さて、下の記事は、こういうことを示していると思いました。新自由主義経済下の激烈競争社会では、新しい身分制度が生まれているということ。そして、上の者が下の者を全く人と考えていないという有様がここまで来ているということ。そういう上の者たちの本性が、慌てふためいた緊急時にこそ、神の計らいのように露呈されたということを。
人よりも多少緩やかに食っていこうとすると、死をも覚悟せねばならぬ社会。まるで、それを計算に入れているかのように、業務上の死の情報すら与えない会社。こうして、一事が万事、この出来事は現代日本を象徴しているのではないでしょうか。
およそ300年にも渡る近代民主主義の獲得物って、一体何だったのかと、考えていました。
【 らくせきさんへ
「菅降ろしなんて」については、今それ自身が目的にはなり得ないと思います。ただし、1例として「年20ミリシーベルト撤回、そのための住民支援」の実現のためにどうしても必要という情勢でも現れたら、当然のこと。
只今さん
共産党のことは知りませんでした。これは、ご同慶の至り。と言ってまた、1人だけ別の観点をただ喋っているだけでなく、緊急課題で実を上げることへのその組織を挙げた協力共同だけを、期待したいと思います。
今日の中日新聞には、原発に無知な僕が学べる記事が二つありました。
ひとつは、世界の原発製造会社のこと。ヨーロッパはフランスのアルバ。それと結びついているのが、三菱。アメリカがウェスチングハウスとGMで、各、東芝が買収、日立が協力となっていました。これでは、日本、フランス、アメリカだけが問題の景気をかけて、世界進出も含めて推進一色になるわけだ。
今一つが、原発社員への東電の酷過ぎる仕事のさせ方。こんな見出しでしたね。
『「ベント」作業員に伝えず 東電社員が証言 大量被爆の恐れ』
ここには、こんな文章もありました。3月12日未明、東電本社がベントの決定、作業準備に入ったその日の午前の光景だそうです。
『免震重要棟二階の対策本部社員は3月12日午前、信じられない思いで一階に駈け降りた。汚染検査のガイガーカウンター数台で突然、数値が設定上限を超えて跳ね上がったという。放射性物質が原子炉から漏れ出て空間の汚染レベルが上がり始めたのだ。
「早く中へ入れ」「走って」「できるだけ息を止めろ」。現場責任者が声を張り上げて叫ぶ。怒号が飛び交う中、仕事を終えて戻ってきた作業員たちは、訳も分からないまま小走りで免震重要棟に逃げ込んだ。(中略)
何が起きているのか、情報がない。命令が出たらすぐに退避できるよう、少しでも出口の近くにいたかった。「本当にメルトダウンしたら死ぬしかない」。絶望感が漂い、誰もひと言も話さなかった。』】