田中宇氏の最新の配信ニュースは以下のような書き出しになっている。が、これはマルクス主義の国家独占資本主義をとてつもなく誤解させるし、今の時代に全く合わない重要点もあるので、以下に指摘しておきたい。これをみても分かるのだが、彼は理論家とは言えないということである。
【 最近ヘラルド・トリビューン紙のサイトに、ドイツ人は金融危機に対して冷静に対応していると分析する記事が出た。その中で目を引いたのが、ベルリン在住の筆者の知人で、かつて東ドイツの共産党員だった80歳代の女性が、昨今の米国の金融危機について語った、以下のくだりである。
「(米金融危機は)驚くようなことではないわ。独占資本主義から、国家独占資本主義に移行する際、大きな危機が発生するのは当然よ。これは、あなたたちのシステム(資本主義)の、最後の段階なの。(東独の)共産主義政権時代には、このことは、子供たちが学校で教わる(基礎的な)ことだったわ」 大企業が経済の主力である「独占資本主義」は、不可避的に、金融恐慌や大不況、戦争といった危機をもたらし、危機への対策として政府が全面的に介入し、経済は国家独占資本主義に転換するが、この転換は延命にすぎず、本質的には、資本主義は死滅に向かい、大衆への収奪が強まり、最後には社会主義革命が起こるというのが、マルクス経済学の理論である。1980年代まで、旧東独など、多くの社会主義国の学校では、この資本主義の発展プロセスを教えていた。
(中略)この10年あまり、米経済は金融で大発展したが、ブッシュ政権の重過失的な数々の失策の末、自滅的な金融財政の崩壊が今まさに起こり、金融の独占資本主義は終わり、米英の金融機関は国有化され、中国やアラブ産油国、ロシアなどの「政府投資基金」や「国営石油会社」といった「国家独占資本主義」の象徴的な存在が幅を利かせている。 】
マルクス主義をちょっとかじった者ならば、以下のことは周知の知識である。①マルクス主義の国家独占資本主義段階を説いたのはレーニンであって、「帝国主義論」(1917年)などが該当する著作であろう。田中氏は、国家独占資本主義を語りながら、レーニンについては一言も言及していないから、マルクスの概念のように誤解させる。②こうして、国家独占資本主義、帝国主義は、好むと好まざるとにかかわらずマルクス・レーニン主義の概念なのだが、こういう概念化が世界に登場したのはもう1世紀も前のことである。③よって、この概念で今の世界を分析できるというように語るのは、おかしいと思う。
次に、では、この概念が今の世界に最も合わない点はどこなのか。このことに言及しないで眼前の金融大崩落にこの概念を関わらせようというのは、単に類推の域を出ないような発想、文章というしかなく、誤解のもとである。
レーニンの帝国主義論の世界をはみ出した、新しい、本質的な質というものが現在の世界には事実存在する。ちょうど、マルクスの時代の自由競争資本主義ではレーニン時代の帝国主義諸国家の諸行動が十分には説明できなかったのと同じである。
レーニンは、帝国主義の諸行動を「国家独占資本による、資本主義経済内部での最大限の『計画化』」と述べたが、今やもっと大きな『資本主義内部での最大限の計画化』が存在するのではないか。例えば、世界銀行やIMF(国際通貨基金)をWTO(世界貿易機関)がなかったら、アメリカ流グローバリズム、ドルの世界支配がこんなに速やかかつ大々的に世界に広がることはなかったろう。つまり、レーニンの時代とは異なった、もっと大々的な「資本主義内部での『世界』経済の世界的計画化」が存在しているのである。そして世界金融崩落に際して、まさに今やこういう段階の『計画化』的な世界経済沈静化が、世界各国協調して必死に図られている真っ最中である。世界主要諸国家の公的資金を一斉に注入しあってこの危機を乗り越えようとしているというのは、そういうことであろうと思う。
こうして、現代世界の「資本主義内部での経済の最大限の計画化」を分析しようとするときに、国家独占資本の視点だけでは余りにも原始的に過ぎると思う。たとえ類推程度の随筆的文章であったとしても、誤解を与えることはなはだしいのではないか。
また、こういう世界経済の現段階を目の前にして、解説抜きにこんな表現を引用することも、はなはだしい誤りであって、誤解を招くものと思う。
「これ(国家独占資本主義)は、あなたたちのシステム(資本主義)の、最後の段階なの」
国家独占資本はもう存在しないか、そんなのは小国家の大資本程度のものであろう。いま問題になっているのはむしろ「世界独占資本」と言うべきではないか。そうでなければ、メリルやリーマンになんで世界が震えおののく必要があるのか。
【 最近ヘラルド・トリビューン紙のサイトに、ドイツ人は金融危機に対して冷静に対応していると分析する記事が出た。その中で目を引いたのが、ベルリン在住の筆者の知人で、かつて東ドイツの共産党員だった80歳代の女性が、昨今の米国の金融危機について語った、以下のくだりである。
「(米金融危機は)驚くようなことではないわ。独占資本主義から、国家独占資本主義に移行する際、大きな危機が発生するのは当然よ。これは、あなたたちのシステム(資本主義)の、最後の段階なの。(東独の)共産主義政権時代には、このことは、子供たちが学校で教わる(基礎的な)ことだったわ」 大企業が経済の主力である「独占資本主義」は、不可避的に、金融恐慌や大不況、戦争といった危機をもたらし、危機への対策として政府が全面的に介入し、経済は国家独占資本主義に転換するが、この転換は延命にすぎず、本質的には、資本主義は死滅に向かい、大衆への収奪が強まり、最後には社会主義革命が起こるというのが、マルクス経済学の理論である。1980年代まで、旧東独など、多くの社会主義国の学校では、この資本主義の発展プロセスを教えていた。
(中略)この10年あまり、米経済は金融で大発展したが、ブッシュ政権の重過失的な数々の失策の末、自滅的な金融財政の崩壊が今まさに起こり、金融の独占資本主義は終わり、米英の金融機関は国有化され、中国やアラブ産油国、ロシアなどの「政府投資基金」や「国営石油会社」といった「国家独占資本主義」の象徴的な存在が幅を利かせている。 】
マルクス主義をちょっとかじった者ならば、以下のことは周知の知識である。①マルクス主義の国家独占資本主義段階を説いたのはレーニンであって、「帝国主義論」(1917年)などが該当する著作であろう。田中氏は、国家独占資本主義を語りながら、レーニンについては一言も言及していないから、マルクスの概念のように誤解させる。②こうして、国家独占資本主義、帝国主義は、好むと好まざるとにかかわらずマルクス・レーニン主義の概念なのだが、こういう概念化が世界に登場したのはもう1世紀も前のことである。③よって、この概念で今の世界を分析できるというように語るのは、おかしいと思う。
次に、では、この概念が今の世界に最も合わない点はどこなのか。このことに言及しないで眼前の金融大崩落にこの概念を関わらせようというのは、単に類推の域を出ないような発想、文章というしかなく、誤解のもとである。
レーニンの帝国主義論の世界をはみ出した、新しい、本質的な質というものが現在の世界には事実存在する。ちょうど、マルクスの時代の自由競争資本主義ではレーニン時代の帝国主義諸国家の諸行動が十分には説明できなかったのと同じである。
レーニンは、帝国主義の諸行動を「国家独占資本による、資本主義経済内部での最大限の『計画化』」と述べたが、今やもっと大きな『資本主義内部での最大限の計画化』が存在するのではないか。例えば、世界銀行やIMF(国際通貨基金)をWTO(世界貿易機関)がなかったら、アメリカ流グローバリズム、ドルの世界支配がこんなに速やかかつ大々的に世界に広がることはなかったろう。つまり、レーニンの時代とは異なった、もっと大々的な「資本主義内部での『世界』経済の世界的計画化」が存在しているのである。そして世界金融崩落に際して、まさに今やこういう段階の『計画化』的な世界経済沈静化が、世界各国協調して必死に図られている真っ最中である。世界主要諸国家の公的資金を一斉に注入しあってこの危機を乗り越えようとしているというのは、そういうことであろうと思う。
こうして、現代世界の「資本主義内部での経済の最大限の計画化」を分析しようとするときに、国家独占資本の視点だけでは余りにも原始的に過ぎると思う。たとえ類推程度の随筆的文章であったとしても、誤解を与えることはなはだしいのではないか。
また、こういう世界経済の現段階を目の前にして、解説抜きにこんな表現を引用することも、はなはだしい誤りであって、誤解を招くものと思う。
「これ(国家独占資本主義)は、あなたたちのシステム(資本主義)の、最後の段階なの」
国家独占資本はもう存在しないか、そんなのは小国家の大資本程度のものであろう。いま問題になっているのはむしろ「世界独占資本」と言うべきではないか。そうでなければ、メリルやリーマンになんで世界が震えおののく必要があるのか。