WBCは日本優勝で、全ての不条理さが、消し飛ばされたみたいだ。しかし、スポーツとしての野球の発展は、何の反省もなしにはとうてい図られては行かないだろう。そういう諸問題が多数残されているからだ。それを改めて総まとめしてみたい。
スポーツファンを自負する僕には、いろんな意味でスポーツ本来の姿、明るさがない嫌なWBCだった、といいたい。そういう現象をもう一度、数え上げてみよう。
①大リーグ全体で盛り上げようとしていない。アメリカが自国リーグのほうを優先しているとしか思えない。そして、そのアメリカ野球の頂上対決を「ワールド・シリーズ」などと呼ぶのも今や、いかにも僭越、不条理である。
②日本は巨人・読売中心主義から、中日排除になってしまった。アジアラウンド・スポンサーがメデイアとしての読売というのは正常な姿なのか。
③同じ巨人中心主義から、落合、野村を差し置いて、原が監督になった。コーチ陣も、日本放送サイドで固められていると聞いた。
④原は、松坂、ダルビッシュ、岩隈の先発優先順位を取ったが、これは直前年の実績から見た確率から言って間違いである。「一発勝負の短期決戦は、調子のよい者から使うこと」という原則と確率から言えば、岩隈、松坂、ダルビッシュの順である。これまで作り出されてきた「マスコミヒーロー順」ということはなかったか。キューバとの敗者復活戦を余分にやらなければならなかったが、それはこのことの結果という面がある。確率の問題としてのことだが。
⑤日本が韓国をリスペクトしていなかった。決勝戦を1点勝負と見れば1点でももぎ取りに行くべきであって、何回かのスクイズの機会に、しかも韓国が前進守備を取っていないのに、スクイズをしなくて点が入らなかった。結果論だが、ここから混戦になっている。
⑥MVPは岩隈であるべきだ。これは松坂も言っていたこと。投球イニング数をとっても、その内容数字をとっても、岩隈が断然上であったと、松坂が認めている。大リーグ主導で、松坂になったのであろう。日米戦がアメリカ審判でおこなわれて、アメリカ寄り判定が明らかに多かったのは、MVP松坂と同じ原因が働いていないか。
⑦日米戦がアメリカ審判でおこなわれたことは、サッカー界では考えられないことだ。スポーツとしておかしい。
日本のファンは、これらのことをもっと考えるべきだと思う。
スポーツファンを自負する僕には、いろんな意味でスポーツ本来の姿、明るさがない嫌なWBCだった、といいたい。そういう現象をもう一度、数え上げてみよう。
①大リーグ全体で盛り上げようとしていない。アメリカが自国リーグのほうを優先しているとしか思えない。そして、そのアメリカ野球の頂上対決を「ワールド・シリーズ」などと呼ぶのも今や、いかにも僭越、不条理である。
②日本は巨人・読売中心主義から、中日排除になってしまった。アジアラウンド・スポンサーがメデイアとしての読売というのは正常な姿なのか。
③同じ巨人中心主義から、落合、野村を差し置いて、原が監督になった。コーチ陣も、日本放送サイドで固められていると聞いた。
④原は、松坂、ダルビッシュ、岩隈の先発優先順位を取ったが、これは直前年の実績から見た確率から言って間違いである。「一発勝負の短期決戦は、調子のよい者から使うこと」という原則と確率から言えば、岩隈、松坂、ダルビッシュの順である。これまで作り出されてきた「マスコミヒーロー順」ということはなかったか。キューバとの敗者復活戦を余分にやらなければならなかったが、それはこのことの結果という面がある。確率の問題としてのことだが。
⑤日本が韓国をリスペクトしていなかった。決勝戦を1点勝負と見れば1点でももぎ取りに行くべきであって、何回かのスクイズの機会に、しかも韓国が前進守備を取っていないのに、スクイズをしなくて点が入らなかった。結果論だが、ここから混戦になっている。
⑥MVPは岩隈であるべきだ。これは松坂も言っていたこと。投球イニング数をとっても、その内容数字をとっても、岩隈が断然上であったと、松坂が認めている。大リーグ主導で、松坂になったのであろう。日米戦がアメリカ審判でおこなわれて、アメリカ寄り判定が明らかに多かったのは、MVP松坂と同じ原因が働いていないか。
⑦日米戦がアメリカ審判でおこなわれたことは、サッカー界では考えられないことだ。スポーツとしておかしい。
日本のファンは、これらのことをもっと考えるべきだと思う。