「なぜ新聞は権力に弱くなったのか」
メディアが権力に追従するようになって久しい。なぜか。その理由はいくつあるだろう。しかし間違いなくその一つに新聞が権力側に弱みを握られている事がある。
2月末の新聞に朝日新聞4億円脱税というニュースが流されていた。脱税といい申告漏れといい、「社会の木鐸」であるはずのジャーナリズムが不正をやっているようでは正義を本気で追及できるはずはない。権力側はメディアの不正を握っているのだ。国税庁は情報を掌握しているのだ。いつでもメディアを脅かすことができる。
そのような新聞社の弱みの中でも、おそらく最も深刻な弱みは、「押し紙」という名の購読者数水増し偽装であろう。 これは業界のタブー中のタブーと言われてきたという。そのタブーについて経済月刊誌ZAITEN4月号がついに書いた。産経新聞がついに業界タブーである「押し紙」の廃止に踏み切ったと書いていた。しかし「押し紙」は何も産経に限ったことではない。大手新聞は皆行なっているということだ。
押し紙のどこが深刻な問題か。それはZAITENの記事が教えているように、公称販売部数によって広告料などが決められることである。数字を誤魔化して収入を余分に取ることはれっきとした犯罪ではないのか。広告主の会社がそれを知らずに支払っていれば騙された事になる。もし知っていながら黙認していたのなら背任行為だ。そして仲介役の広告会社はどう認識しているのか。
権力側がこの存在を知らないはずはない。権力側がメディアを黙らせるのは簡単だ。メディアは権力におびえて膝を屈するよりも、国民とともに権力の横暴を監視する本来のメディア魂を取り戻さなければならない。
天木直人メルマガ2009年3月11日 第0098号より