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戦後のラジオ②     らくせき

2010年02月17日 13時35分46秒 | Weblog

戦後のラジオ放送は、NHKと民放の2本立てとなった。
民放内部では、広告を提供するスポンサーがいるのか?
と心配する人もいましたが、あっという間に
そんな杞憂も吹っ飛んで儲かる商売となります。
NHKのみの放送に慣れていた人たちには、
民放ラジオは新鮮に感じられたのです。

ラジオは、テレビが登場するまで、黄金時代を迎えます。
1950年代はその最盛期でした。
日本中で一番ラジオの普及率が高かったのは
愛知県の安城市でした。
安城市は、日本のデンマークと呼ばれる豊かな農村で、
ラジオの世帯普及率が日本一でした。

黄金時代は、まもなく過ぎ去っていきます。
声しかないラジオに絵のついたテレビには、かないません。
テレビが普及するにつれて、ラジオは聞かれなくなっていくのです。

(これは映画とよく似ています。映画もテレビが普及して
いくまでが黄金時代でした。)

ちょっとテレビについて説明します。

日本でテレビが開局されたのは、1953年。
日本テレビとNHKでした。
まだ戦後の経済混乱期、一体、何人がテレビを買えるのか?
そんな疑問を無視するように、開局に走ったのは読売の正力さん。
(この裏には、世界情勢の変化から、反共の宣伝塔としての
テレビの役割を重視するアメリカの政策があったそうです。
これは、見事に成功します。
テレビから流れるアメリカの豊かな生活スタイルは、
日本人のこころを捉えました。)

街頭に置かれたテレビの前には沢山の人が集まり、
プロレスなどを観戦、テレビの広告塔としての威力を
実証してみせました。

こうして放送局の数が増え、テレビを買う人も増えていきました。
そのきっかけとなったのが、1959年の皇太子結婚式の
テレビ中継です。

これとともに、ラジオを聞いていた人はテレビに移り、
ラジオの広告収入はテレビに奪われていったのです。

(やがて新聞がテレビに負け、今、テレビは
インターネットに脅かされています。)

                つづく

コメント
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イランがちょっと?   文科系

2010年02月17日 09時10分24秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 アメリカ政府の対イラン発言に「ちょっと危ない」ものがまたぞろ目立ち始めたように思います。「あの政権は近くひっくり返るのではないか」みたいな言葉が続いています。イラン革命以降、この国に対してはアメリカはいつもこうでしたが、最近の発言はちょっと酷すぎるように僕は感じます。みなさんどうでしょうか? 例によって目立つ記事は僕も注意していきたいと思いますが、しばらくみんなで追跡していきませんか。どうしてもイラクと同じようにしたいのでしょうか? イラクでもアフガニスタンでも懲りているはずなのに、憂鬱なことです。

 別の話ですが、マスコミもよくやってくれますね。ちょっと前が「新政権!!!」で、最近までは「小沢、小沢!」と連呼していたと思ったら、今度は「オリンピック」一色だ。新政権の予算とか、小沢問題のその後とか、他の記事が読みたいと思っても、「そんなのあったか?」って感じ。衆愚政治、世論は操れるというような不遜なものさえ感じます。螺旋式・我田引水式世論操作、これもファシズムの要素だったはずですね。小沢問題の後だから、ご当人たちにこういう自覚も半分ぐらいはあると思いますね。「販売減にならないようにする一種のコツ」ということでなのでしょうけど、それだけに始末が悪いと苦々しく見ています。
コメント (1)
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