将校宿舎夜店衛兵
教育隊の候補生達は部隊の衛兵勤務はそれまで免ぜられていた。
しかし帰還の時期はわからず、
衛兵の勤務も割り当てられることになった。
すべて候補生なので衛兵指令も交代で勤務した。
この頃部隊の近くで、深夜、八路軍らしい兵士を衛兵が発見した。
非常呼集が掛かり部隊は出動して、二名の兵士を捕虜とした。
私の衛兵指令の時、衛兵所の牢屋に入れられていた。
この兵士がその後どうなったかは知らない。
部隊から少し離れた所に将校宿舎があった。
八月十五日からは将校も部隊内に住むことになり、
この宿舎の警備もすることになった。
衛兵とは別に毎日将校宿舎警備班が出ることになった。
将校宿舎は無人となっていた。
ここは武装した兵隊が警備するだけで、交代で寝ているだけであった。
暫くして宿舎の前に露店が出るようになった。
警備兵の持ち出す煙草、靴下での交換が目的の露店である。
食料品が多かった。夜になると灯りも付けて十店ぐらい店が並び、
小さな和菓子の店も表れた。
そのうち兵舎に残った者の交換まで引き受けることになり、
帰りは交換品を毛布の中に包んで持ち帰るようになった。
衛兵所はすべて候補生でここもフリーパスで通過であった。
暫くしてこの将校宿舎も廃止となり警備も終わった。
市内巡回警備
十月日本に帰還の予定は無く、正規軍はまだ表れず、
武器だけは中国軍代表が受け取りにきた。
市内警備の部隊が手薄となり我が部隊に応援の要請があり、
区隊の半分が市内警備にでかけた。
十月半ば交代要員として私も市内警備となった。
警備本部は市内の中央、学校らしい建物で、管理は在留邦人がしていた。
家の前には広場があった。そこで整列警備の引き継ぎがあった。
警備は実弾を込めた小銃を持つて、
二名で指定された市内を巡回することである。
昼夜二十四時間巡回した。
市内の治安は安定していて。警備中実弾を発射することは一回もなかった。
市民の生活も普段と変わりなく 私たちも始めて市内で、
市民と共に生活をしたが、市内警備を任せているので市民は好意的であった。
警備の途中朝四時頃、電気がついて働き始める家がある。
覗いてみると豆腐屋であった。
手仕事が面白いので見ていると、ニコニコして家の中に入れと
手まねで言われて、腰掛けて豆腐作りの見学となった。
そのうち豆腐屋が長いあぶらげを食べろと差しだした。
始めて食べる揚げたての熱いあぶらげは旨かった。
豆腐屋見学は次の巡回警備への引き継ぎ事項となった。
勤務のない休憩中は、広場の前に露店が並ぶ、
日常の食糧品から衣料品まで何でもある。
人だかりの多いのは,丸い円の中で棒を回す伝助賭博、
人間の生活はどこでも変わらず楽しい。
「ショウピン」(焼き餅)「マントウ」(饅頭)作るところから
焼き上がるまで、飽きもしないでよく眺め買って食べた。
庶民の生活は世界どこでも変わらずこの国でも人の心は温かいと、
素直にそして強く感じた。
つづく