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原発、酷いニュース二つ   文科系

2011年05月13日 11時20分19秒 | 国内政治・経済・社会問題

原発、酷いニュース二つ   文科系

 今問題になっている1号機のメルトダウンは、小出裕章氏がずっと繰り返し指摘、警鐘してきたこと。この指摘は、ここでも何回かご紹介した。彼は今でも、1号機について再臨界発生を恐れているはずだ。


 ところが、昨日と今日、あと二つの非常に深刻と思われる記事が、中日新聞に載った。一つは昨日のもので、「高濃度汚染水 再び海に 福島第1 3号機立て坑から」。
 そしてもう一つは。本日の27面に、「79年に被ばく 元原発作業員」。原発運営が昔から、多くの作業員に酷い被爆状況を強いて成されていたことが分かる。それも無知作業とその黙認のままに彼らを放置して。そんな彼らが今、労災にも認定されないのは何故なのか。「高給だったのだから、覚悟していたはず」とでも言うのだろうか。だとしたら、金で人のほっぺたを叩き、無法を通す確信犯だ。労基局までがこの犯罪のグルだったということなのか? 社会問題にさせないための隠蔽工作をする、「労災」監督官庁? それなら「労災促進官庁」ということになるが。とんでもないことだ。

 ともあれ今日は、3号機立て坑の高濃度汚染水問題を取り上げたい。漁民たちの遠い将来までがかかった、とても恐ろしい事実が、ここには含まれていると考えるから。
 以前2号機が高濃度汚染水を垂れ流しにしていたと、大問題になったことがある。ところが、その2号機の垂れ流し目視点検が、4月20日で打ち切りになったのだという。そして酷いことに、こんなことが書いてあるではないか。
『福島第1原発3号機から11日、高濃度の放射能に汚染された水が海に流出していることが分かり、ほぼ同じ状況で流出した2号機の二の舞となった』
『11日昼に作業員がこの立て坑に水が流れ込んでいるのを見つけた。水位は上がっておらず、近くの海に漏れ出していると判断した』
 そして、今回の何よりも唖然とした話が、こうだ。
『3号機の立て坑は開口部にがれきが積み重なった状態で、11日に取り除くまでそもそも目視確認を一度もしていなかったことも分かった』

 3号機って、恐ろしいモックス燃料を使ったものではなかったか。だから近寄れなかった、だから目視もできなかったと、そんな疑念さえ湧いてくる。それにしても、漏れ始めたのはいつのこと? 3月からずっと垂れ流しだったのだろうが、大変なことだと思う。こんな重大なこと、なぜロボットを使うかなにかしてでも、至急に確認しなかったのか。半減期が恐ろしく長く、かつ透過力が強い放射性物質だったかで、海、漁民への影響は計り知れないと思うのだが。


 東電の事故処理作業はもう、伏魔殿というしかない。今後も何が出てくるか分からなくって、恐ろしい。国民を何だと思っているのか!

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   夕焼けがみられるために    只今   

2011年05月13日 10時33分41秒 | Weblog

  本ブログでのコメントなどをめぐって、かみ合わぬことしばしば。
 その一因に、いわゆる「文系」と「理系」の相克があるのではないか。
と手前勝手に思い、朋友の「文系人間と理系人間」なるエッセイが参考になればと、
その一節を陳列させていただきます。

 =理系人間の文系人間への批判はこうです。
「文系人間のいうことは〈私的経験〉の叙述でしかなく、誰にでも接近できる〈公的経験〉としての科学のように明確性を欠く」

 それに対する文系人間の反論はこうです。
「科学の知は、しょせん、数え、量り、比べるという計量化にしか過ぎない。従って科学は、例えば夕焼けの美しさを天候などの気象条件、日照角度、その折りの空気中の成分などのデーターとしてしか提示し得ず、それらは夕焼けの美しさそのものではない。それを表現しうるのは例えば、詩歌などの文学的表現や絵画などにほかならない。」

 実は、文系人間の私もそう考えていた時期があります。
 しかし、フランスのある哲学者が喝破したように、科学的知であろうが芸術的知であろうが、それらは記憶し記録された現実の代用としてのいわゆる「代補」であるに過ぎないとしたら、ともに夕焼けそのものでは決してないのです。(中略)

 今日、理系人間のある人たちは、自分たちが生み出してきたものを慈しみながらも、
 その未来への恐怖の予感におののいています。
 一方、文系人間はと言えば、実際にはその恩恵に最大限浴くしながら、
 その行く末に眉をひそめて見せたりしており、この段階では理系人間のほうが誠実であるかもしれません。
 いずれにしても、文系や理系の二つの文化の対立という図式がもはや無効であるような事態がすでに現われているのですが、とりわけ、文系人としてはこの事態をシニカルに眺めるのではなく、そこへとわけいり、来るべき時代について考えるべきだと思うのです。=


 

 

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フクシマ1号炉に溶融     らくせき

2011年05月13日 09時21分39秒 | Weblog

東電がフクシマ1号炉の溶融を発表。水を入れても入れても追いつかないのだから

この事態は想定内のはず。では、なぜ、今、発表したのか?

危険が一応回避されて一段落、一時帰宅、補償のワクグミもまとまりかかり、ここを逃しては

これまで公表してこなかった事態の深刻さを国民に知らせるタイミングを逃す・・・

と、こんなことじゃないでしょうか?

国民向けの工程表のほかに、国民に毒薬を飲ませるための工程表もあるみたい。

こういうのを情報操作って言うんでしょうね・・・・

国民がパニックにならないための必要な措置という見方も当然あるでしょうが・・・

いずれにせよ、火事の鎮火には、まだまだ時間がかかるし、方法の再検討も。

 

 

 

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