この問題自身の犯罪性を数え上げてみよう。
①自由な市民討論が期待された場を、己の権力を使って、己の利己的かつ国家犯罪的利益のために利用したということ。国家から独立しているはずの教育委員会と現場教師を、こういう画策のサクラに使ったのだ。
②文部科学省の権限拡大のために、子どもを巡る数々の問題を「利用」したに等しい行為であったということもある。
③以下の犯罪的行為もこの間に日の目を見た。それらが②の証拠でもある。
「イジメ自殺はない」と歴代文科省統計で処理されてきたこと。ヤラセにおける「国(文部省)の役割」の強調。履修問題では「教育委員会」に責任を転嫁し、あまつさえそこを脅すように「このままでは卒業させられない」、「必要な授業は70か、いや50か」などと他人ごとのように、どさくさにまぎれて、我田引水の利己的ご都合主義行為を振る舞ってきたこと。
④以上全てにおいて、地方自治体の教育委員会を顎で使ってきたくせに、その権限を縮小する方向を画策してきたこと。ちなみに教育委員会とは、戦前の国家主義的教育を反省して作られた「教育の地方分権」の象徴的存在なのであった。
何と言うことだろう。これら全てが、国家の教育に関わる最高の「指導・助言」機関の所業なのである。幹部達の総入れ替え以外に道はなかろうとさえ言えるような、役割や行為についての無自覚この上ない悪行と言える。
こういった「習慣」の中で育った幹部達は、本来の学校教育最高の指導機関という役割には全く相応しくないはずなのである。子どもたちや「教育」に対して全くの反面教師と言うべきではないか。
日本という国は、なぜ、どういう経過でこんな体たらくになってしまったのであろうか?