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「事実、人が住めない」と今西哲二助教ら  文科系

2011年04月15日 18時36分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
 アシュラサイトが、本日17時過ぎにこういうニュースを転載しました。出所は夕刊フジ。ニュースの場面は13日の国会報告会だそうです。僕にはこのニュースの信憑性を判断する力はないが、一応載せておきます。
 どういうやり方を取るにしても、いずれにしても事実は知らせねばならないと思います。国民多数の、ひょっとして今後の成り行きではもっと多くなる人々の、命に関わる問題なのだし。「知らしむべからず。よらしむべし」と持って行きたい権力者が多いはずなのだから、声を大にして言いたい。


【 飯館村の放射能レベル「人住めない」 京大が衝撃データ発表投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 4 月 15 日 17:19:03:

飯館村の放射能レベル「人住めない」 京大が衝撃データ発表
2011.04.15 :夕刊フジ

 「計画退避」に揺れる福島県飯館村に衝撃的なデータが突き付けられた。13日に開かれた国会での報告会で、京大原子炉実験所の今中哲二助教らが飯館村は、放射線被害で人が住むのに適したレベルではないなどと発表したのだ。

 今中助教によると、同村南部の曲田地区で、毎時10マイクロシーベルトを超える放射線を確認。3月15日からの積算被曝量は95ミリシーベルトに到達し、3カ月居続けた場合は100ミリシーベルトに達するという。

 原子力安全委員会の指針では、10~50ミリシーベルトで屋内退避、50ミリシーベルト以上では「コンクリート建屋の屋内退避か避難」とされているため、「人が住むのに適したレベルではない」との見解を示したようだ。

 1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故では、高汚染地域の住民が平均50ミリシーベルト、汚染地域の住民が同10ミリシーベルト被曝したとされており、これと比較しても「重大な汚染状況になっていることは確か」としている。

 一方、福島第1原発で作業にあたる関係者の被曝も深刻だったことが分かった。

 東電では、累積被曝量が最大の198・24ミリシーベルトに達した作業員について、ベントの担当する同社の社員であると公表。保安院や東電によると、従来の上限100ミリシーベルトを超えた作業員は13日までに28人で東電社員は25人。注水やベント、タービン建屋などの放射線量測定の従事者という。】
コメント (4)
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原発周辺には住めない?   らくせき

2011年04月15日 10時01分05秒 | Weblog
13日に松本内閣官房参与が記者団に
「原発周辺の避難地区は
十年住めないか、二十年住めないかということなる」と
菅さんが話したと発言。

これに避難地区の首長や住民は激しく反発。
あわてた菅さんは「私は言っていない」と否定。
官房長官も重ねて否定して陳謝することに。

それでもおさまらない地元の反発。
14日には、川俣町長は、菅さんに面と向かって
「首相が『二十年もどれない』なんてとんでもない。
現場の苦労がどれほど分かっているのか」
と批判している。

自民党も「人の心が分かっていない」と批判。

       

しかし・・・
と、考えてしまう。
レベル7。
チェルノブイリ並み、ということは・・・

今もチェルノブイリ原発に近い地区では、
人間が住めないほどの放射能汚染が続いている。
菅さんがウソをついているとも考えられない・・・

一体、この齟齬は、なぜ起ってくるのか?



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随筆 「僕の『自慢癖』」  文科系

2011年04月15日 08時24分46秒 | 文芸作品
 「これは随筆か、小説か?」 僕が属している同人誌でも、よく話題に上ることだ。「随筆は少なくとも事実中心なのだろうけど、小説は創作だろう?」とか。はっきりと随筆だと分かるものの合評の時には、どうしてもそれを事実として、作品自身の批評よりもその「事実」の論議になってしまうことが多いことも関連していよう。対して、当然こうも話される。「随筆でも、嘘や誇張はいっぱいあるだろう?」などと。こういうことは、小説でも私小説で自分と真摯に向かい合うことに関心があるグループなら、当然そうなる必然性もあることだから、難しい。が結局、こうなる。どっちでも良いことだ、それがよい作品か否かしかない、と。


【 僕の「自慢癖」                             

 知りあって間もなくの人などとの会話で、たとえばJRに縁があるという話が出てくるとする。間もなく僕はこう話しているだろう。
「JRとそんなご関係なのですか。僕の弟があそこの山梨のリニア実験所所長をやってました。あそこは東大出の官僚制度みたいなもんがありまして、最後は取締役でした」
 また、学者の世界の話が出るとする。すると、こうだ。
「妹婿が東大工学部の教授でしてね」。ただしこの話しにはすぐに必ずこう付け加える。「その後離婚しました。子ども三人は妹が引き取ってますが、彼の方は最近亡くなりました」。開けっ放しの一面を伴った癖なのである。
 こんな調子で兄の話、父の話。僕の周りはいわゆる「偉い人」が多いのだ。そんなわけでさて、「なんて嫌な奴!」ということになる語り口、癖なのである。会話の脈絡に関連付けて発するにしても、普通に世間を知った人などからすれば当然そうだろう。「虎の威を借る狐」よろしく、「嘘の多い自慢屋?」のレッテルすら貼られかねないのに、こんな癖がずっと無くならない。こういう語り口場面の数々がガバーッと頭を襲ってきて、一人の時など自己嫌悪の大きな悲鳴を上げることさえあるのに。自分の自意識の強さや、ある人に「僕を『誤解』されたかな」などやを悩んでいるときに、必ず起こる悲鳴である。そんな声が連れ合いに聞きつけられて、「どうしたの」と心配されたのも一度や二度ではない。もう病気のようなもんだ。
 そもそも僕は、嘘が少ない人間だ。細かい嘘などは最たる品のなさと考えている。五十年連れ合いを見続けても、自分なりに世を見た経験からも、これは間違いない。「自慢屋」は外れではなかろうが、欠点や、人が隠しがちなこともいくらでも喋る。例えば「僕はもの凄い薄給の人生で、○○万円以上にはなったことがないんです」とか、「美術とか書道とか、視覚の芸術には根っから素養がありません」とか。また、公私両面とも、必要な時の自己批判などは潔いぐらいのものだった。

 さて、なんでこんな癖が消せないできたのか。ほとんど無意識のものだから、何か感性的な、幼少期に身につけたものらしい。思い当たることもあるからまた、根が深いようだ。その一つを書いてみよう。田舎から転校してきた小学校三年生でこんな事を知ってしまった。教師たちが父の職業を知ると僕への態度が変るのである。利己主義かつお喋りな子どものこと、僕はその後結構長くこれをさりげなく利用させてもらった。今思えば、田舎弁丸出しの鼻っ柱が強い仲間はずれっ子が発見した最大の自己防衛策として。これでもって三、四年生の僕が初めて他人との普通の意思疎通の場が出来ていくという、そんな感じだったかも知れない。「封建日本を気持ちよく渡る子ども流社交技術」の一種。
 このことをめぐって、自分用のメモも含めてあれこれを紙にしたのは、これが初めてのことである。が、以上の「精神分析」が正しいとすれば、やはり「嫌な奴」に違いない。加えてまた、少なくとも病的であるのも確かだろう。死ぬまで「嫌な奴」で悲鳴を上げていくのだろう。】 
コメント (10)
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