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始まりました「蟻の兵隊」          シネ・ファン

2006年11月20日 23時43分51秒 | Weblog
今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、命令により中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。
                                      ※このほかネットで「蟻の兵隊」を検索すると沢山の支援のサイトが載っていました。名古屋での上映はと調べてみると8月5日から二週間開かれていました。

 アンコール上映が 11月18日(土)より12月1日までシネマシスコールで行われます。 上映時間は10時30分と2時10分のニ回 料金は千四百円
 シネマシスコールは名駅西ビッグカメラ北西らしいです。tel 052-452-6036

四日市中映シネマックスでも12月9日より、tel 059-353-3832

 
                                  
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日本国憲法の成立をめぐって その2 千里眼

2006年11月20日 17時12分48秒 | Weblog
1.ポツダム宣言受諾に際しての米国政府内の意見対立

 8月10日の御前会議で、国体護持を条件にポツダム宣言受諾を決定した日本政府は、中立国を通じて「国体護持」を条件に受け入れると、連合国に申し入れた。それを受けて、アメリカ政府はその取り扱いを検討する。そのホワイトハウスでの会議は長時間にわたった。スチムソン陸軍長官は、「流血の硫黄島、沖縄の繰り返しを避けるため」と「ソ連軍の日本本土侵攻を避けるため」に、この条件を認めるべきだと主張した。軍関係者は賛成したが、バンーンズ国務長官は強烈に反対し、あくまでも無条件降伏であるべきだと主張し、会議はまとまらなかった。翌日、トルーマン大統領は、妥協案を採用し、バンーンズ回答書が日本へ伝えられることになった。

 それは「天皇および日本政府の国を統治する権限は連合国最高司令官に属する」、「日本の究極的政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民が自由に表明する意思に従い決定される」というものであった。日本は8月14日の午前会議で最終的に受諾を決定したのだ。
 バンーンズ回答書の前者の部分は天皇を残した形での間接統治、後者の部分は天皇制については日本国民の意思にまかせる、という内容である。そして、この回答書が、その後の天皇の戦争責任を免責する根拠になっていくのである。(この記載は、おもに荒井信一著「戦争責任論」岩波現代文庫に依拠する。これは非常にいい本である)
 
2.アメリカ政府の日本占領基本政策-間接統治方式

 このバンーンズ回答書の内容が、その後の国務省及びGHQの日本統治の基本原則として継承されていった。それは、9月9日のマッカーサーの「日本管理方針に関する声明」でも明確に示されていた。バンーンズ回答書の内容に加えて「自由主義を助長する」という内容が付け加えられているものであった。その後の様々な資料がそれを証明している。
 
3.憲法制定についてのGHQの基本的態度

 米国政府の憲法改正についての基本方針は「日本の統治体制の改革」(1946年1月7日)に始めて記されている。「選挙民に責任を負う政府の樹立、基本的人権の保障、国民の自由意思が表明される方法による憲法の改正といった目的を達成すべく、統治体制の改革を示唆すべきである」とし、憲法改正は、日本側が自主的に行うように導かなければ、日本国民に受容されないので、改革の実施を日本政府に「命令」するのは、「あくまで最後の手段」であることを強調している。
 『日本側に自主的に作らせる』というこの方針を、マッカーサーもGHQも受け継いでいたことは明らかである。GHQ文書、その幹部のメモを見てもそう言える。

4.日本側の憲法改正案の内容とその特徴

 日本側の憲法改正談義が活発になるのは、10月4日、10月11日の近衛・マッカーサー会談がきっかけとなった。近衛の問いに対し、マッカーサーが始めて憲法改正の必要について示唆を与えたことに始まる。
 幣原内閣の閣議で研究開始を決定したのに続いて、民間でも様々な議論が交わされ新聞紙上を賑わせた。
 「憲法問題調査委員会」の案がまとまるのは、翌1946年2月2日のことであった。その前日の毎日新聞のスクープで、その内容を知ったGHQは、そのあまりにも時代錯誤的な内容に驚いたのだ。

  第一条 日本国は君主国とする。
  第二条 天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行う
  第三条 皇位は皇室典範の定むる所に依り万世一系の皇男子孫之を継承す
  第十条 天皇は行政各部の官制及び官吏‥‥を任命す

 「わが国は君主国であり天皇は統治県を総攬する根本原則には些かの変更もなく」と松本が説明しているように、明治憲法をそのまま引き継ぐ内容であった。勅令の発布権まで天皇に認めているのである。

5.GHQの政策・態度の転換
 この『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなった。
 マッカーサーは、ただちに憲法改正を日本側にまかせる態度を転換し、2月3日に民生局へ憲法草案の作成を指示した。ラウエルらはわずか1週間で原案を作成し、マッカーサーは2月12日にその草案を承認した。

 ラウエルは、GHQ草案作成にはいる以前に目を通した、憲法研究会の案「憲法草案要綱」に注目していた。ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたメモが国会図書館に所蔵されている。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」であると評価している。
 GHQ草案作成をわずか1週間で仕上げるには、この検討済みで内容に賛成していた憲法研究会案を下敷きに使う以外に道はなかったのだ。

6.憲法研究会の「憲法草案要綱」の内容

 憲法研究会のメンバーは、高野岩三郎、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵の7名である。
 その草案の内容を次に示す。(条文を部分的に次に引用する)

 国家の統治権にかかわる部分では、国民主権を明確にし、天皇は国家的儀礼のみを担当するとしている。現在の象徴天皇制とほぼ似た内容である。

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス

 国民の権利義務については、国民の請願権、発案権、国民投票権を規定するなど、すぐれた内容を持っている。

一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制‥‥
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス

 上記の「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」という条文は、現憲法の第25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という形でそのまま生かされている。この生活権・生存権の考え方は、欧米の基本的人権の理念のなかには含まれていなかった内容である。したがってラウエルらが考え付くはずはない。明らかに、この憲法研究会案を下敷きにした証拠である。
 民生局内部の原案作成作業について、一連の作業経過が分る資料が国会図書館に所蔵されている。この分析をする余裕は今回なかった。

6.まとめに代えて

 保守系論客の言う「日本国憲法はアメリカが押し付けたものだ」という見解は誤っていることは、以上の私の分析で理解してもらえるはずである。
 1946年2月2日以前においては、アメリカ政府もGHQも一貫して、日本が自主的に憲法改正を進めることを期待していたのは明らかである。これを否定することは、きちんとした資料が残されている以上、不可能である。

 では、2月3日のマッカーサー民生局への指示については、私はこう思う。松本烝治ら政府案作成にあたった人たち、幣原喜重郎首相など政権中枢の人たちの、あまりにも時代錯誤的な暗愚さが、この結果を生んだと言わざるを得ない。天皇制を明治期と同じ形で温存することの不可能なことは、明らかであったにも関わらず、明治憲法の部分的手直しで、連合国側が受け入れるであろうという甘い観測がどこから出てきているのであろうか。彼等の手記や関連メモが残されているので、こうした分析は可能である。

 民生局のラウエルが、わずか1週間でGHQ草案をまとめた経過は前に述べたとおりである。あきらかに、憲法研究会の「憲法草案要綱」を下敷きにしていたであろうことも前に述べたとおりである。
 保守系論客や自民党など改憲論者が「アメリカに押し付けられた」という主張は、憲法第9条を改正の理由付けに利用しているのに過ぎないのだ。
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