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サイケおやじの生活と音楽

追悼・アントニオ猪木

2022-10-01 17:57:22 | 追悼

炎のファイター ~ アントニオ猪木のテーマ (Inoki Bom-Ba-Ye)
                      / アントニオ猪木とザ・ファイターズ (東芝)

稀代の天才プロレスラーにして、素晴らしいパフォーマーでもあったアントニオ猪木の訃報に接しました。

故人は説明不要、昭和から今日に至るプロレスや総合格闘技の理念や人気を確立させた偉業に留まらず、政治や様々な事業の分野においても、常に異端と先進を両立させんと奮闘し、それゆえに悪人扱いされる事も度々だったとは思いますが、時代を面白くした事は間違いありません。

思えば、サイケおやじがアントニオ猪木という偉人に圧倒された最初は、やはりプロレスラーとしての活躍で、日本プロレス在籍時にはジャイアント馬場と双璧のエース格でありながら、所謂「五厘下がり」という存在が暗黙の了解どころか、ファンならば誰しもが意識し、ちょっぴり悔しい気分にさせられていたのも現実……。

それが昭和44(1969)年に開催された第11回ワールドリーグ戦において初優勝した事を契機に、以降は猪木をエースに据えた「ワールドプロレスリング」がNET=現・テレビ朝日で放送開始!

つまり、ジャイアント馬場がメインの日本テレビ「日本プロレス中継」と二本立てでのテレビ放送が成立した事から、会社としての日本プロレスには興行収入と放映権による莫大な売り上げがあり、それが放漫経営や派閥抗争等々も含めて、結果的にプロレス界の混迷と活性化に繋がった事は今や歴史ではありますが、さて、その中でプロレスラーとしてのアントニオ猪木と個人事業主の猪木寛至は、そんな会社の体質を所属レスラー中心の運営に変えるという大義名分で動き出したのが仇となり、今となっては失敗したクーデター首謀者の烙印を押されて、日本プロレスから解雇処分……。

そこで自ら立ち上げたのが新日本プロレスという経緯は、良く知られるところでしょう。

ただし、当初はテレビ中継も無く、興行的にも出場レスラーの顔ぶれに知名度が不足していた現実から、ついに猪木が踏み込んだ禁断の領域が、日本人対決と異種格闘技戦であり、前者では国際プロレスのエースだったストロング小林との伝説的な名勝負が昭和49(1974)年、後者では昭和51(1976)年2月、オリンピックで金メダルを獲得していた柔道王のウィリアム・ルスカとスリル満点の試合を繰り広げ、このあたりが猪木の全盛期だったと思われますが、その勢いで挑戦を表明した相手が、当時プロボクシング統一世界チャンピオンに君臨していた超有名人のモハメド・アリだったんですから、これには世の中がひっくり返るほどの驚きで満たされましたですねぇ~~!?

なにしろ、シュートを連想させる「ストロングスタイル」という信条を標榜していたとて、所詮猪木のやっている事はショウスポーツであり、一方のモハメド・アリはガチンコのプロボクサーというのが、世間一般の見方でしたから、果たして実現は可能なのか?

という疑問疑念が渦巻く中、それでも猪木は臆する事なく、昭和51(1976)年6月、日本武道館で極みの異種格闘技戦を開催したのですから、これはこれで歴史に名を刻す大偉業でありましょう。

しかし、試合そのものは、やはり真剣勝負だったのでしょう、終始ほとんど何も起こらず、寝転がってキックを繰り出す猪木にイライラするモハメド・アリのショウマンシップばかりが目立つという展開で、興行的には成功でも、観衆にしてみれば大凡戦!?

当然ながら、テレビ中継もあったんですが、他局は完全に茶番扱いの報道に徹していた事は言わずもがな、それでも高校時代のサイケおやじに柔道を教えていた先生は、前述ウィリアム・ルスカ戦ではテレビの前でニコニコしていたのに、このモハメド・アリ戦は顔に汗がびっしょりだったとか!?

う~ん、真剣勝負の凄さ、つまらなさを同時に我々に伝えてくれたアントニオ猪木というプロレスラーは、やっぱり素晴らしいですねっ!

さて、そこで本日掲載したのは、今や誰もが一度は耳にしているはずの「アントニオ猪木のテーマ」をA面に入れたシングル盤なんですが、この楽曲は最初「アリ / ザ・グレーテスト」と題された、モハメド・アリの伝記映画のサントラ音源であり、作曲はマイケル・マッサー、演奏はマンドリルと名乗るアフリカのバンドが演じていたんですが、前述した異種格闘技戦の後にモハメド・アリからの許可を得て、猪木が自らのテーマに流用したという経緯があります。

そして昭和52(1977)年に発売された猪木バージョンは直居隆雄のアレンジによる、スタジオセッションプレイヤーの演奏になっているんですが、アントニオ猪木本人も掛け声で参加しているので、それなりに迫真の仕上りでしょう。

ちなみに「イノキィ~ボンバイエッ!」というキメのフレーズは、モハメド・アリのオリジナルバージョンでは当然ながら「アァ~リッ、ホンバイエッ!」ですから、気になる皆様は下記に掲載した原盤サントラ音源のLPでご確認くださいませ。

ということで、アントニオ猪木については、とてもとても書ききれないのが本当のところなんですが、常に「何か」を期待させてくれる人物であったと思っております。

例えば、プロレスをバカにする人々に対し、プロレスラーの中にも本物の強さを持った者が確かに存在するという真実を我々に伝えてくれたのは故人の業績のひとつであり、それは一般社会においても、常に軽く見られている人物でも、間違いの無い行いを普通にやっている、その見事さを認めるべきという教えだったかもしれません。

あまりにも破格の生き様を貫いた故人ですから、悪く言われるのも必然かもしれませんが、サイケおやじとしては感謝と哀悼の意を心から述べさせていただいたつもりです。

アントニオ猪木、永遠なれっ!

合掌。