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佐竹本「36歌仙絵巻」の流転          飛天

2006年11月26日 12時35分14秒 | Weblog
 数奇な流転の運命をたどった秋田藩主佐竹家秘蔵の「三十六歌仙絵巻」、その数奇な流転の歴史は、そのまま大正・昭和の日本の激動の歴史と重ね会う。この絵巻物の歴史をたどってみよう。
 この優美な佐竹本の模写本(これも極めて貴重で高価)が、斎宮歴史博物館という名古屋人にとっては身近なところに存在している。
 写真版で見るかぎり、極めて優美で保存がよい。徳川美術館所蔵の源氏物語絵巻のような色褪は極めて小さい。佐竹家がいかに大切に扱っていたかが想像できる。

大正8年12月21日の「東京朝日新聞」は次のように報道した。
   「信実の三十六歌仙 
        遂に切り売りとなる
          総価は三十七万八千円
          最高は『斎宮女御』の四万円
    昨日、益田邸に数奇者四十余名集合して抽選で分配 あわれ佐竹家の名物も遂に切売の悲運に陥った」  (注:貨幣価値は約1万倍、37万8千円は約40億円に相当する)

 日付は忘れたが相当昔に、NHKの特集番組が、この佐竹本の切断事件を取り上げていた。断裁された36枚の歌仙絵のその後の運命をたどった番組であった。私はその数奇な流転の歴史を、大正・昭和の激動の歴史と重ね合わせ、興味深く見たのだ。その取材の裏話も含めて、この番組の内容を記した「秘宝 『三十六歌仙の流転』 絵巻切断」がNHK出版から刊行されると、直ちに購入して読んだのだ。

 平安中期、藤原公任によって選ばれた36歌仙、その歌仙一人一人の肖像画の「やまと絵」を藤原信実(と推定されている)が描き、その歌と歌人の略歴を書家後京極良経が書いた鎌倉時代の絵巻が、佐竹本の「三十六歌仙絵巻」である。あまたの歌仙集のなかで最古にして、最高傑作の評価を得ているのが、この佐竹本である。国宝に指定されて当然の貴重な文化遺産である。

 この絵巻を佐竹家が手放し競売にかけたのが大正6年、一人で購入できる者がいないので、古物商9人が35万3千円の価格で落札した。売りに出たこの絵巻を海運業・貿易商山本唯一郎氏が購入したが、第一次世界後に破産し売りに出す。しかし、当時、個人で購入できる者はいなかった。

 この「三十六歌仙絵巻切断」事件の起こった大正2年、1919年は、第一次世界大戦中の好景気から一転して、不景気の予感に不安を感じ出していた時期である。1918年に米騒動がおこり、1920年に戦後恐慌に入っていく。そうした時代であったのだ。その不安の故に、一人でこの佐竹本を購入できるだけの富豪は見当たらなかったのであろう。

 切断され、ばらばらに個人に所有されてしまうと、絵巻としての元の姿は二度と見ることはできない。それゆえ、平家納経の復元模写にあたった第一人者の田中親美が2年の歳月をかけて作成した模写本が100部、皇室、主な皇族や関係者、美術館に寄贈された。
 36歌仙の一人、斎宮女御にあやかって伊勢神宮に寄贈されたものが、斎宮美術館に展示されているのであろう。今でも模写製品としては破格の価格で取引されるそうだ。

 益田隆は財界のドンであると同時に、古美術界、茶道界に君臨する帝王とも言うべき存在であった。興福寺の仏像77点を買い上げ、知人に譲るなどして、古美術の海外流出を防ぐ努力もしていた。その益田隆(号、鈍翁 元三井合名理事長、三井物産創設者)の1万坪といわれる広大な敷地のなかにある、書斎と茶室のある応挙館(床の間、壁、ふすま、に円山応挙の絵が描かれている。現在、東京国立博物館の裏庭へ移築)に集ったのは、鈍翁のお眼がねにかなった茶道好きの財界人37名である。

 団琢磨(三井合名理事長)、原富太郎(富岡製糸・生糸王)、野村徳七(野村證券)、藤原銀次郎(王子製紙設立・製紙王)、高橋義雄(三越初代社長)、馬越恭平(大日本麦酒・ビール王)、住友吉左衛門(住友家当主)、関戸守彦(名古屋の大富豪・大地主、東海銀行の前身関戸銀行創設)、有賀長文(三井合名理事)、岩原謙三(東芝社長)など、錚々たる顔ぶれである。

 事前に、合計で購入価格に見合うよう36歌仙の断片に値段をつけた。最高価格は、斎宮女御の4万円(現在の4億円)、次いで小野小町が3万円、小大君2万5千円、柿本人麻呂・藤原敏行と伊勢1万5千円と続く。これを抽選によって分けたのである。有名な歌人紀貫之は破格の安さ3千円(現在の3千万円)である。これは、狩野探幽の補筆が入っているからである。あの狩野探幽の筆(詞書に)が入ると、逆に安くなるというのをどう見ればよいのか。

 この断片の最初の所有者から、あまたの変転・流転を経て、現在の所有者の手元に移るのである。そこには大正、昭和の激動の歴史の流れが、そのまま反映されているのだ。その流転の歴史がきわめて興味深いのだ。
 特に、太平洋戦争後の財閥解体や過重な財産税のなかで、旧財閥系財界人が急速に富を失っていくなか、新興の富豪たちや地方で堅実に成長していく企業の経営者の手に、移っていったのだ。

 「いろ見えで うつろふものは 世の中の 人の心の はなにぞありける」
 (口語訳:色にさえ見えないうちに、いつの間にか、はかなく移ろってしまうものは、人の内側に咲いている心の花なのですね)

 断片に記されている小野小町のこの和歌の意味を、「心の移り変わり」から「世の中の移り変わり」と拡大解釈(?)すると、この佐竹本「36歌仙絵巻」の流転の歴史を、そのまま歌っているような気がするのである。こじつけすぎだが。
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森と湖、ムーミン、サンタクロースの国、フィンランド その2 千里眼

2006年11月26日 11時56分15秒 | Weblog
 私がフィンランドを取り上げたのは、日本の「いじめ」の問題と関連してである。フィンランドの教育や社会福祉の状況を見て行くなかで、日本の「いばめ」の問題の背景が浮かび上がるのではないかと考えたのだ。
 ここ数日、無線ランの調子がおかしくインターネットとの接続ができなかったので、ネット虫さんの投稿もやっと今、読むことができた。その投稿に関する私の感想を先に述べておきたい。

 ネット虫さんの投稿は、2000年のフィンランド共産党とギリシャ共産党との、「実際的な問題」についての会談での、フィンランド側の報告のようだ。

 それを読んだとき、私はなんとなく違和感を感じたのだ。繰り返し呼んで見ても、それは拭えない。柔軟性を欠いた硬直した姿勢を感じたのだ。「社会民主党と保守政党が主導する連立政府の政策は、フィンランドの経済・軍事の両面において右翼的なものであることが確認された」という表現にまずひっかかった。「右翼」という概念の捉えかたが、私と報告者と異なるのかも知れないが。
 「新自由主義政策は、社会の軍事化を意味する」、このような定義が可能とは思われない。
 新自由主義経済という用語を3箇所で触れて強調しながら、それがフィンランドでどのようなかたちで政策化され、実施されているかについて触れていない。その具体的表れに触れて反対するなり、対応政策を提起するなり、どうしてしないのか。私には理解できない。

 今この時点でノルウェーは、スリランカで反政府勢力と政府との間の仲介工作を行っている(中日新聞の報道によると)。以前、アラファトとラビンの間を取り持ち、会談を成功させ、中東和平の道を切り開こうとしたのもノルウェーあった。私は、こうした世界平和のためのオピニオンリーダーに、北欧諸国がなってほしい。ほかに期待できる国々が見つからないので。フィンランド共産党にもそうした視野に立って、国内・世界を見て欲しいというのが、私の思いである。

 1991年のソ連の崩壊によって、ソ連との間に結ばれていた相互援助条約は失効し、フィンランドに有利なソ連とのバーター貿易は突如、一挙に失われた。その後、深刻な経済混乱・不況が3年続く。徐々に回復の道をたどり、2000年ごろから大きく国民総生産は伸びていく。
 こうした経済の歩みのなかで、先進資本主義国家のなかでは最も優れた福祉国家を維持してきたという、歴史事実をフィンランド共産党はどう考えているのであろうか。このフィンランド共産党の報告にはその片鱗も示されていない。その社会福祉をさらに充実させていくという課題はないのであろうか。

 資本主義に本質的につきまとう矛盾は、当然フィンランドにも存在するのは当然のことである。「薔薇色の楽園」とは私は思っていない。が、資本主義国家としては最も進んだ福祉国家であるということは、誰しも認めざるをえないだろう。高福祉資本主義国家の一つのモデルとして、私は考えている。

 ただ、富の再分配がどのような状況にあるのか、所得階層の分布はどうなっているのかなどなど、そこまで掴まないと全面的な分析にはならない。さらに各政党の政策、現政権の政策の動向など、きちんと勉強し深く全体像を掴んで、投稿している訳ではない。申し訳ないが、ネット虫さんの言う「矛盾克服の報告」を私にできるはずはない。さらに言えば、ネット虫さんの提起している課題に答えるうる内容で投稿するつもりは、最初からなかったったのである。
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