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平和はつらいものだが、それに耐えねばならない  渡辺一夫

2008年10月17日 09時37分32秒 | Weblog
国家の家計は大赤字。経費節減と増税。これしか策はない。

国民にどうこの苦い薬を飲ませるのか?

小泉さんは稀代の詐欺師として、この難問に見事、道筋をつけた。

「改革」という切り札。

社会保障費を切り詰め、少しづつ、首をしめてゆく。
もう我慢できないという声を待って、
福祉のために増税という。

この手、これまでも何回か自民党がとってきた手。
でも、「大変、大変、改革、改革」という
大合唱に、みな、走ってしまった。

これって、振り込め詐欺ににていませんか?
「あなたの息子さんが金を使い込んだ。
いまなら、まだ大丈夫。至急、200万を。」

余裕なくお金を振り込む人がいても、おかしくない。
私も振り込んでしまうでしょう。

でも?、と、考える余裕がない。
しかし冷静になったら、分かることでも、追い込まれたら
謝った判断をしてしまう。
政治の世界も同じ。
とくに小泉さんのような才能のまえには。

さて、いかに慌てていても、息子が犯罪を犯したのなら
面前で、善悪を教えるのが親の仕事。
それを確認もせずに、犯罪の隠蔽工作に加担するような行動に
出てしまうのは、なぜでしょうか?

わが子さえよければ・・・という親のエゴではないでしょうか?
(これは「ついていったら、だまされる」の著者が指摘しています。
私も、これを読んで目からウロコでした。)

振り込め詐欺がこれだけ急増しているのは
騙される側にも、問題というか、弱点があるためでは?

小泉さんに騙されたのも、国民が大赤字に対処する際に
自分の既得権益(社会保障もふくめて)を守りたいという
エゴがあったためではないでしょうか?

そういう意味では小泉さんは狡猾な政治家。
私達は小泉さんを支えた道化かも。

これって衆愚政治かな? 保守系さん。

どうしたら良いのか?
皆、最初は、「それってホント?」と疑問を持つ。
しかし、この疑問は簡単には解けない。
改革をどうしたらいいのか?
トータルに考え、根本的な解決策をさぐるには忍耐が必要。
そのうちに考えるのが面倒くさくなって・・・
ついつい声の大きい意見を受け入れていく。

「あれが悪い」といわれると、そう考えてしまう。

こうした傾向を助長しているものに日本の学校教育があるという。
(これも先ほどの本の指摘)
学校では、まず、考え方などを教え込む。
疑問を持たずに覚えることが最優先です。
疑問を持った子供は、ついていくのが難しくなって落第。

たしかに教育では教え込む必要があります。
しかし、一方で、疑問を持って自分で考えるという
忍耐づよい思考方法を身につける必要もあるようです。

これは、ある人が言ったコトバを思い出させます。
フランス文学者の渡辺一夫さん。

「平和はつらいものだが、それに耐えねばならない」  

    

平和は忍耐強い疑問を持つ精神が守るもののようです。
私には自信がありません。正直に言って。


                         落石








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勘太郎月夜唄   中野寂音

2008年10月17日 09時27分17秒 | Weblog

私の思い出に残る歌謡曲は、小畑実の「勘太郎月夜唄」である。
昭和二十年、中国河北省石家荘の教育隊にいた。
この年八月幹部候補生教育のため南京の原隊から派遣されたが、
到着とともに終戦となった。

私達の教育隊は任務を持たないし、中国から日本への帰還予定は全く分からない。
終戦後の毎日は食って寝るだけの天国となった。
やせ細っていた若い兵隊達はあっという間に太ってきた。

 降服した日本の軍隊は、中国軍に武装解除され、
俘虜として収容される予定である。
ところが当時の中国軍は、この奥地まではとても手が回らない、
中国軍が到着するまで、鉄道線路、市内の警備は日本軍に任せる。
市内の警備は私達教育隊が行うことになった。

そのころ在留邦人会から部隊に慰問大会の招待があった。
軍隊に入ってから八ヵ月、慰問演芸には全く縁はなく、
訓練と移動だけの軍隊であったから、みんな大喜びで出かけた。
場所ははじめて行く市内の石門劇場。演芸は日本舞踊の大会であった。
日本の美しい着物姿の女性が、つぎつぎにあふれるように舞台に表れる。
夢を見ているような気持ち。
日本情緒たっぷり豪華絢爛の舞台は、強くふるさとを思い出す。
心のすべてが舞台に引き込まれたのは、生まれてはじめての体験であり、
生涯忘れられない舞台となった。

多くの踊りの中で今でも忘れられないのが「勘太郎月夜唄」であった。
三度笠振り分け合羽の渡世人の扮装で、若い女性の歌謡踊り、
伴奏はレコードであった。
「風か柳か 勘太郎さんか」の唄である。

昭和十八年頃発売、軍国歌謡の時代、非国民の歌謡曲といわれた。
小畑実はまだ新人時代で、藤原亮子とのデュエット。
二節目を小畑実が歌い、戦後小畑実がひとりで歌ってからヒットした。
この唄は覚えやすい、しかもふるさとの要素がたっぷりとつまっている。
風、柳、伊那の谷、故郷の月、日本から何千里離れた異国で聞いては、
涙・涙また涙であった。

子供の頃、近くに住む祖母に連れられて、旅回り一座の芝居小屋によくいった。
必ずこの歌謡踊りがあり「勘太郎月夜唄」は、昭和十八年以降の
歌謡踊りのヒット曲であった。
戦前の流行歌はこの歌謡踊りで覚えたものが多い。
今でもこの唄を聞くと、三度笠振り分け合羽の渡世人の姿が、
祖母のことから中国の風景まで、頭の中にはっきりと浮かびあがってくる。

 昭和二十年の年末ようやく日本に帰還することができた。

この歌は、戦前と戦後の「真空時代」そして「戦争と平和」の音風景となった。

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