★「沖縄写真展」や元沖縄県知事大田氏を迎えての「平和の集い」を企画している私たちにとってタイムリーなテレビ番組「白旗の少女」が30日九時からテレビ愛知から放映されます。是非ご覧ください。
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<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>
日米で計20万人が犠牲になった沖縄戦(昭和20年4~6月)で、白旗を掲げて米軍に投降した当時7歳の少女の手記「白旗(しらはた)の少女」(講談社)がドラマになり、30日午後9時からテレビ東京系で放送される。原作者の比嘉富子さん(71)は、平和なはずの現代社会に自殺が多いことに心を痛め、「このドラマを通じて、命の大切さを感じ取ってほしい」と訴える。
沖縄南部の首里で生まれ育った比嘉さんは20年5月、米軍が迫っていることを聞き、姉や兄と避難を始めたが、途中ではぐれて一人になってしまう。家族を探してさまよううち、ガマ(自然の洞穴)で出会った優しい老夫婦の勧めに従い、フンドシで作った白旗を掲げて米軍に投降した。
投降の様子は米軍に写真と映像で撮影され、手を振る白旗の少女として広く知られる存在になった。比嘉さんは昭和62年に「少女は私」と名乗り出た後、今回の原作となる手記を出版した。
比嘉さんは「米軍のカメラを武器かもしれないと思ったが、『敵に泣きっ面を見せるな、笑って死ね』という父の言葉を思いだし、笑ってカメラに手を振った」と真相を明かす。
当時の映像では、比嘉さんの後ろを2人の日本兵が歩いている。「私が名乗り出るまでは、『弾よけのために少女を盾にした』などと、うそが一人歩きしていた。実際は、たまたま私の後ろを歩いていただけ」。白旗の少女を名乗る別人もいて、真実を公にしなければとの思いから名乗り出たという。
今回のドラマでは、比嘉さんの少女時代を八木優希(8)、大人になってからを黒木瞳(48)が演じる。「私はガマにいたおじいちゃん、おばあちゃんから命の尊さを教わった。今は平和なのに子供の自殺が多いが、命は一人のものではないことを感じてほしい」と、特に若い世代にアピールしている。(草下健夫)
(産経ニュースより)http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090929/acd0909290821007-n1.htm
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<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>
日米で計20万人が犠牲になった沖縄戦(昭和20年4~6月)で、白旗を掲げて米軍に投降した当時7歳の少女の手記「白旗(しらはた)の少女」(講談社)がドラマになり、30日午後9時からテレビ東京系で放送される。原作者の比嘉富子さん(71)は、平和なはずの現代社会に自殺が多いことに心を痛め、「このドラマを通じて、命の大切さを感じ取ってほしい」と訴える。
沖縄南部の首里で生まれ育った比嘉さんは20年5月、米軍が迫っていることを聞き、姉や兄と避難を始めたが、途中ではぐれて一人になってしまう。家族を探してさまよううち、ガマ(自然の洞穴)で出会った優しい老夫婦の勧めに従い、フンドシで作った白旗を掲げて米軍に投降した。
投降の様子は米軍に写真と映像で撮影され、手を振る白旗の少女として広く知られる存在になった。比嘉さんは昭和62年に「少女は私」と名乗り出た後、今回の原作となる手記を出版した。
比嘉さんは「米軍のカメラを武器かもしれないと思ったが、『敵に泣きっ面を見せるな、笑って死ね』という父の言葉を思いだし、笑ってカメラに手を振った」と真相を明かす。
当時の映像では、比嘉さんの後ろを2人の日本兵が歩いている。「私が名乗り出るまでは、『弾よけのために少女を盾にした』などと、うそが一人歩きしていた。実際は、たまたま私の後ろを歩いていただけ」。白旗の少女を名乗る別人もいて、真実を公にしなければとの思いから名乗り出たという。
今回のドラマでは、比嘉さんの少女時代を八木優希(8)、大人になってからを黒木瞳(48)が演じる。「私はガマにいたおじいちゃん、おばあちゃんから命の尊さを教わった。今は平和なのに子供の自殺が多いが、命は一人のものではないことを感じてほしい」と、特に若い世代にアピールしている。(草下健夫)
(産経ニュースより)http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090929/acd0909290821007-n1.htm