OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ここだけのインセンス&ペパーミント

2011-08-11 16:21:53 | Rock

Incenes And Peppermints / Strawberry Alarm Clock (Uni / 日本ビクター)

ネタに困ると所謂リバイバルやリメイクに走るのは、凡そ流行物を扱う業界では常套手段でしょうが、しかし「空気を読む」という要領が悪ければ、それは失笑……。

つまり時代の要請の中で、まさにリアルタイムでしか輝けなかったものが確かにあって、それを安易に焼き直そうとすれば、困難という以上の窮屈さが全てを失わせるんじゃないでしょうか。

例えば本日ご紹介のシングル曲「Incenes And Peppermints」は、一聴すればバブルガムに分類されそうな楽しいオルガンポップスだと思いますが、同時にサイケデリックがど真ん中の音作りとコーラスワークが見事に融合した奇蹟の名曲名演!

ですから、1967年というロックが混濁と成熟への道を辿っていた最中、見事にチャートトップの大ヒットになるのもムペなるかなです。

ところが演じているストロベリー・アラーム・クロックは、カリフォルニアのローカルバンドであって、こういうヒット曲にありがちなスタジオで作り上げられた架空のグループでは決してなく、それなりにきっちりした自分達の音楽性を持っていたと言われています。

メンバーはエド・キング(vo,g)、リー・フリーマン(vo,g)、マーク・ウエイツ(vo,key)、ゲイリー・ロベルト(vo,b,g)、ジョージ・パネル(vo,g,b)、ランディ・ソウル(vo,ds) という6人組で、実はデビュー前はふたつのバンドを掛け持ちしていた面々が合体してストロベリー・アラーム・クロックを名乗ったという経緯も、全ては「Incenes And Peppermints」のヒットに由来していたのです。

それはプロデューサーのフランク・スレイが後援していたソングライターのジョン・カーターが書いた楽曲をレコーディングする必要から彼等が選ばれたという、実に業界丸出しの裏事情があるとおり、件の「Incenes And Peppermints」を歌っているのは前述したバンドメンバーではなく、たまたまスタジオに遊びに来ていた友人(?)だったという伝説です。

おそらくバンドの面々にしてみれば、「Incenes And Peppermints」を演じる事はデモテープ作りという「お仕事感覚」しかなかったんじゃないでしょうか。

ところが地元のラジオ局が何故か「Incenes And Peppermints」を積極的に流したところから、大手のユニレコードで配給が決定し、アッという間に全国的な大ヒットになってしまった夢の中、急遽バンド名をレコード発売名義のストロベリー・アラーム・クロックに統一したのですから、いやはやなんとも!?

しかし大ヒットによって巡業ステージが義務付けられたバンドには、ウリの「Incenes And Peppermints」を実際に歌ったボーカリストは在籍しておらず、そのあたりの内部事情がストロベリー・アラーム・クロックを当時の業界では当たり前だった架空のスタジオグループに分類してしまった要因だと思います。

そこで問題の「Incenes And Peppermints」をじっくり聴いてみると、まず演奏能力とハーモニーワークがなかなか堅実で、さらにアレンジのセンスも侮れません。

おまけに1967年という、今日ではサマー・オブ・ラブなぁ~んて称されているサイケデリック感覚が滲みまくったサウンドの構成力も古びていないと思います。

ですから、これは決してリメイクなんか出来ない、まさにリアルタイムの時代の中で唯一無二に輝いた稀有の名曲名演♪♪~♪

とサイケおやじは考えるばかりなんですが、なんとっ! 我国で「Incenes And Peppermints」が流行ったのは1970年頃だったというオチがあるんですよっ! もちろんそれはラジオの洋楽番組をメインとした局地的なものでしたが、それでも初めて聴いた時には絶妙と形容するしかないキャッチーなロックフィリーングに完全KOされましたですねぇ~♪

ちなみにストロベリー・アラーム・クロックは、アメリカにおいて数曲のシングルヒットとマニア御用達のソフトロック系アルバムを幾枚か出しているんですが、結果的に一般ウケしたのは、この「Incenes And Peppermints」だけというのが現実でした。

また妙な「神聖」が、この歌と演奏に感じられるのは何故でしょう。

それは主観としてのロック全盛期が、その空気と共に全くの無意識で封じ込められた結果なのかもしれません。

まあ、そうした思い入れの強さが、サイケおやじを頑迷な愚か者にしているのでしょうねぇ……。

しかし悔しかったら、これを超える同曲のリメイクを聞かせて欲しいもんだと思うばかりです。


残暑感満点の実演深紫

2011-08-10 16:39:24 | Rock

Scandinavian Nights / Deep Purple (Connoisseur Collection)

残暑を「遅れて来た暑さ」と解釈するならば、本日ご紹介のアルバムこそは、まさにそれっ!

尤も、こちらは「熱さ」とするべきなんですが、とにかく今でも絶頂と認定するしかない所謂第二期ディープ・パープルが急上昇の勢いにあった1970年11月に残したライプ音源の発掘盤というだけで、ハードロックファンは全身の血液が沸騰させられるんじゃないでしょうか。

しかも発売された1988年頃といえば、やはり同じ第二期のメンバーによる再編ディープ・パープルが予想通り(?)に期待を裏切った巡業ライプをやった後でしたから、これに溜飲を下げたパープル信者も大勢存在していたはずです。

ちなみに、この音源は1970年代からブートで流通していたもので、ストックホルムで行われたコンサートを地元ラジオ局が放送用に収録したソースですから、音質は保証付き♪♪~♪ 当然ながら、ここで公式盤化された事により、盤質自体が既成のブートとは比べ物にならないほど良くなった点も嬉しかったのです。

 A-1 Wring The Neck
 B-1 Speed King
 B-2 Into The Fire
 B-3 Paint It Black
 C-1 Mandrake Root
 D-1 Child In The Time
 D-2 Black Night

で、上記演目からもご推察のとおり、この時期のディープ・パープルはイアン・ギラン(vo)、リッチー・ブラックモア(g)、ジョン・ロード(key)、ロジャー・グローヴァー(b)、イアン・ペイス(ds) という顔ぶれによってハードロック畢生の名盤「イン・ロック」を出した直後であり、しかも先行シングルの「Black Night」もウケまくっていたのですが、リアルタイムの業界では長いライプ演奏が必須という掟を遵守すべく、第一期からの十八番も披露されています。

そしてそれが如何にも第二期らしい、パワフルでスピード感に満ちたスタイルで煮詰められ、それでいてサイケデリックロックの残滓とも言うべきネチネチとしたアドリブ合戦による思わせぶりが並立している暑苦しさが、たまりません♪♪~♪

まあ、このあたりは純粋に第二期を愛するファンからすれば、実に面白くないところだとしても、それは納得するしかないでしょう。

例えばLP片面を埋め尽くした第一期からの演目「Wring The Neck」や「Mandrake Root」では、ジョン・ロードのオルガンがほとんどロックジャズしていますし、リッチー・ブラックモアのギターから飛び出すフレーズも強烈な早弾きの中にジャズコードのスケール&モードが頻繁に使われるという物凄さで、もちろんベースやドラムスのリズムとビートも臨機応変に対応していきますから、まさにバンドの演奏は千変万化!

ちなみに「Wring The Neck」はセカンドアルバム「詩人タリエシンの世界」に収録されていた「Hard Road」がオリジナルの曲名なんですが、何時の間に変えられたんでしょうか?

まあ、それはそれとして、こうした長尺演奏の中にはディープ・パープルのライプを決定づけるボーカル対ギターの相撃ち合戦も随所に飛び出し、興奮を煽ってくれますよ♪♪~♪

そして第二期の新曲となった「Speed King」や「Into The Fire」では更にヘヴィな質感とメリハリの効いた曲展開が優先され、「Child In The Time」では特有の様式美を確立すべく奮闘するバンドの勢いは流石!

気になる「Paint It Black」はご存じ、ストーンズの大ヒット曲をカバーしたものですが、実質的にはイアン・ペイスのドラムソロがメインであり、リッチー・ブラックモアの東洋趣味っぽいギターワークの冴えが短くしか聞かれないのが勿体無い!?

ただし、そのあたりは「Mandrake Root」で満腹させられますから、ご安心下さい♪♪~♪

そしてお待たせしましたっ! ついにやってくれる「Black Night」の爽快なハードロック天国は荒っぽさも良い方向に作用していますよ♪♪~♪

なによりも特筆されるべきはイアン・ギランという稀代のハードロック歌手が、既にして本領を発揮していることであり、時代性からライプの現場は楽器組メインの様相が強く感じられるのは確かではありますが、ボーカルパートの比重は決して疎かにされていません。

ということで、今となってはギットギトにヘヴィな音楽かもしれませんが、こういうドロドロしたハードロックの呪縛も必要とされていたのが、1970年代でありました。

しかし、それがウケなくなった時、リッチー・ブラックモアは逸早く深紫からの脱退を敢行し、楽々と虹の架け橋を渡っていったのも、それはそれで正しい道だったと思います。実際、ディープ・パープルの信者がレインボウに流れた歴史は述べるまでもないでしょう。

ですから、古くからのファンを嘆かせた再編第二期のディープ・パープルがイアン・ギランの歌うレインボウと化していたのは、あまりにも皮肉であり、ちょうどそんな時に堂々の自己確立を表明したこのアルバムが歓迎されるのも当然だったのです。

連日の猛暑と先行きの見えない社会情勢の中で聴くには、体力と気力が求められるライプ盤ではありますが、であればこそ、一度は洗礼を受けるのがロックファンの立場だと思っています。


暑苦しさも真夏の風物詩!?

2011-08-09 17:02:35 | Rock

悪魔の世界 / Black Sabbath (Vertigo / 日本フォノグラム)

立秋過ぎても猛暑が続くのは例年のパターンではありますが、本日は職場の冷房が午前中からブッ壊れて、最悪……!

もちろん節電要請から設定温度はそれなりに調整していましたから、ダイジョウブ!?!

なぁ~んて、思っていたんですが、やっぱりキツイです。

いゃ、そんな泣き事は炎天下で働く皆様には、申し訳ない気持なんですが、どうか根性の無いサイケおやじに寛容なお気持で接していただけますよう、お願い申し上げる次第です。

そして、フッと思いだしたのが、昭和30~40年代の我国では夏の風物詩のひとつとして、所謂我慢大会ってのがありましたですねぇ。

それはちょうどお盆前頃が吉例で、晴天の日中に炬燵に入り、ドテラを着込んで鍋焼きうどんを喰ったり、お汁粉や甘酒を味わいつつ、締め切った部屋にはストーブや火鉢が熱気を発散する中で、汗だくになって精神統一(?)に興じるという、今日からすれば、いやはやなんともの催しだったんですが、これがテレビのニュースで報じられたりすると、なぜか微笑ましくも、涼やかな安心感を漂わせるのですから、不思議なものでした。

さて、そこで本日は、そうした故事に習い、ご紹介する1枚は思いっきり暑苦しいのを出しておきます。

ご存じ、日本じゃほとんどウケないブラック・サバスのシングルオンリーという名(迷)曲「悪魔の世界 / Wicked World」で、このバンドならではのドロドロにオドロの世界が演じられていますが、時として妙に涼やかな瞬間もあるというあたりがクセになるんじゃないでしょうか。

ちなみに本国イギリスでは数種のシングル盤にB面収録されたらしく、勉強不足のサイケおやじには初出年月日が特定出来ていませんが、我国では「Paranoid」に続いての局地的ヒットになっていた記憶があります。

しかし個人的に、これに愛着を抱いてしまうのは、如何にも当時の雰囲気がキツ~く臭ってくるジャケ写の存在感で、本当に鬱陶しい野郎のバンド!

そういう佇まいもまた、ブラック・サバスの魅力だったように思います。

ということで、今になっても冷房修理は完了せずっ!???

明日は直っているといいなぁ~~~。


ジョー山中! 魂の絶唱!

2011-08-08 13:45:00 | 日本のロック

人間の証明 / ジョー山中 (ワーナーパイオニア)

ジョー山中の訃報に接しました。

最近、そういう文章を度々書かざるをえないのは、それだけ自分にも最期の時が迫っている証だとは思いますが、まさにこの世の真実は諸行無常……。

ジョー山中にしても、自らの病を公にしていたとはいえ、今年になっても東北の大震災後のボランティアや支援活動に姿を見せていましたし、その場での元気な振る舞いからしても、サイケおやじには今回の悲報が信じられない気持です。

またジョー山中という、あまりにも強い個性を表出させていた歌手、そして俳優としての活動と存在感は、そう簡単には消えていくものではないと思うばかり……。

その芸能界デビューは昭和41(1966)年、GSの491(フォーナインエース)にボーカリストとして参加した事に始まるとされていますが、実はそれ以前の昭和39(1964)年に公開された東宝映画「自転車泥棒(和田嘉訓監督)」にも出演しており、この時の芸名は両方とも、城アキラでした。

ただし実質的に491が残したレコードを聴いてみると、今でも局地的な人気曲「ウォーキング・ザ・バルコニー」のジャケ写には本人が登場しているものの、リードボーカルは別人、おそらく滝イサオだろうと言われていますし、もちろん昭和42(1967)年初頭のデビューシングル盤A面曲「星空を君に」も哀愁歌謡路線モロ出しという事で、歌っているのは全くバンドメンバーでは無かったルイ高橋というセッションボーカリスト(?)だったと、大昔に放送されたGS特番の中で某評論家の先生が暴露していましたが、確かに声が違っていました。

で、結局、城アキラが本当にリードを歌ったレコードは、昭和43(1968)年春頃に出した「悲しみの果てに」だけというのが定説なんですが、もちろん全く売れていませんし、仕上がりもR&B歌謡を狙いながら、それほど上手くは……。

ちなみに後に知ったことではありますが、491は寺内タケシの配下にあったバンドのひとつで、当然ながらインスト演奏も含めて、確かな実力はあったと思うのですが、やはり大衆芸能としてブレイクするのは厳しかったという事でしょう。

ですから城アキラも同年夏頃には491を抜け、ゴーゴー喫茶等でソロ歌手として活動する一方、例えば「不良番長」や「野獣を消せ」、「前科・仮釈放」等々の映画に出演する俳優業もやっていたのです。

そしてついに昭和45(1970)年、内田裕也がフラワーズを再編したフラワー・トラベリン・バンドにジョー山中として参加する事により、新しいスタートを!

今日では、このフラワー・トラベリン・バンドが世界に認められた日本のロックの先駆けとして、なにか異常に評価が高いわけですが、リアルタイムのサイケおやじの感性からすれば、ワザとらしい東洋趣味と英語主体の歌詞に馴染めなかったのが正直なところで、少なくともヒットしていたという記憶はありませんし、その頃の我国では歌謡フォークが盛り上がっていた状況も、マイナス要因だったと思います。

ただし堂々とアメリカのアトランティックレコードと契約し、現地へ乗り込んでの活動は大いに称賛されるべきものでしょう。なにしろ当時、盛んに議論されていた「日本語のロック」云々という問題にきっちりとひとつの結論を出し、日本のロックバンドが海外進出する足掛かりを築いたのですからっ!

そういえば、幻となった昭和48(1973)年のストーンズ初来日公演の前座がフラワー・トラベリン・バンドの予定だったという伝説も、懐かしいところです。

そんな所為もあったのでしょうか、フラワー・トラべりン・バンドは確か同年春頃に解散し、そこでジョー山中は再びのソロ活動を選択し、ついに昭和52(1977)年、自らも重要な役柄で出演した映画「人間の証明」の主題歌を爆発的にヒットさせるのです。

しかし、当時のガチガチのロックファンは、それをクイーンの「Bohemian Rhapsody」のパクリだとか、ジョー山中も歌謡曲に迎合したとか、諸々の言いたい放題だったんですよっ!?!?

それでも――――

 マァマァ~、ドュユゥ~、リィメンバァ~~

――と歌い出されてしまえば、それは日本人の琴線に触れまくりの泣きのメロディを哀切感たっぷりに表現していくジョー山中の真骨頂を否定出来はしないでしょう。

作曲は大野雄二、そして作詞は西条八十の「帽子」をベースに映画を制作した角川春樹とジョー山中が補作し、英語への訳詞もジョー山中ですから、気持が入るのも当然!?!

というか、物語そのものが「混血」という、当時の日本人にとっては相当に重いテーマを内包していますし、お叱りを覚悟で書かせていただければ、ご存じのとおり、前述した映画「自転車泥棒」も同じテーマを扱っているんですが、とにかくジョー山中本人にとっても避けて通れない宿命があったことは想像に難くありません。

また映画「人間の証明」の大ヒットも、当然ながら森村誠一の原作があり、制作スタッフの力量や出演者各々の名演が強い印象を残した結果ではありますが、やはり物語の実質的な主役を演じたジョー山中と自身が歌う主題歌があってこそっ!

確かに公開前の大宣伝の成果も否定は致しませんが、そこで既に流れていた主題歌のインパクトは、本当に強烈だった事を付け加えるまでもないと思います。

ということで、とにかくジョー山中と言えば、「人間の証明」を抜きにしては語れないでしょう。

まあ、本人を良く知る関係者や狂熱的なファンからは、「分かっていない」と顰蹙かもしれませんが、しかしジョー山中だって、この「人間の証明」を歌うことは、決して営業だけの事ではなかったと思います。

いや、サイケおやじは、そう思いたいっ!

それほど、「人間の証明」は心に響くジョー山中の魂の歌が凝縮されていると感じますねぇ~~~。

そして完全なる主観ではありますが、ジョー山中は元プロボクサーという履歴やルックスの所為もあって、近づき難い怖さもあるんですが、やはり生い立ちも含めての苦労人ですから、その素顔は優しくて、弱い者の気持や立場を尊重するハートウォームなロッカーだったとか、そういう人物像もあるようです。

あぁ、衷心より、ご冥福をお祈り致します。

合掌。


涼雨にもセンスが必要か?

2011-08-07 16:28:29 | Pops

雨のフィーリング / Fortunes (Capitol / 東芝)

天候不順の今年とは言え、やっぱり夏は暑いし、今日なんかは猛暑ですよねぇ~。

しかも所によっては大雨や所謂ゲリラ豪雨になっているらしいですから、こんなに暑くても、「一雨欲しい」なんて、迂闊に言えないのが昨今の異常気象!?

それでも個人的には「雨の歌」ってのが、かなり好きなもんですから、本日はついつい、ほどよい「雨」を求めて、こんなシングル盤を出してしまいました。

演じているフォーチュンズはイギリスのコーラスバンドで、その結成とデビューは1963年頃らしいのですが、もちろん最初は鳴かず飛ばずの下積み暮らし……。

そして、ようやくの初ヒットが1965年の「You've Got Your Troubles」でしたが、これが我国でどの程度流行っていたのかは、後追いで聴いたサイケおやじには知る由もありません。

告白すれば、サイケおやじがフォーチュンズに興味を抱いたのは、この「You've Got Your Troubles」を書いたのが、イギリスのポップス界を代表するソングライターチームのロジャー・グリーナウェイ&ロジャー・クックであったというポイントに尽きるのです。

さらに言えば、そうした衝動に火をつけたのが、本日ご紹介のシングル曲「雨のフィーリング / Here Comes That Rainy Day Feeling Again」であり、関わったソングライターが件のロジャー・グリーナウェイ&ロジャー・クックに加えて、これまたイギリスのポップス界にその人有りと知られるトニー・マコウレイなんですから、後は言わずもがなの素敵なメロディと楽しすぎるウキウキビートは「お約束」以上♪♪~♪

冒頭から弾みまくったリズムのイントロは、これが流行った1971年当時のモータウンサウンドを巧みにパクったニクイものですし、その流れに沿ったボーカル&コーラスがフォートップス調に仕上げられるのも無理がありません。

とにかく一聴して、これがヒットしなければ、ポップスの神様が激怒すると思われるほどっ! 実に楽しくてキャッチーな名曲名演だと思います。

肝心のフューチュンズは、既に述べたように1963年の公式デビューから数次のメンバーチェンジが行われたようですが、リーダーのロッド・アレン(vo,b) は不動であり、この時期にはバリー・プリチャード(g,vo)、アンディ・ブラウン(ds,vo)、デヴィッド・カー(key,vo)、シェル・マクレー(vo,g) が参加する5人組になっていたようです。

尤も実際のレコーディングにはホーン&ブラス、ストリングスやパーカッション等々の助っ人介在は言わずもがなでしょう。

ここでは特にヴァイブラフォンが絶妙のスパイスになっているあたりが、まさにリアルタイムの西海岸モータウンがモロ♪♪~♪

しかもフォーチュンズのボーカルスタイルが、何時ものエコーが効いたようなものから、ここではロックっぽいドライな感じに録られていますから、これが未だに新鮮さを失っていない秘密かもしれません。

と言うよりもフォーチュンズに限らず、この頃の英国産ポップスで世界的なヒットを飛ばしたエジソン・ライトハウスやホワイト・プレインズ、ピケティウィッチ、ホリーズ等々、本当にキリが無いほどのグループや歌手が演じてくれた名曲ポップス群には同じ味わいが濃厚で、それを辿っていくと必ずやロジャー・グリーナウェイ&ロジャー・クック、あるいはトニー・マコウレイという職業作家の名前に出会うのです。

ということで、所謂バブルガムに分類される英国産ポップスにも楽しみがどっさりあるというのが、本日の結論でした。

ただし、このあたりはリアルタイムの我国ではロック全盛期ということもあり、英国といえばハードロックやプログレが流行の対象でしたから、いくらラジオがメインの洋楽ヒットになっていても、それを探求するなんて事は局地的なマニアの研究材料だったのが実情です。

もちろんサイケおやじも、素敵な曲だなぁ~~♪

と思ってはいても、シングル盤を買うのは余程に気に入ったものだけでしたし、幸いにもこの「雨のフィーリング」は、その中の1枚だったとはいえ、系統的に鑑賞するなんて気にもならず、ましてや集中的なコレクションの対象にする覚悟もありませんでした。

そして、それがどうかに実行に移されたのは三十路に入ってからなのが真相であり、既に皆様がご推察のとおり、パンクやニューウェイヴなんてものがチヤホヤされ、聴くものがなくなった結果というわけです。

最後になりましたが、ロジャー・グリーナウェイ&ロジャー・クックは実質的な歌手活動として、ジョージ・マーティンもお気に入りだったディヴィッド&ジョナサンであり、そこでも楽しめる洒落たセンスこそが良質のポップスを生み出す秘訣だったように思います。


アビー・ロード対マクレモア・アベニュー

2011-08-06 16:55:31 | Soul

McLemore Avenue / Booker T. & The MG's (Stax)

世界中で一番有名なLPレコードは、そのジャケット&内容の全てにおいて、ビートルズが1969年9月に出した「アビイ・ロード」というのは衆目の一致するところでしょう。

ですから、そのカパー&パロディ盤が数多存在するのも道理であり、本日ご紹介の1枚は、中でもニンマリさせられるほどの秀逸アルバム♪♪~♪

なにしろジャケットからして完全パロディですからねぇ~♪

ご存じのとおり、ビートルズのカパーフォトが撮影された横断歩道のロケ地はEMIスタジオ前のアビイ・ロードですから、ブッカーTとMGs の面々も所属レコード会社のスタジオ前にあるメンフィスはマクレモア・アベニューを横断するという、実に気合いの入った企画の本気度も高いと思います。

そして当然ながら、演目も「アビイ・ロード」収録の名曲群なんですから、たまりません♪♪~♪

 A-1 Medley
       Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End ~
       Here Come The Sun ~ Come Together
 A-2 Something
 B-1 Medley:
       Because ~ You Never Give Me Your Money
 B-2 Medley:
       Sun King ~ Mean Mr. Mustard ~ Polythene Pam ~
       She Came In Through The Bathroom Window ~
       I Want To You (She's So Heavy)

さて、収録演目は上記のとおりですが、本家ビートルズの「アビイ・ロード」が特にLPのB面で披露した鮮やかで華麗なメドレーの様式美が、ここでも大切にされているは流石です。

と言っても、それは丸コピーでは決してなく、オリジナルの味わいを活かしつつも、きっちりと独自のアレンジを用い、さらに絶妙な流れが構築されているのです。

それは説明不要とは思いますが、ブッカーTとMGs は本来が歌手の伴奏を担当するグループであり、それゆえに自分達が主役となるインストの演奏は上手くて当然! そういう下地があってこそのアレンジの妙や演奏の職人技が楽しめるんじゃないでしょうか。

このアルバム制作時のメンバーはブッカーT(org,p)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、アル・ジャクソン(ds) の4人組で、ジャケ写から一目瞭然の白人2人に黒人2人という人種混成が、いろんな意味でメンフィス産のR&Bを成功に導いたという説には納得出来るものがあります。

なにしろメンフィスはアメリカの中でも殊更に人種差別が厳しく、白人と黒人が一緒に行動したり、同じ場所に居ることさえもタブーとされる土地柄だったのが、1960年代までの常識だったと言われています。

しかし、そんな環境の中で行われていた芸能活動、つまり主に黒人R&Bを演じる現場では白人がリーダーシップを執ることが珍しくなかったようで、それはレコーディングセッションにおいても、レコード会社のオーナーはもちろん、プロデューサーやバックバンドにも白人が多かった事は今や歴史として認知されています。

例えばブッカーTとMGs が所属していたスタックスは、オーティス・レディングやルーファス&カーラ・トーマス等々の偉大な黒人シンガーのレコードを世に出した忘れられないレベールですが、当時の経営者は白人でしたし、初期にはセッションの伴奏を務めていたマーキーズという演奏グループも全員が白人だったのです。

ただし、これも当然ではありますが、黒人ミュージシャンだって立派に活動していたのが本当のところであり、ブッカーTは前述のマーキーズが巡業に出ている間のレコーディングセッションでは中心人物として活躍していた俊英であり、アル・ジャクソンは地元の名手として、これまたライプの現場では堂々の活躍をしていたわけですから、自然とレコード制作に関わっていくのも時代の要請というところでしょうか。

つまり今日、所謂スタックスサウンドと称されるアメリカ南部産のR&Bがメンフィスで誕生したという説が強いのも、基本的には黒人ならではの粘っこいソウルビートを白人にも理解し易いように変化させた成果なのかもしれません。

その意味でスティーヴ・クロッパーとダック・ダンが前述したマーキーズ出身というのも充分に肯定出来る経緯でしょう。

こうしてひとつの流れの中で纏まったブッカーTとMGs が、スタア歌手の伴奏ばかりではなく、自らのリーダー盤を出してヒットさせるのは自明の理!?! 説明不要のシングルヒット「Green Onion」や「Time Is Tight」等々は誰もが一度は耳にしたことのある有名なリフでしょうし、なによりもシャープなスティーヴ・クロッパーのリズムギターや味わい深いリードプレイ、グルーヴィでソフト&メローなムードの演出も忘れないブッカーTのオルガン、意外にもモダンなダック・ダンのペースにドライヴ感満点の天才的なビートとリズムを提供するアル・ジャクソンという4人組が作り出す演奏は、未来永劫の基本的な音の楽しみがいっぱい♪♪~♪

ですから、アルバムも様々な企画の中で作られていますが、この「マクレモア・アベニュー」こそは所謂トータルアルバムの美味しい部分を抽出した確信犯的な楽しさがあり、加えてグループとしての音楽表現も充実しています。

ただしご推察のように、インスト演奏主体と言っても、それは決してアドリブ優先主義ではなく、ビートルズが提示した素敵なメロデイとコーラス&ボーカルの魅力をそれに置き換えることに主眼が置かれていますから、ご安心下さい。

極言すればハコバン的なチープな質感も大切にされ、それをショボイと批判するか、カッコ悪いことがカッコイイとする当時のフィーリングを肯定するかによって、自ずと好き嫌いが分かれるのは仕方のないところかもしれません。

それでも聴いていて心地の良い瞬間が多々訪れるのは確かであって、それは耳に馴染んだビートルズならではのメロディや演奏のポイントが、ブッカーTとMGs という職人集団によって中身の濃いソウルフルな味わいに仕立てられている証に他なりません。

万人向けとは申しませんが、機会があれば、お楽しみ下さいませ。

最後になりましたが、ジャケットに写っている道路左側の三角屋根の建物がスタックスのスタジオであり、昔は映画館だったとか!?

実はサイケおやじは1979年に現地に行くことが出来て、その歴史的な場所には流石に震えがきたほどでしたが、リアルタイムではテレビ用の貸しスタジオになっていたらしく、肝心のスタックスレコード本体も大手のファンタジーに売却された後でしたから、ちょいと寂れたところでしたねぇ……。

ということで、やっぱり「アビイ・ロード」は凄いなぁ~~♪

そう思うこと、頻りなのでした。


胃痛スッキリ

2011-08-05 18:23:10 | Weblog

胃の痛みと吐き気がぶり返してきたので……。

薬はやめて、大根おろしを茶碗一杯食べました。

結局は母親の知恵でしたが、これが正解!

以外にもスッキリ♪♪~♪

ついでに背中の痛みも消えたんですから、年寄りの言うことは疎かにできませんねぇ。

感謝です。


点滴受けて、その後は♪

2011-08-04 17:50:01 | Weblog

肉体疲労とストレスの所為か、胃の痛みに苦しんで、点滴受けてきました。

すると、なんとか普通に動けるようになるんですから、医学の力は偉大です♪

そこで、ついでというか、こっちが本命でしたが……。

団鬼六・追悼絵画展に行ってきました。

http://www.vanilla-gallery.com/

故・団鬼六先生の諸作品を彩った挿絵の原画が展示されています。

その顔ぶれが超豪華!

堂昌一(春日章)、沖渉二、宇野亜喜良、小妻容子
笠間しろう、熊田正男、小宮山逢邦、空山基、前田寿安
美濃村晃(喜多玲子)

もう、愛好者ならば感涙ですよっ!

流石は原画、非常に細かい描写は圧巻!

もちろん販売もしていますが、それなりに高値でした。

しかし買えたとしても、会社の応接室や自宅の居間には飾れませんよねぇ。

ですから、ひっそりとマニアが死蔵していくんでしょうか……。

一応、8月6日までなんで、気になる皆様は、ぜひっ!


用意はいいか!

2011-08-03 17:42:21 | Weblog

帰ってきました。

しかし、痛切に体力の衰えを感じましたですねぇ……。

心身の疲れが重たいほどです。

そして今回の出張で驚いたことがありました。

なんとっ!

あの大津波で行方不明となったはずの仕事先関係者が存命でした!

ちょいと遠隔地の病院に収容されていたために、生死が不明だったんです。

しかし、残念ながら寝たきりというか、記憶も部分的に失われているという……。

まあ、あの大災害では、そういう事も不可思議ではないし……。

命が残っているのは幸いと思うべきでしょうねぇ。

いや、何もかも失っても、命があると言うべきでしょうか。

大震災前にたっぷりとお世話になったサイケおやじは、覚悟を決めています。


被災地より

2011-08-02 17:32:36 | Weblog

旅中のため、本日の1枚は休載致しますが……。

それにしても大震災の悲惨は、今も継続しています。

とにかく瓦礫はまだまだ片付くメドもありませんし……。

ハエは大量発生しているし……。

政府、内閣、与党のバカどもには、この惨状が本当にわかっているのか!?

と、怒りと失望を禁じえません。

もう、国民ひとりひとりの責任と自覚でやっていくしかないでしょうね。

明日、帰りますが、今日は気分がヘヴィ&ブルウです。