚組で長尺な演奏も収めた通算4作目のアルバム「ライプ」を出して以降だと思いますし、それが今や伝説となった1971年の豪雨の中の後楽園球場公演に繋がったのは言うまでもありません。

ちなみにサイケおやじは、このライプには行けませんでしたが、その狂乱と興奮の様子は一般マスコミでも報道されましたし、ちょいと真偽は定かではありませんが、実はその所為で機材が変調し、演奏は途中からテープに切り替わったという説もあるようです。

閑話休題。

さて、気になるサイケおやじのペース初体験談の顛末は、既に皆様ご推察のとおり、バンドで合わせたリハーサルの段階から、ルートの音だけを無難に出していたという結果ですから、先輩の目論見はズバリと当たったわけです。

もちろん自分自身、それで納得していたわけではありませんし、これをきっかけにベースという楽器のあれこれを模索していくのですが、それにはリズム感の絶対的な会得が必須だと観念されられた部分もありました……。

ということで、後には自分だけのペースもゲットし、弾くことも大好きなんですが、とても縦横無尽にドライヴするようなプレイには程遠く、しかし何時かは!

なぁ~んて、今も気持だけは前向きなのでした。

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ジュディーに楽しくごまかされ♪

2011-08-16 15:27:21 | Pops

ジュディーのごまかし/ John Fred & His Playboy Band (Paula / キング)

日本人が洋楽を聴く場合、そのほとんどは外国語の歌詞が理解出来ないわけですから、つまりは曲メロや演奏が調子良かったり、あるいは琴線に触れる何かがあれば、それでヒットしてしまうのが本当のところだと思います。

ただし、これは例えば英語圏においても、ボブ・ディランの歌う言葉の意味なんて、ほとんどのリスナーには意味不明の場合が多いそうですから、所謂語呂と音楽のリズム&ビートがジャストミートの快感(?)を提供してくれるのならば、それはそれでヒットするのが世の常なのかもしれません。

そこで思い出すのが本日ご紹介のシングル曲「ジュディーのごまかし / Judy In Disguise」という、1968年の特大ヒットなんですが、とにかくイントロから調子良すぎるポップで弾んだ歌と演奏は、聴けば一発で虜にされること請け合い♪♪~♪

我国のラジオを中心とした洋楽番組でも爆発的にウケまくりでしたし、このイントロをパクッたテレビバラエティのジングルやCMソングも以降、数多流れていたほどです。

ところが、この歌は実に曲者というか、流行っていた時には何も考えずに楽しんでいたサイケおやじにしても、後に曲タイトルや歌詞がビートルズの「Lucy in the Sky with Diamond」に影響を受けた云々というエピソードを知ってからは、心中穏やかではありません。

それは確かに訳してみれば、「変装したジュディー」という曲タイトルやほとんど散乱した夢や夢精の如しという歌詞の内容が、当時流行のサイケデリックど真ん中のスリクでラリルレロという感じではありますが、その実態は作者のジョン・フレッドが件の「Lucy in the Sky with Diamond」を初めて聴いた時、「Lucy in the Sky」を「Judy In Disguise」と思い込んで聞いてしまった事に由来するとか!?!?

う~ん、そう言われればジョン・レノンのひしゃげて加工されたボーカルから、そんな風に思えないこともないんですが……。

この、実は今や有名となった裏話をサイケおやじが知ったのは、やはりラジオの洋楽番組で某評論家の先生が半分は笑い話的に語られた事あり、思わずホンマカイナァ~~? と関西弁が出そうになったほどですよ!?!?

ちなみにジョン・フレッドが、これをネタに「ジュディーのごまかし / Judy In Disguise」をヒネリ出した時には、完全に周囲から爆笑されたそうですし、実際にマイナーなインディーズからレコードを出した時にさえ、誰も本気にしなかったというのですから、これが1968年初頭にビートルズの「Hello Goodbye」に次いでヒットチャートのトップに輝いたという現実は信じ難いお伽噺でしょう。

そんな因縁を知ってみると、確かに中盤のモヤモヤしたサウンドコラージュンは一瞬、サージェントペパーズ症候群だと思えますし、歌詞を詳細に検証すれば、本家の「caleidoscope eyes」を「Cantalope eyes」と変換する強引なワザの幾つかが散見されますよねぇ。

ただし曲調は既に述べたように、お気楽なバラエティロック(?)だとサイケおやじは独り、思っていますから、念の為!

最後になりましたが、ジョン・フレッドとプレイボーイバンドは実在したバンドということで、一応は6人組のグループショットが洋楽雑誌に掲載されていたのをサイケおやじは見た事もありますが、主役のジョン・フレッドは典型的な二枚目のアイドル系シンガーですし、恐らくはレコードでの演奏はスタジオセッションのミュージシャンが動員されたんじゃないでしょうか。

なかなか上手く仕上がったバブルガムとしても一級品だと思います。

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ルー・ドナルドソンの素直にノレば、いいじゃなぁ~~い♪

2011-08-15 15:41:13 | Jazz

Good Gracious! / Lou Donaldson (Blue Note)

世の中、なるべくならば嘘の無いほうが良いし、バカと呼ばれようとも、やはり真っ正直な人に好感を抱いてしまうサイケおやじが好きなミュージャンのひとりが、ルー・ドナルドソンというジャズプレイヤーです。

ご存じのとおり、ルー・ドナルドソンはハードバップ創成に尽力し、きっちりと成果を残した名演名盤を残しながら、その全盛期には更に黒人感覚を強く打ち出したR&B風味のモダンジャズ~ソウルジャズへと歩みを進めてしまった事から、特に我国の評論家の先生方やガチガチに一本気の愛好者には軽く扱われていたのが、1970年代までの実相でした。

告白すれば、本格的にモダンジャズを聴き始めた頃のサイケおやじは、こういう人を好きだと言っては、いけないのか……。なぁ~んて本気で悩んだ(?)事もあったんですよ、今となっては笑い話なんですが。

さて、そんな中で本日ご紹介のアルバムはジャケットやタイトルが明示してくれるとおり、なかなか正直な楽しさが溢れる1枚♪♪~♪

録音は1963年1月24日、メンバーはルー・ドナルドソン(as)、ジョン・パットン(org)、グラント・グリーン(g)、ペン・ディクソン(ds) という、実にゴスペルファンキーな4人組が快演を聴かせてくれますよ♪♪~♪

A-1 Bad John
 シンプルなリフを使ったモダンジャズのブルース大会なんですが、まずは独得の残響音で叩いてくれるペン・ディクソンのゴスペルっぽいドラミングに耳を奪われてしまいます。
 う~ん、なんと言うか、ちょいとガサツでノリの良いシャップルビートが実に快適なんですねぇ~~♪
 ですから、グイノリのオルガンで躍動的なアドリブを展開するジョン・パットン、調子良すぎる合の手や十八番の針飛び三連フレーズを惜しげも無く披露するグラント・グリーンの骨太ギターが抜群の露払いを務めた後に登場するルー・ドナルドソンは、まさに親分の貫録!
 初っ端のオトボケフレーズもニクイばかりですが、パーカー派の面目も立派に堅持しつつ、随所に分かり易いキメを織り込むあたりは、如何にも大衆芸能の本質かと思います。

A-2 The Holy Ghost
 そして、さらにゴスペルフィーリングをモロ出しにするのが、このルー・ドナルドソンのオリジナルで、どっかで聞いたことがあるような、アメリカ南部風味の長閑なメロディは好印象♪♪~♪
 それをゆったりしたワルツタイムの粘っこいジャズビートで変奏していくですから、ジョン・パットンのオルガンは黒人教会のムードを我々に知らしめてくれるような熱演ならば、幾分肩の力が抜けたグラント・グリーンのギターも良い感じですし、ユルユルしながら実はビシッとタイトなペン・ディクソンのドラミングもジャストミートしています。
 ところが、肝心のルー・ドナルドソンが相変わらずのノーテンキ??? ほとんど何も考えていない場当たり的な吹奏は、確かに各方面からは顰蹙かも……。と思わせるに充分な遣り口が本当は狙いどうりなんでしょうねぇ~~~♪
 なにか非常に力が抜けていく心地良い倦怠が、大いに魅力の演奏だと思います。

A-3 Cherry
 しかし、A面ラストにはスタンダード曲を素材に、如何にも「らしい」ルー・ドナルドソンが堪能出来ますよ♪♪~♪
 なにしろバックのリズム隊がグイノリの4ビートを提供すれば、リラックスした中にも真っ当なビバップフレーズしか吹かないルー・ドナルドソンが屹立しているんですから、これぞっ! ハードバップのマンネリ的快感と言っては、贔屓の引き倒しでしょうか。
 個人的には、こういう演奏こそが、何も考えないでやってしまったに違いないと思うのですが、それでジャズファンの心を掴んでしまうあたりこそ、ルー・ドナルドソンの真骨頂なのかもしれませんねぇ。

B-1 Caracas
 グラント・グリーンがイントロで刻む、なんとも不器用なボサノバのリズムギターが逆に味わい深い演奏を見事に導いてしまうという、いやはやなんともの結果オーライが憎めませんねぇ~~♪
 実は演目そのものは、既に1954年夏のセッションで痛快なラテンジャズの決定版を吹き込んでいたルー・ドナルドソンの十八番ですから、ボサノバがブームとなっていたこの時期、あえて再び持ち出す意図も納得は出来るんですが……。それにしても一聴、このダサダサな雰囲気はクールでお洒落というボサノバのイメージとは相当に遊離した仕上がりがイナタイ!
 ところが、全体に滲むユルユルのホンワカムードが、なかなか不思議なムードを醸し出してくれるんですから、これはまさに良い味出しまくりの裏名演じゃないでしょうか。
 何時もながらにノーテンキなルー・ドナルドソン、ちょいと神妙なグラント・グリーン、ジョン・パットンのグビグビ唸るオルガンが気抜けのビールの様に感じられたとしても、それはそれでかなり練られたものだと、聴くほどに思います。
 ちなみに、些か重いボサノバを叩くペン・ディクソンのドラミングが、意外にも演奏を深みのあるものにしているのかもしれませんねぇ。
 こういう倦怠感は、クセになりますよ♪♪~♪

B-2 Good Gracious
 そしてお待たせしましたっ!
 アップテンポでブッ飛ばしていく、このアルバムタイトル曲こそが、ハイライト!
 テーマリフは相変わらずシンプルそのものなんですが、メンバー全員がアドリブパートをメインにしつつも、バンドとしての纏まりを忘れない感じで、つまりは自分以外の演奏を良く聴いていなければ出来ない表現が素晴らしいと思いますねぇ~♪
 まあ、そのあたりは完全に素人のサイケおやじの主観なんですが、それにしてもグラント・グリーンが演じる三連針飛びフレーズの乱れ打ちは痛快そのものですし、グルーヴィな4ビートのベースウォーキングを全面に出したジョン・パットンのオルガンからは、当然ながら絶妙のバッキングとアグレッシヴなアドリブフレーズが連続放射され、それを的確なリズムでサポートするペン・ディクソンは流石の職人芸!
 そこでいよいよ登場するルー・ドナルドソンが大ハッスルなのも必然的の快演なんですが、特筆すべきは、既に時代的には些か遅れ気味の典型的なハードバップをやっていても、そこには何の躊躇いも感じさせないという事じゃないでしょうか。
 サイケおやじが、この演奏を特に愛でるのは、そこに魅力を感じてしまうからなのです。

B-3 Don't Worry 'Bout Me
 オーラスは、まさに「お約束」というスタンダード曲のスローな演奏で、ジャズファンには良く知られた刹那のメロディを悠々自適に吹いてくれるルー・ドナルドソンが存在証明♪♪~♪
 ちなみに、こういう演奏になると、オルガンが雰囲気に流されるというか、些か甘いラウンジムードが醸し出されてしまうので、イノセントなモダンジャズマニアからは軽視される傾向にあるんですが、流石はジョン・パットン! アドリブに入った瞬間のちょいと吃驚させられるような音の構築は狙ったものでしょうか。思わず眠気(?)もブッ飛ばされてしまいますよ。

という事で、データ的にはルー・ドナルドソンが1960年代に一旦ブルーノートを離れる直前最後のリーダーアルバムという所為でしょうか、なにかノビノビとやりたいようにやった感じが強いと思うのは、サイケおやじだけでしょうか。

そのあたりは、パットン、グリーン&ディクソンというリズム隊とのコンビネーションが最高の相性を感じさせてくれる部分とも、絶対に共通しているのかもしれません。

ちなみに件のリズム隊は当時のブルーノートでは様々なセッションに起用されているとおり、ジャズ史的にも優れたトリオだったはずですので、気になる皆様は探索されると面白いですよ♪♪~♪ これまでに拙ブログでもドン・ウィルカーソンの「シャウティン!」、グラント・グリーンの「アム・アイ・ブルー」、そしてジョン・パットンの「オー・ベイビー」や「アロング・ケイム・ジョン」等々を掲載しておりますので、ご一読いただければ、幸いでこざいます。

そこで冒頭に述べたとおり、ルー・ドナルドソンはなかなか自分に正直な演奏を心がけていたように思いますが、この「自分に正直」というのは、極言すれば人生にとって、非常に難しい行いでしょう。

もちろんルー・ドナルドソンだって、緻密に考えてあれこれを演じていたはずですが、そうした目論見とか下心をリスナーに感じさせないナチュラルな感性が、ジャズの本質を体現しているんじゃないでしょうか。

と、本日もまた屁理屈優先のサイケおやじですが、やっぱり聴いているうちに素直にノセられてしまうのが、このアルバムに限らず、ルー・ドナルドソンの大いなる魅力でしょう。

そう思えば、ジャケットデザインのコンセプトが、ますますニクイばかりなのでした。

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ゴールデン・ハーフがくれた、あの夏の幸せ

2011-08-14 16:13:42 | 歌謡曲

ゴールデン・ハーフの太陽の彼方 (東芝)

夏真っ盛りのお盆!

あくまでもご先祖様の供養、お墓参りがメインではありますが、それさえきっちり済ませてしまえば、レジャーを楽しんでもバチは当たらないでしょう。

なにしろ、夏が真っ盛りですからねぇ~~~♪

となれば、必要なのは夏の歌ってやつですから、ついにというか、サイケおやじは本日ご紹介の1曲がなければ収まりがつきません。

ご存じ、ゴールデン・ハーフが十八番の和製ポップスカパー物として、昭和47(1972)年夏に大ヒットさせましたが、思えば当時の日本はまさにノッテケ、ノッテケ! どんな悪条件の中にも国と国民そのものが前向きだったと思います。

つまり、この「太陽の彼方(に)」はアストロノウツに始まり、藤本好一や寺内タケシで盛り上がっての日本の夏には定番化した流れを受け、ここにゴールデン・ハーフが決定版を出したところには、まさに我国の隆盛を歴史的に証明するひとつの流れがあると言っては、大袈裟でしょうか。

なにしろ日本男児が憧れの西洋系美女がキワドイ衣装や水着姿で歌ってくれるという、本当に求められていた芸能の本質を体現していたのが、ゴールデン・ハーフであり、しかも楽曲が日本人には最も親しんだ「前科」のあるロッキングルーヴな歌謡メロディとあっては、サイケおやじが裁判官であっても、「確信犯」は絶対でしょう。

そして我々は、素直にそれにノッテケで良かったんですから、本当に幸せな時代でした。

今となっては、この「太陽の彼方(に)」をリメイクする女性アイドルは登場出来ないでしょう。なにしろゴールデン・ハーフとの比較は避けて通れませんし、だとすれば水着やキワドイ衣装は必須ですから、そんな勇気がマスコミに甘えまくった現在の芸能界にあるとは思えませんからねぇ……。

ということで、掲載したレコードジャケット共々に、昭和というよりも日本の夏には必要十分条件の「太陽の彼方(に)」は、やっぱりゴールデン・ハーフが打ち止めの決定版!

リアルタイムで、これに接することが出来た日本男児は幸せ者というわけです。

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ビリー・プレストンのソウルとロック

2011-08-13 16:29:38 | Soul

I Wrote A Simple Song / Billy Preston (A&M)

1970年代、誰よりも有名だった黒人ミュージャンがビリー・プレストンでした。

と書いてしまえば、もちろん異論の噴出は当然でしょう。なにしろ当時は所謂ニューソウルの全盛期であり、また往年のR&Bスタア達にしても、そんな時代の趨勢の中で新たな境地に進む円熟期を迎えていたのですからっ!

しかしビリー・プレストンの場合は黒人音楽というよりは、ロックという白人音楽のフィールドから名前を売ってしまったという特異性があって、それは1969年初頭に記録されたビートルズのゲット・バック・セッションからアップルレコードでのリーダーアルバム制作、その繋がりからのバングラ・デシ救済コンサートでの大熱演、さらにストーンズのライプ巡業やスタジオレコーディングでの目立ちまくった暗躍(?)等々、須らく強い印象を残す活動の数々は、今日でも忘れられていないと思います。

そして同時期にA&Mへ移籍してから作られた自己名義のアルバムも、リアルタイムで抜群の売れ行きが続き、さらに今日ではフリーソウルなんていう意味不明の言葉に依存するDJ御用達であったり、そんなこんなから再発見されて後の新しいファンにも支持を広げている現実は否定出来ないでしょう。

さて、そこで本日のご紹介は、そんなビリー・プレストンが上昇期の勢いで発表した1971年の人気アルバム♪♪~♪ ゴスペルやジャズ、R&Bやファンキーロック、さらにはシンガーソングライター的な味わいまでもがゴッタ煮の歌と演奏は、まさにニューソウルのフィーリングが全篇に溢れる好盤ですよ。

 A-1 Should've Known Better
 A-2 I Wrote A Simple Song
 A-3 John Henry
 A-4 Without A Song
 A-5 The Bus
 B-1 Outa-Space
 B-2 The Looner Tune
 B-3 You Done Got Older
 B-4 Swing Down Chariot
 B-5 Got Is Great
 B-6 My Country 'Tis Of Thee

実は当時、このアルバムが注目されたのは、親友のジョージ・ハリスンが参加していたという話題があればこそで、それはシングルカットもされた「I Wrote A Simple Song」という、なかなか内省的なアルバムタイトル曲に顕著でした。なにしろジョージ特有の「枯れた泣き」のスライドギターが最高の味わいで楽しめますし、ビリー・プレストンの幾分抑えた歌いまわしがジャストミートのジェントルな曲メロ、さらにはバロック調のストリングスやツボを外さないソウルフルなホーンのアレンジが実にキャッチーな仕上がりなんですねぇ~♪ もちろん本人が演じるオルガンやピアノも良い感じ♪♪~♪

ちなみにアレンジにはクインシー・ジョーンズが絡んでいるのも、充分に納得される名曲名演だと思います。

ところが、何故かこれが小ヒット……。

しかし瓢箪からコマというか、驚くなかれ、このシングルのB面にカップリングされていたインスト曲「Outa-Space」が全米のラジオ局を中心にウケまくった事から、ついにはチャートのトップに輝く大ヒットになったのですから、流石にビリー・プレストンは凄いミュージシャン! 実際、ノッケからファンキーに突っ込んでくるキーボートとリズム隊のコンビネーションは、キメのリフやアドリブの分かり易さも含めて、たまらない熱気を撒き散らします。

ストーンズのファンの皆様ならば、1975年の全米ツアー及び翌年の欧州巡業のライプステージで、ストーンズの面々をバックに従えた爆発的なパフォーマンスで会場を興奮のルツボに叩きこんだ名場面が忘れられないはずですよねぇ~♪

う~ん、ファンキーなキーボードロックの極みつき!

そう書いてしまえば、これまた顰蹙かもしれませんが、ビリー・プレストンの魅力ひとつは、そういうロックフィーリングを隠そうとしない事かもしれません。

ですから、絶対的にファンキーなリズムセクションを構築した中でスワンプロックをやってしまう「Should've Known Better」や「John Henry」、おそらくはデヴィッド・T・ウォーカーが弾いているであろうメロウなギターが絶妙の彩りとなったゴスペルソウルの「Without A Song」にしても、実は白人ブルースロックからの影響が滲んでいるように感じるのです。

ただし、一方で痛烈な同朋意識を訴える「The Bus」の気持良いフュージョン感覚は流行の黒人音楽以外の何物でもなく、またアメリカ大衆音楽における黒人流行歌の役割を再認識させる「The Looner Tune」の楽しさは格別ですよ♪♪~♪

もちろん、このあたりの路線は以降に継承発展されていくわけですが、まだまだこの時期、つまり1971年当時の流行最先端はスワンプロックであり、シンガーソングライターのブームが大きく広がっていたとあっては、続く「You Done Got Older」が些か煮え切らないのも必然だったのでしょうか……。個人的にはデレク&ドミノスあたりに演じて欲しいような気分ですし、ビートルズの「Get Back」をパロったところはご愛嬌???

しかし、これを場面転換にしたかのように、続く「Swing Down Chariot」「Got Is Great」「My Country 'Tis Of Thee」の三連発は、まさにゴスペルロックのニューソウル的展開が最高潮! 似たような事は、例えばダニー・ハサウェイも同時期にやっていますが、ビリー・プレストンの何かふっきれた感性は唯一無二でしょう。

特にオーラスの「My Country 'Tis Of Thee」は渾身の名唱名演だと思います。

ということで、これ以降の本格的な全盛期に出された諸作と比べれば、かなり地味な仕上がりなのは否めませんが、ここに提示されたロックとソウルの並立関係はスワンプロックの発展形でもあり、未だ正体が明確では無かったニューソウルのタネ明かしとしても興味深いと思います。

ちなみに参加ミュージャンは既に述べたようにジョージ・ハリスン(g)、デヴィッド・T・ウォーカー(g)、クインシー・ジョーンズ(arr)、キング・エリソン(per)、クライド・キング(vo)、バネッタ・フィールズ(vo)、メリー・クレイトン(vo) 等々の有名人が多数クレジットされていますが、それ以外にも無記名の助っ人が活躍している真実は、まさに聴けば納得でしょう。

また、言うまでもありませんが、ビリー・プレストンの的確なボーカルの力とピアノやオルガン、さらに各種シンセ類の使い方も最高レベル! それは演目のほとんどが自作曲であり、自身のプロデュースによる忽せに出来ない決意の表明に他なりません。

全くこういうアルバムが普通に作られていたのですから、やはり1970年代は個人的な思い入れ以上に充実していたんですねぇ~♪

機会があれば、皆様にもお楽しみいただきた1枚です。

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素敵な歌は世界の果てまで

2011-08-12 16:21:08 | Pops

The End Of The World / Skeeter Davis (RCA / 日本ビクター)

最近は持ち前のネチネチした文章が鬱陶しい!

そういうお叱りの声がはっきり聞こえるようになりましたので、本日はシンプルに良い歌、素敵なメロディの楽しみがたっぷりのシングル曲です。

ご存じ、誰もが一度は耳にした事があるはずのオールディーズポップスで、歌っているスキーター・デイビスは一般的にカントリー&ウェスタンの歌手とされていますが、その本質は芯の強いロケンローラー!?

なにしろ本日ご紹介の「The End Of The World」は、自らを代表する1963年の大ヒットでありながら、現実的な制作の現場だったナッシュヴィルの業界からは、あまりにロック色が強いと非難されまくった伝説が残されています。

しかし、このスキーター・デイビスのバージョンが何故に「ロック色が強い」なぁ~んて言われるのか、サイケおやじには理解出来ません。

実はサイケおやじが「The End Of The World」という歌を知ったのは、我国のテレビをメインとした歌謡番組であって、リアルタイムから歌謡ポップス系の女性歌手によって堂々とカパーされていたんですから、耳に馴染んでしまうのも当然でした。

また洋楽ポップスの世界でもブレンダ・リーやカーペンターズのバージョンは、本家に負けず劣らずの仕上がりでしたから、そっちで知られている可能性も今や否定出来ません。

それは基本的に「The End Of The World」が決定的な失恋の歌であり、その絶望と刹那の情熱を表現するメロディは胸キュンの極みつき♪♪♪ しかも演奏パートの柔らかでゴージャスなフィーリングは所謂ナッシュヴィルサウンドの典型のひとつとして、度々引き合いに出される完成度を聞かせてくれるのです。

では、何故にスキーター・デイビスがロケンロールな人なのか?

なんとっ! 彼女はナッシュヴィルでは反主流派であり、ついにはカントリー&ウェスタン業界の祭典である「グランド・オール・オプリ」から締め出されていたというのですから、穏やかではありません。

どうやらそこには宗教問題があったと言われていますが、なんであれ、体制側に反抗する心意気は立派なロケンロールだと思いますし、そんなこんなから、彼女のヒット曲の大半はガチガチの本場カントリー&ウェスタン愛好者から無視されているという、ちょいと理解し難い現実も、そういう観点に立脚すれば、なんとなく分かるような気がしています。

ただし、そんな裏事情だって、この「The End Of The World」の名曲名唱の前には瑣末なことでしょう。文字通り、世界の果てまでも流れていく素敵な歌の力は不滅です。

ちなみに掲載のシングル盤はサイケおやじが高校生の頃、中古でゲットしたものですが、それにしたって「The End Of The World」という歌そのものに魅了されていた事は言うまでもありません。

さて、お盆ですねぇ、いよいよ。

おそらくは帰省されたり、バカンスに行かれる皆様も大勢いらっしゃると思いますが、そんな時には素敵な歌をお供にすれば、渋滞のイライラも遊び疲れも、気分的に楽になるんじゃないでしょうか。

個人的にはそんな時、スキーター・デイビスのベスト選的なカセットを持って行った時期が確かにありました。

皆様も、いかがでしょうか♪♪~♪

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