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東電の補償に政府資金は、ダメ!   文科系

2011年05月11日 19時48分29秒 | 国内政治・経済・社会問題

 東電の補償に政府資金は、まずダメ!   文科系

 標記のことを力説したい。普通の会社が、自然災害で何もかも失ったとして、政府の金を出せるのか?! そんなわけないだろう。としたら東電は、己の事故領域で被害を被った人に自ら全てを投げ出して補償しなければならないはずだ。そういうときのために保険というモノがあるわけであって、保険が通用しないことは、経営者に誰も補償はしてくれない。こんなことは、当たり前の理屈であろう。東電は、何もかも投げ出すべく、新しい経営者、株主に全てを売り渡すべきである。その金でまず、可能な補償をする。それで不可能な部分を、政府が補償すると言うならば、それは別の話だろう。同じく、社会に不可欠な企業体であるから、運営はし続けなければならないというのも、また別の話だろう。

 なお、東電に政府資金を出すというならば、買い取るのが政府ということもある。それならば、国有化という理屈だろう。国有化した上で、早急に株価を順調に上げて、これを新しい経営者に売るとなれば、それは一つのやり方と言える。政府は無駄な出費がおおいになくなるか、ひょっとして儲かるかも知れないのであるし。

 なお、株主たちも、全てを失うということだろう。それが、この自由主義体制の中で株主が普通にリスクを取るという論理というもの。株を買っていた会社が凄い出費に迫られたからとか、潰れたからとかで政府に補償してくれと、そんなことができるわけがないというのは、この社会の普通の論理というものだ。いったん破産させる。それをまず政府が買う。破産させた後に政府が買った方が、政府資金は少なくて済むのだから。これも、この社会の普通の論理である。破産するような会社は、軌道に乗せなければ誰も高く買ってはくれないし、軌道に乗ることは可能だということである。

 こんな自明なことが、どうしてぼかされているのだろうか。不公正すぎて、不思議な話である。今の社会、ほとんど全てが自己責任とされ、現在力説されている自己責任でリスクを取るって、そういうことではないのか。

 

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米中2大国が協調へ   らくせき

2011年05月11日 19時48分29秒 | Weblog

米中が経済摩擦を協力して乗り越えようという合意が成立したようですね。

この会議、いわゆる制服組も参加したとか。

いよいよ2大国での関係が、対立から協調へと移行していく時代に

入ろうとしていると思います。(米の力が弱体化したためですが)

最近、北朝鮮をカーターさんが訪問し、南北の会談実現への雰囲気が

朝鮮半島に生まれたのも、米中が東アジアを取り仕切ろうという合意が

裏にあったからのでしょう。

日本は、米の意向を忖度しながら対中強硬外交を行ってきましたが、

その米が方針を転換しているようです。

米にとっては、日本が言うがままに行動してくれるのが良いのでしょうが、

日本としては、それで良いのでしょうか?

大震災で日本は、米へのおもいやり負担増に耐えられなくなっていくでしょう。

米はその分、韓国に日本の背負ってきた役割(主にお金)を

背負わそうと考えているようです。

日本の外交は、米の意に諾々として従う米派の外務官僚スタイルでいいのでしょうか?

気骨を見せないと、お金を出さないなら人を出せ、と言われかねませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ネット規制が密かに進行・・・   らくせき

2011年05月11日 19時40分03秒 | Weblog

これは今日の中日新聞「特報」の記事です。

何時の世も権力者は人の口が怖いようです。
今回の震災で、「被災地を外国人窃盗団が襲っている」
などと言ったデマが流れたことを口実に、
ネットでの閲覧記録を警察が、
捜査に利用できるようにしようと言います。
刑法の改定が国会で審議されているそうです。

憲法では通信の自由が認められて、検閲は禁止されています。
言論の自由を守ることが民主主義の大切な根っ子だから。

国側の説明では、閲覧記録は、メールの内容ではないので
憲法が守っている通信の秘密を侵すことにはならないそうです。
また、法務省は、通信の秘密は公共の福祉のためには
必要最小限の制約は許される、と言っているそうです。

形式論で枠をつくって、内容も規制するという
常套の手法ですね。

言論は、本来、自由であり、問題は言論のなかで
決着をつけるべきもの。
国家が口をだすべき分野ではない。

今回のことからも、憲法は国にキマリを守らせるための
国民の宝刀だということが明らかだと思います。

 

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