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改めて「友愛」を語る   文科系

2009年09月16日 19時42分18秒 | 国内政治・経済・社会問題
これは、コメントを投稿に格上げしたものです。今とても大切なことだと、書き終わって自分で考えたものですから。

①まず、フランス革命の「自由、平等、友愛」。この友愛は博愛とも訳されてきましたが、フランス語は確かフラティニテとか言いましたから、英語のfraternity でしょう。兄弟愛、同胞愛ですね。つまり、人間としての同胞愛。ヨーロッパの普通の人なら、すぐに思い出すことだと思います。

②時あたかも、グローバリズムがその弱肉強食主義で人間としての同胞愛をずたずたにしたとき。職のない人や弱者が社会を信じられず、モルガンやゴールドマンのハーバード卒ドクターなどのエリートは逆に、こういう人をちっとも顧みなくなった時代です。富者の同胞愛・ノーブレスオブリージの欠片もない現代の貴族たちです。
本日の中日新聞対談で経済学者の浜矩子が、語っています。「鳩山さんがそこまで考えているかどうかわかりませんが、今友愛はすごく大事ですよ」と。岩波新書から「グローバル恐慌」を出して世を憂えた彼女にしてみれば、現代社会批判のキワ-ドなのでもありましょう。

③同胞愛は、社会的弱者にこそ真っ先に向けられるべきものでしょう。子ども、老人、病人、失業者。これらが、②や「小泉改革」によって酷い扱いを受けてきただけに、今重要というわけでしょう。これも同胞愛の観点。
これら全て、3与党合意文書10項目の柱になっています。
「4 子育て、仕事と家庭の両立への支援。5 年金・医療・介護など。6雇用対策の強化、労働者派遣法の抜本改正」と。

④最後に、同胞愛の将来に向かって私見を付け加えたいと思います。
人間の自立を社会が育成することこそ同胞愛の基礎。職場を奪うマネー資本主義は根本的にこれを損ないます。オバマがやろうとしている金融規制は今、このための最大の関門。この関門でさえ上手く通れなければ、同胞愛などもっとふっとんでしまいます。
次に、長期的・実践的に見るならば積極的同胞愛の基礎は教育でしょう。健康な人が職がない社会では、弱者を救えませんから。弱肉強食のサッチャーの後に現れたブレアが教育を最重要としたのは、こういう文脈でのことだったと思います。
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改めて、岡田ジャパン遠征を振り返る   文科系 

2009年09月16日 18時18分23秒 | スポーツ
昨日出た週間サッカーダイジェストは、ヨーロッパ遠征総括号と言って良い。なかなかしっかりした特集が組んであって、当事者はもちろん、ヨーロッパの専門家、サッカ-記者なども含めて「100人が日本代表を切る」と名前が付いている。そこで目についたものを、外国人専門家の評価から拾ってみたい。

真っ先にこんな傾向を思った。ドイツ、イングランドなどを中心に、パワーを重視する国が日本に一番辛い点を付ける。また、オランダで日本に辛い人は、特にFWなど卓越した個人技を中心に見ているようだった。実に、この国らしいと思ったものだ。
日本に最も好意的だったのはどの国だと思います? これが実に今世界で1、2位を争うスペインなのですよね。全員3人が基本的に高評価を与えていたんです。僕は1人密かに、「さもありなん」とうなずいたもの。これにはきっと、岡田監督も大喜びでしょうね。多分スペインサッカー、特にチームで言えばバルセロナを代表の理想としているはずだからです。「小さくても、FWは守備にも、DFも攻撃にと走りつくして、『人もボールも動くサッカー』」ね。これができなければこのバルセロナ、いくら卓越した個人でも簡単に切り捨ててしまいす。昨期発足時前にはかの有名なロナウジーニョを、今期の前には得点リーグ2位のエトーを。

では、スペイン人の褒め言葉だけを拾ってみますね。マイナス面を見ないということではなく、長所を見ると言うことで。つまり、日本人らしくないプラス思考ね。その方が今は良いんです。こんなことを語ってくれた人もいますから。

「もし日本が、自分たちのスタイルに自信を持っているのなら、それをとことん貫くべきだ。そして、『フィジカルとスタミナ』という課題があったとすれば、それを必死に補うための策を講じていくべきだろう」(AFP通信社記者、パブロ・サン・ロマン)

「日本は世界を震撼とさせる能力を備えている。南アフリカではグループリーグ突破は確実だろうし、ブラジルやイングランドとさえ対戦しなければ、ベスト8も射程圏内だ。(中略)
中村俊と遠藤による正確無比なセットプレーは大きな武器。流れの中で決まらなければ、セットプレーで決めればいい。(中略)
FWも日本国内では決定力不足と批判されているようだが、岡崎、玉田、大久保ともに技術が高く、豊富な運動量は魅力だ。(後略)」(「マルカ」紙記者、ダビット・デ・ラ・トーレ)

「試合前の新聞には『レベルの劣る日本』と掲載されていたが、実際にはその内容から大きくかけ離れており、驚きだった。オランダ代表はヨーロッパでもトップクラスの選手が多いが、日本と対峙する際には並のチームになっていた。多くの局面で集団での規律の高さを見せたのは、日本のストロングポイントだ。(中略)
 だが、状況が悪い方向に向いたときに、特別な力、すなわち個人の能力で打開し、ゲームの流れを取り戻せる選手が必要だ。もし彼らが前半のような、効果的な時間帯にゴールを決めていたら、結果はまた違ったものになったと思う」(「エル・バイス」紙編集長、ディエゴ・トーレス)

さて、日本関係者の理想の国スペインがこれだけ褒めてくれるのに、日本ではどうだったか。ジャーナリスト9人が「南アフリカ大会でどこまで行けるか?」にこんなネガティブ回答しかないのである。なぜだろう?
「グループリーグ敗退5人」「決勝トーナメント1回戦敗退4人」
いったいこれは、どういうことなのか、答えは簡単だ。

オランダ戦、ガーナ戦ともに、「強い日本」と「弱い日本」が両極端で同居していた。そのことはこのブログの二つの拙稿に書いたとおりである(当ブログ、9月6日と10日を参照)。オランダ戦では70分までが強い日本で、あとは弱い日本。ガーナ戦では逆に、80分近くまでは弱い日本、あとの20分近くが「強い日本」だ。問題はこのどちらに目を付けるのか、である。僕やスペインの記者は「強い日本」に目を付けた。日本のジャーナリストはその逆しか見ていないのである。決定力が日本長年の課題であったとしても、このジャーナリストたちの目は、サッカー全体から見たらはっきり言って偏見と言って良い。FWの個人技に目を付けるオランダ人や、パワーに目を付けるイギリス人も日本人と同じ傾向にあるのだが、目の肥えたイタリア人もどちらかと言えば日本を褒めていたようだ。

さて、僕の予言
①日本はもっと走れるようになる。普通のゲームで80分まで、ビッグゲームや疲れているときでも70分は。本番では、最後の10~20分は相手も日本以上に疲れているだろうから心配無用だろう。
②点取り屋もやがて現れ、①の時間帯で世界10位代以下のチームからは十分点を取れるようになるのではないか。今なら、岡崎、前田、石川直宏。要のシュート課題は、スピードに乗っていてもシュートが枠に飛ぶこと。
③問題はむしろ、DFである。最低あと2人現れて、柱の2人と競り合わねばならない。これは当然、岡田も考えていると思う。欧州遠征では、慣れ親しんだ2人で、何がどれだけできるかを正確に見ようとしたのだろう。

決定力、得点力が最後にはものを言うにしても、やはりサッカー全体を見る目をいつも忘れたくないものである。何回も言うけど、サッカーは野球とは違う。個人を見るのは最後のこと。最も大切なこと、難しいことは「組織的に走り続けられること」、これであると思う。
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「友愛の政治」を考える(2)お金の回り方を変える 池田香代子ブログより

2009年09月16日 15時49分35秒 | Weblog
子ども手当にしろ、給付には「金持ちにも支給するのか」という異論がつきものです。定額給付金を自身は受け取るかどうかで前の総理が迷走しまくったことは、記憶に新しいところですし、今般、連立政権にくわわる国民新党は、子ども手当に所得制限をつけるべき、と主張しています。

でも、所得制限を設けると、社会は支給される人と、支給されないで負担だけする人に分断されます。生活保護に見られるように、支給される人は引け目を感じたりして(そんな必要はまったくないのですが)、いやな感じが社会にうっすらと漂います。受給資格を審査する公務員は、裁量権を握ってえらくなったような気になり、申請する人もそれを受け入れる気分になったりしがちです。それらはすべて友愛に反します。

(念のために申し添えますが、必要に応じて生活保護をうけることは、わたしたちの権利です。わたしもかつて、若くて貧乏だったころ、生活保護ではありませんが、子どもたちの就学援助を当然のこととして申請しました。いつかは支える側に回ります、と念じながら。おかげで、今は所得税を払う側にいます。納税するたびに、助かった過去を噛みしめます。)

しかも、受給に資格をもうけると審査に手間がかかり、事務経費がばかになりません。だったら、一律交付してしまうほうが経済合理性にかなっていたりします。万人の権利としての受給なら、事務を執る公務員が権力の勘違いに陥ることもありません。支給は、レストランのホール係がお客に水を出すようなことですから。義務教育だって公立図書館だって、収入によって授業料や貸出料を取ったりしません。子ども手当も基礎年金も、ああいうものだと思えばいいのです。

でも、支給のために、いわゆる埋蔵金に手をつけるのは、できるだけ控えていただきたいと思います。国にかぎらず、家計でも会社経営でも、留保は借金返しに回すのが順当なのではないでしょうか。目下の経済てこ入れのために、緊急避難的にちょっと使うことはしかたないでしょうが、それもくれぐれも慎重にしていただきたいと思います。

安定して給付を続けていくには、将来は増税が避けられないでしょう。そのとき、みんなが受給していなければ、自分は負担だけ増える、と増税に反対する人が出てくるのは自然のなりゆきです。だから、無条件の全員支給がいいのです。そして、税金は収入に応じて払いますが、支給は一律同額です。そうすると、貧富の差は是正されます。一律の支給は富の再配分に役立ち、友愛社会にふさわしいというわけです。

年金や医療保険がしっかりしていれば、老後の心配がなくなるので、みんな安心してお金を使います。内需が増えるわけです。よく、モノが売れないと言いますが、モノはもう十二分にあるのです。それにひきかえ、教育も医療も介護も、すべて生身の人間が人間に行うサービスです。モノではなくサービスにお金が使われることで経済が回るのが、成熟社会です。もちろん雇用も増えます。働く世代は、働けない世代へのサービスを仕事とするので、世代間には持ちつ持たれつの関係が強まります。

民主党には経済成長政策がない、と言われます。けれど、貿易黒字を積み上げるのが、いい経済ではありません。お金が社会を勢いよく回る、しかも、大企業という大動脈だけでなく、個々人という毛細血管をよりたくさんのお金が回るのが、いい経済です。いえ、人の体とおなじように、あるべき、すこやかな経済です。給付とサービス部門の充実は、じゅうぶんにわたしたちの生活を豊かにする政策だと思います。

これまでの経済成長は、おもに外国にモノを売ることで達成されてきました。そのお得意さん中のお得意さんであるアメリカは、外国に国債を売って借金して、財政を補っています。アメリカ市民は軍事費でふくらんだ自国の財政を税金で支えなくてすむ分を消費に回し、わたしたちがつくったモノを買っていました。わたしたちがモノを売った儲けは国に吸い上げられ、その少なからぬ部分がわたしたちの社会を素通りしてアメリカ国債に化け、アメリカに回っていたのです。つぎにまたアメリカにモノを買ってもらうために。

お得意さんの大旦那だと思っていたら、じつは借金王だった。そんな不健全不自然なからくりが、このたびの金融恐慌でもう立ちゆかなくなりました。わたしたちとしても、アメリカ頼み、外需頼みの経済は調整すべきときに来ています。輸出部門は、今後、売り先をアジアなどにシフトし、また売るモノを環境や健康にいいものや、農産品を含めた高度の技術を必要とする高級品に特化していきながらも、国民経済に占める割合をだんだんと小さくしていくのではないでしょうか。そして、子育て・教育・医療・介護といった分野が重みを増し、わたしたちがほんとうに豊かさや安堵を味わえる経済へと、成長ではなく成熟していくのではないでしょうか。
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