ニッカンスポーツコムで川淵前キャプテンの最近のコメントを読んだ。スポーツ文化という観点から、なかなかの見識と読むことが出来たので、ここに紹介したい。サッカーを見せ物、興業ではなく、スポーツ文化としてもっともっと世に送り出そうとする姿勢が感じられて嬉しかった。
【 日本人らしい「クラブ愛」とは
私たちスポーツを愛するものにとって、胸躍る季節が来る。Jリーグが17年目のシーズンを迎え、野球ではサムライジャパンがWBCの第1ラウンドに臨む。どちらも、日本中が熱狂する大きなスポーツイベントだ。
中でも、J1初昇格のモンテディオ山形のサポーターにとっては、夢の晴れ舞台がすぐそこに迫った。山形の皆さんがどれだけこの時を待っていたか。想像するとこちらの胸も熱くなる。
先日、モンテディオ山形の海保宣生理事長と話したが、地域の関心度の高さはものすごい。モンテディオのワッペンを購入しマイカーに張る。売り上げをクラブに還元する活動を自治体が引っ張り、複数の自治体から地元企業へと波及したと聞いた。おらが町のクラブを支えるんだとの機運がある。どうか、その気持ちをシーズン終盤まで保ち続けてほしい。
そういったあとに、冷や水を浴びせるようだが、現状の戦力では山形がJ1に居続けることは難しいだろう。1年で躍進できるほどJ1は甘くない。それでもあきらめずに見守れるかにかかっている。
J1初昇格のクラブを有する地域が、クラブ支援を通じ活気づく風景は、スポーツのすばらしさを具現している。一方で、不振になると、一部のサポーターから監督交代やクラブ幹部の更迭を求める声が上がる。クラブへの強い愛情の裏返しとして、抗議活動に発展する。
確かに、欧州や南米の強豪クラブでは、サポーターの抗議活動でクラブ人事が左右される面があった。しかし、それは彼らの風土で築かれた歴史であり、民族固有の気質があってのことだ。サッカー先進国がそうだからと、我々Jリーグがそれに倣う必要は全くない。それが、あたかも「クラブ愛」かのような風潮は間違っている。
思い起こしてもらいたい。金融危機の直前、資産運用ばかりが、すばらしい成功のような錯覚に日本は浸っていた。地道な物作りへの尊敬の念は隅へ押しやられ、金利だ、株価だと、いかに短期で大きく稼ぐかにみんなが熱狂した。だが、それは欧米の時流に乗らされただけのことだ。
スポーツ観戦にしても、全く同じだ。負けたイライラを暴力に転化するのはもってのほかで、すぐに抗議活動をする姿に、欧州、南米を安易にまねする空気を感じる。そうではないだろう。私たち日本人固有の応援があっていい。独自の価値観は我々の中にまだまだある。「武士の情け」という言葉もあるではないか。
勝負の世界は非情で、必ず敗者がいる。その敗者の側にたった時、ヒステリックに犯人捜しをする風習からもう脱皮してはどうか。「負けること」を前提に言っているのではない。より高く、より豊かな精神でスポーツに接し、日本らしいスポーツ文化をはぐくむ私たちでありたい。】
【 日本人らしい「クラブ愛」とは
私たちスポーツを愛するものにとって、胸躍る季節が来る。Jリーグが17年目のシーズンを迎え、野球ではサムライジャパンがWBCの第1ラウンドに臨む。どちらも、日本中が熱狂する大きなスポーツイベントだ。
中でも、J1初昇格のモンテディオ山形のサポーターにとっては、夢の晴れ舞台がすぐそこに迫った。山形の皆さんがどれだけこの時を待っていたか。想像するとこちらの胸も熱くなる。
先日、モンテディオ山形の海保宣生理事長と話したが、地域の関心度の高さはものすごい。モンテディオのワッペンを購入しマイカーに張る。売り上げをクラブに還元する活動を自治体が引っ張り、複数の自治体から地元企業へと波及したと聞いた。おらが町のクラブを支えるんだとの機運がある。どうか、その気持ちをシーズン終盤まで保ち続けてほしい。
そういったあとに、冷や水を浴びせるようだが、現状の戦力では山形がJ1に居続けることは難しいだろう。1年で躍進できるほどJ1は甘くない。それでもあきらめずに見守れるかにかかっている。
J1初昇格のクラブを有する地域が、クラブ支援を通じ活気づく風景は、スポーツのすばらしさを具現している。一方で、不振になると、一部のサポーターから監督交代やクラブ幹部の更迭を求める声が上がる。クラブへの強い愛情の裏返しとして、抗議活動に発展する。
確かに、欧州や南米の強豪クラブでは、サポーターの抗議活動でクラブ人事が左右される面があった。しかし、それは彼らの風土で築かれた歴史であり、民族固有の気質があってのことだ。サッカー先進国がそうだからと、我々Jリーグがそれに倣う必要は全くない。それが、あたかも「クラブ愛」かのような風潮は間違っている。
思い起こしてもらいたい。金融危機の直前、資産運用ばかりが、すばらしい成功のような錯覚に日本は浸っていた。地道な物作りへの尊敬の念は隅へ押しやられ、金利だ、株価だと、いかに短期で大きく稼ぐかにみんなが熱狂した。だが、それは欧米の時流に乗らされただけのことだ。
スポーツ観戦にしても、全く同じだ。負けたイライラを暴力に転化するのはもってのほかで、すぐに抗議活動をする姿に、欧州、南米を安易にまねする空気を感じる。そうではないだろう。私たち日本人固有の応援があっていい。独自の価値観は我々の中にまだまだある。「武士の情け」という言葉もあるではないか。
勝負の世界は非情で、必ず敗者がいる。その敗者の側にたった時、ヒステリックに犯人捜しをする風習からもう脱皮してはどうか。「負けること」を前提に言っているのではない。より高く、より豊かな精神でスポーツに接し、日本らしいスポーツ文化をはぐくむ私たちでありたい。】