九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

秋の声やーめた       蕪蕉

2009年09月14日 20時33分45秒 | Weblog
 友人に勧められ、ボケ防止に俳句を作り始めました。
 毎月の句会に提出する句づくりに難行苦行。

 孫は夏休みの宿題を手伝ってもらってギリギリで完成、褒められたと大喜び。
 爺も誰か助けてくれぬものか。

 何を季語に入れるかが第一関門。
 秋だから、月に萩に秋刀魚に栗に秋ナスなんでもありです。
 見るもの聞くもの食べるもの何でも秋の俳句にならぬものはないのです。

 さてさて私はといえば・・・
 今年は例年にもまして庭の虫がよく鳴く。
 追い込まれた私には「虫の声」「虫の音」しか耳に入らない。 
 「虫の音や・・」「・・虫の声・・」「・・虫の鳴きにけり」
 もう、上・中・下 虫の声は決定。
 しかし前後左右が定まらぬ。
 
 そこに、御登場の「秋の声」
 こういう時に限って洒落た玄人っぽい季語が使いたくなる。
 目に留まったのが「秋の声」である。

 解説に曰く。
 「生活の音、たとえば隣のキッチンで洗い物をしている音などが、きわめて明瞭にきこえてくるのは、季節でいえば秋。音に輪郭があるように感じられてくるのは、透明な秋の空気のせいなのだろう。具体的な音ばかりでなく、心の中に響いて来る秋の気配もまた、秋の声である。より深い味わい侘びにも通ずる季語である。」
 などと、書かれてあるのを読むと、もう居ても立ってもおられず、「虫の声」から「秋の声」へ鞍替え。ところがこの季語の名句は五万とあります。これに肩を並べるのは大変です。

幹々の行間よりの秋の声      鷹羽狩行  
秋声と聞く風音に親しみぬ     稲畑汀子 
隠岐の浜に軽石拾ふ秋の声     松崎鉄之介    
劉生の麗子像より秋の声      吉田呉天  
ボーイズビーアンビシャス秋の声  阿部静雄  
天平の秋声こもる螺鈿琵琶     長谷川翠  
秋声を樹々の吐息と聞きにけり   吉田小幸  
湖暮れてゆく淋しさに秋の声    黒川悦    
秋声を求め日本海を航く      稲畑廣太郎    
潮の香の急行列車秋の声      関口幹雄    
波寄せて白一文字秋の声      三村禮子  
無住寺に鵜塚を訪へば秋の声    石垣幸子  
耳に寄す貝にかそけき秋の声    藤本艶野    
難聴になって聞こえる秋の声    池田優  
貝殻に耳あてて聴く秋の声     藤井圀彦  
秋の声先師の墓にぬかづけば    樺山翠
いとけなき五輪塔より秋の声    青柳志解樹

 「焼き芋を売る声がする秋の声」
 「松茸に耳付けてみた秋の声」
 「政権も変わってうれし秋の声」
 「民主党まだ飽きられません秋の声」
 「自民党飽きられました秋の声」

 「秋の声、やーめた」

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「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」か?

2009年09月14日 10時28分53秒 | Weblog
★私も戦没者追悼の集会などで常套句の様に使われる「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」という文言には「待てよ?」という気にさせられます。
 私が戦没者なら「おいおい・・冗談じゃない。」と言いそうです。
 この事柄は、戦後せんそうの総括の深い部分に関わっているように思えます。
 このことについてつい最近、井上澄夫が反戦の視点で次のような意見を述べて見えます。長文の引用ですが是非お読みくださればと思い紹介します。(ネット虫)
=================
「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」ではない

                            井上澄夫

 去る8月30日に行なわれた衆院選の少し前、こういうニュースが流れたことを記憶している人は少なくないだろう。

 〈民主党の鳩山由紀夫代表は8月12日、靖国神社に代わる無宗教の国立戦没者追悼施設について、党本部で記者団に「取り組みを進めるという思いで考えていきたい」と述べ、建設に前向きな考えを示した。鳩山氏は靖国神社参拝について「A級戦犯が合祀(ごうし)されており、首相や閣僚が参拝することは好ましくない」と改めて表明。その上で「どなたもわだかまりなく戦没者の追悼ができるような国立追悼施設に取り組んでいきたい」と明言した。さらに、「天皇陛下も靖国神社には参拝されず、大変つらい思いでおられる」と指摘し、「陛下が心安らかにお参りに行かれるような施設が好ましい」と語った。〉
                 (2009年8月12日付『毎日新聞』)

この鳩山発言を公明、社民、共産の各党とほとんどのマスメディアが支持し、さらに中国や韓国でも好感されたことにはここでは詳しく触れない。国立追悼施設設立を衆院選の争点にすべきという論調も浮上したが、民主党はそうしなかった。しかし発言が総じて支持されたという事実は、鳩山連立政権(本稿執筆時はまだ成立していない。9月16日に特別国会で首相が指名される予定)でいずれ国立追悼施設設立が政策課題として取り上げられるだろうことを予感させる。
 
 しかし、本稿で考えたいのは、国立追悼施設設立推進の根拠になっている次のレトリック(修辞法)である。
 「今日の日本の平和と安定は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲(中略)の上に築かれています。」(2009年8月15日の全国戦没者追悼式
〔東京・日本武道館〕における麻生首相の式辞)
 このレトリックは例年夏の全国戦没者追悼式ばかりではなく、さまざまな戦没者追悼の際、たびたび繰り返され、すでに一種の決まり文句になっている。たとえば、2003年7月16日に民主党次の内閣がまとめた「新しい国立追悼施設の設立について」はこう記している。
 〈第2次大戦後60年近く経過し、戦争体験は風化しつつあるが、今日の日本における平和な生活は、これらの戦争による死没者の犠牲の上に成り立っている。〉
 麻生首相の言い方と民主党の表現は多少ちがうが、まずは同工異曲であり、要するに「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」ということだ。
〈戦争と平和〉のパラダイムで、戦没者の死の意味はこのステレオタイプにはめ込まれている。これを踏まえて展開される主張は、先の民主党の文書ではこうなる。
 〈国が関った戦争で、官民を問わず多数の尊い生命が失われたことが事実である以上、これらの死没者に、国民を代表する立場にある者(天皇陛下や内閣総理大臣、閣僚など)が、公式に追悼の意を表し、非戦平和を誓うことの出来る国家施設を持つことは、海外の例を見るまでもなく、当然の要請である。〉
 ここまで強い調子でなくても、「国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか」(2009年8月15日付『読売新聞』社説)というような論調は多数見受けられる。問題の焦点は「国による戦没者追悼のありよう」ということだ。

 国立追悼施設が必要であるという主張の根拠は「過去の戦争の犠牲者は今日の平和と安定(繁栄)の礎である」ことであり、だから「国のために命を失った人びとを国が追悼することが必要である」あるいは「国は国として責任をもって追悼すべきである」とされる。 しかし本当に「戦没者は戦後の平和と繁栄の礎」であるのか。もしこのレトリックが誤りであるなら、必要論の根拠は崩壊する。

 『地獄の日本兵─ニューギニア戦線の真相─』(新潮新書)の著者、飯田進さんは同書の「おわりに」でこうのべている。
 〈戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
 「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。
怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残ったものを慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなってしまいした。
 なぜあれだけ夥(おびただ)しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を絶たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばならなかったのです。〉

 人の死はそれぞれその人固有のもので、戦死もどれ一つとして同じものではないはずだ。飯田さんの「飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか」という血を吐くような言葉は、まさに真実をえぐり出している。
 藤原彰著『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店)から引用する。
 〈アジア太平洋戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。
 栄養学者によれば、飢餓には、食物をまったく摂取しないで起こる完全飢餓と、栄養の不足または失調による不完全飢餓があるとされている。この戦争における日本軍の戦闘状況の特徴は、補給の途絶、現地で採取できる食物の不足から、膨大な不完全飢餓を発生させたことである。そして完全飢餓によって起こる飢餓だけでなく、不完全飢餓による栄養失調のために体力を消耗して病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、アミーバ赤痢、デング熱その他による多数の病死者を出した。この栄養失調に基づく病死者も、広い意味で餓死といえる。そしてこの戦病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。/各戦場別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で127万6240名に達し、全体の戦没者212万1000名の60%という割合になる。〉

ニューギニアやガダルカナルなどで飢え死にした兵士を含め、戦没者は「戦後の平和と安定(繁栄)のために」死んだのではない。天皇裕仁の命令によって、殺し・殺され、あるいはただ殺されていったのだ。大本営(天皇直属の統帥部)による兵站(へいたん)軽視の無謀な作戦指導によって、糧食を絶たれ、飢えてジャングルの土になり、制海権と制空権を奪われても沖縄での戦闘を「之が最后の決戦」(『昭和天皇独白録』、文春文庫)とする愚かな「聖慮」(後注参照)
のせいで原爆や空襲で焼き殺されたのである。
 ※ 1945年2月、元首相の近衛文麿は天皇裕仁に、このままでは敗戦必至として「一日モ速(スミヤカ)ニ戦争終結ヲ講スヘキ」と上奏した。しかし裕仁は「もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」として近衛の進言を拒否した。だが、その時点で戦争を終結していれば、東京大空襲とそれに続く全国各地への空襲や艦砲射撃も、凄惨を極めた沖縄戦も、広島と長崎への原爆投下も、ソ連の参戦もなかったのである。しかも戦後の1947年9月、天皇裕仁は側近の寺崎英成を通じてGHQに「アメリカが、日本に主権を残し租借する形式で、25年ないし50年、あるいはそれ以上、沖縄を支配することは、アメリカの利益になるのみならず日本の利益にもなる」というメッセージを伝えて沖縄を米国に売り渡した。
 ところで、戦没者を「戦後の平和と安定(繁栄)の礎」と位置づける心理的動機はいろいろある。戦争で生き残った者が戦没者に後ろめたさを感じて、ということもある。無惨な死を直視できず、精神のバランスを保とうとするため、ということもあろう。あるいは、無念の思いを噛みしめつつ死んでいっただろう戦死者の霊が自分(たち)に祟(たた)らないようにしたい、ということもあるにちがいない。
 戦没者の死を「戦後の平和と安定(繁栄)」に結びつけるのは、彼ら・彼女らの死にプラスの価値を与えることだ。それらの死の〈おかげで〉「戦後の平和と安定(繁栄)」がもたらされたのだから、決して犬死にではなかった、無意味な死ではなかったと、死者たちに言いたいのだ。だが実は、そうやって戦死を美化し称賛する生者たちは、そうすることで自分自身の精神の安定を得たいのである。
 「犬死に」という言葉を聞くと激昂する者たちがいる。それは、一見、戦没者への熱い思いに基づく人間的な反応のようにみえる。英霊を侮辱するな、というわけだ。しかし多くの場合、その種の反応は、天皇のために死ぬことを至上の価値とすることや「大東亜戦争の崇高なる戦争目的」を丸ごと信奉することから生まれる。要するにそういう時代錯誤の化石的な狂信に取り憑(つ)かれている自分が批判されたと思って憤激するにすぎない。

 しかし、「戦没者は戦後の平和と繁栄の礎」というこのレトリックによる最大の受益者は、いうまでもなく、日本の支配層である。なぜならこの常套句は戦争責任の追及を封じ込める役割を果たすからである。無数の戦没者の死が「戦後の平和と安定(繁栄)の礎」となったのなら、それは美談であり、そこからは誰がそれら無数の死をもたらしたのかという問題意識は出てきようがない。戦争責任の追及は封印されてしまうのである。
政府は毎年「終戦記念日」に全国戦没者追悼式を挙行する。それは追悼と銘打ってはいるが、実は「戦後の平和と繁栄」をもたらしてくれた戦没者に感謝するためで、儀式の本質は戦没者の慰霊と鎮魂である。厚生労働省社会・援護局の「全国戦没者追悼式について」(2004年8月)によれば式次第はこうである。
 開式の辞   厚生労働副大臣
 天皇皇后両陛下御臨場
 国歌斉唱
 式辞 内閣総理大臣
 黙とう
 天皇陛下のおことば
 追悼の辞 衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、戦没者遺族代表(1名)
 天皇皇后両陛下御退場
 献花(この間奏楽) 内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所官、各政党代表など
 閉式の辞 厚生労働審議官
 「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱に天皇と皇后が頭(こうべ)を垂れることが式典のクライマックスだが、この儀式は天皇と皇后の拝礼によって戦没者たちの魂が慰められ鎮(しず)まるという物語が共有されることで成り立つ。しかし、国がどれほど盛大な追悼式をやろうと、それは死者たちには何の関係もない。彼ら・彼女らは存在せず、もはや決して語ることはないのだ。

 「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎」というレトリックは虚構(フィクション)である。海外派兵をしている日本が平和であると筆者は思わないが、仮に平和が維持され、社会が安定しているとしても、それは生きている者たちの努力によってそうなっているのであって、戦没者のおかげではない。
 しかし、それにもかかわらず、国立追悼施設がいま問題になるのは、一つには、中国や韓国などから閣僚の参拝が批判を浴びている靖国神社のA級戦犯合祀問題を回避して、問題を安直に処理したいからである。要するに、靖国神社は宗教法人(施設)だが、新たな国立追悼施設を無宗教の施設とするなら、誰でもわだかまりなく訪れることができる、天皇や閣僚、外国の国賓・高官も例外ではないというわけだ。
 もう一つは海外で自衛隊員が戦没する可能性があるからである。自衛隊は戦力ではないというタテマエで自衛隊員の死は戦没ではなく殉職であるといくら強弁しようと、交戦で死ねばまぎれもなく戦没・戦死である。その「新たな戦没者(殉職者)」を国家が厚く遇することがないなら、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努める」(自衛隊法52条「服務の本質」)よう、隊員の士気を鼓舞することができないと防衛省・自衛隊は考えている。イラク派兵の前に陸上自衛隊は殉職者を靖国神社に祀ることができないかどうかを検討したが、憲法の政教分離原則があるため断念した。それゆえ、戦争法制の整備が次々に強行される中で、戦没(殉職)自衛隊員の追悼のありよう(霊の扱い)は定まっていない。だから国立追悼施設が必要とされるのである。
 (2009年9月11日記)

【付記】鳩山連立政権の下で国立追悼施設設立がいつ政治日程に乗せられるかはわからない。しかし遅かれ早かれ設立構想は浮上すると思われる。本稿はその事態に備えて設けた入口である。今後も批判を続けたい。
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「イラク戦争は誤り、アフガニスタン戦争は必要」か?帰還兵の証言を聞会のご案内

2009年09月14日 00時01分23秒 | Weblog
★戦争反対の声にも押されて政権についたオバマ氏が「イラク戦争は不要な戦争だったが、アフガニスタン戦争は必要な戦争だ」(8月18日)として増派を検討する中イラクとアフガニスタンからの帰還兵2名を招請して、「冬の兵士日本ツアー」を9月16日から23日まで行ないます。(★「冬の兵士」Winter Soldierはベトナム戦争を告発した証言集会を踏襲して、昨年3月米国メアリーランド州で開催された集会の名前です)
「国際貢献」論議の前にイラクとアフガニスタンという二つの戦場の真実をしっかり見つめよう、というのが一連の証言集会の趣旨です。「冬の兵士 良心の告発」というドキュメンタリを普及させている冬の兵士製作委員会という小さな市民の会が全国に呼びかけ、各地のご協力により下記のとおり開催できることになりました。

★招請する二人の帰還兵のプロフィールやメッセージについては、次のウェブサイトをご参照ください。日本語テロップ付きの動画メッセージもあります。

http://wintersoldier.web.fc2.com/ 

さらに岩波書店から、「冬の兵士イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」という証言集も出版されました。ドキュメンタリ、証言集、証言集会はすべて相互に補いあうものです。戦場の真実と人間の真実に迫ります。
★名古屋での集会も下記の様に予定されています。是非、ご参加ください。   (まもる)

【名古屋証言集会】 9月22日(火・祝)

13:00 「冬の兵士」映画上映
14:30  証言集会 伏見ライフプラザ 12F 第1研修室
名古屋市中区栄1丁目23-13 電話052-222-5781
主 催:「冬の兵士」証言集会名古屋実行委員会
参加費:800円(高校生以下無料)
問合せ先 不戦へのネットワーク
 名古屋市昭和区鶴舞3-8-10 電話052-731-7517
 久野秀明 携帯 090-8670-9197
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