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竹島問題を政治的に利用するのは危険   らくせき

2011年08月15日 20時59分37秒 | Weblog
最近、韓国では竹島問題が大きく報道されています。
日本でも自民党の国会議員が、党首脳部の反対を押し切って
竹島を訪問しようとして入国を拒否されました。
韓国のジャーナリズムで、この問題での冷静な対応を
呼びかけているのが中央日報です。
その社説を紹介します。

       

ハンナラ党代表が昨日、いきなり「独島派兵論」を持ち出した。
海洋警察所属警備隊では限界があるため
海兵隊を駐留させようということだ。
洪代表は「すでに政府とも協議を終えた」と述べ、
この主張には深刻な論理的盲点があるという点で懸念される。

独島は大韓民国の領土であり、領有権紛争地域ではないというのが
韓国政府の公式立場だ。
それなら軍人ではなく警察が治安を担当するのが論理的に正しい。
それを、突然、海兵隊を送って独島を守るというのは、
独島が紛争地域に変わったことを自ら認めることだ。
政治的な効果はあるだろうが、国際法的には明白な損害だ。
独島の紛争地域化を狙う日本が望む悪手の中の悪手だ。
こういうことを狙って日本は挑発を続けているのだ。

政界の独島ポピュリズムがますます深刻になっている。
最近は与野党が競い合いながら独島訪問に乗り出している。
独島に対する国民感情に便乗することを
安全で確実な得票手段と考えているからだろう。
政府までが政界に振り回されながら、
独島ポピュリズムに調子を合わせているため、さらに心配になる。
政府の落ちた支持度を挽回できると考えているのなら、それは錯覚だ。
国民はそんなに単純ではない。
いま私たちに必要なのは、独島が韓国の領土という実体的証拠と
客観的論理を、静かながらも根気強く蓄積して開発することだ。
独島は政界の得票用材料ではない。

       

北方領土問題を、日本人は比較的、冷静に眺めているように感じられます。
しかし韓国や中国は、日本とは違った状況にあるようです。
いま、愛国心を燃え上がらせることが 100%善であるという
怖ーーい空気があるようで、そこを政治家が利用しようとしている。
ちょっと心配です・・・

こうした空気は、韓国のなかで、震災に対してあんなに援助したのにナンダ、
という気持ちを引き起こしているようです。
私は、震災への援助は、心から感謝しています。
しかし竹島問題は、別で、それはそれで話し合う問題だと考えています。
多分、多くの日本人も同じ考えでしょう。
いまはことを大きくしない。それが大人の態度でしょう。
まして韓国の政治状況に便乗したような政治的なパフォーマンスは
慎む時期だと思いますが・・・



コメント (11)
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同じとみても、違うとみても……    只今

2011年08月15日 14時44分06秒 | Weblog
 
 =核の「軍事利用」で放射線被害にあったヒロシマ、ナガサキと、
  核の「商業利用」で同じく放射線被害者をだしたフクシマを結んで “核と人類は共存できない” ことを訴えます=
  というのが、今年の「原水(禁)大会」声明。

  今から33年前の1978年、小出祐章さんが師と仰いだ故水戸巌(東大原子炉~芝浦工大)氏は、こう訴えました。
 =現在、日本で稼働中のすべての発電炉は、ヒロシマ原爆の材料となったウラン235の分裂連鎖反応を用いており、ヒロシマに
  降り注いだと同じ死の灰を毎日作り出している。
  現代を「原子力時代」と呼ぶのは、間違っている。原発再処理工場の恐るべき汚染、手のつけようのない高放射能廃棄物の放
  置。武谷三男先生が言われる「原水爆時代」なのです。
  この原発問題を棚上げにして、原水爆禁止を語ることは、原水爆禁止運動を〈夏祭り〉におとしこめることであり、今こそ「原水
  爆禁止」と「原子力開発阻止」を固く結びつけなければなりません=
    しかしこの訴えは、原水協は勿論、原水禁内部でも確かな形では受け止められませんでした。

  核兵器と原発は、共に核分裂に伴うエネルギー、人間が制禦することが出来なくなった同じものと見る見方は、
  新しいものではなく、遠くは故加藤周一氏、ビキニ水爆の被爆者大石さんが訴えていました。
  そしてこれに反対する表明も、遠い日から今年の広島市長のコメントにみられるようなものでした。
 =「核兵器廃絶」と方向が違う「脱原発」が注目されるのは、如何なものか=
  まさに、元資源エネルギー庁原子力産業課課長補佐の面目躍如たるものがあります。

  しかし、原爆と原発の最大の違い、それは原爆が核エネルギーを効率的に爆発させようとするのに対して、原発は制御しながら少しずつ崩壊させるそこが違うとする見方があります。

 =原爆で拡散する放射性物質は〈燃え損ないのカス〉または、〈爆発時の放射線照射を帯びてしまった周辺物質〉であって、使われた核物質の本体ではありません。
  それに対して原発で使われるのは、ナマの放射性物質ですから、使用済になった後でもイキのいい放射能を保っています。使用中の若い燃料であれば、なおさらです。さらに最近では猛毒のプルトニュウムが含まれていますから、万一にも外部に拡散したら、放射能の害は、原爆の比ではありません。
 それが分っているから、原子炉は五重の安全対策で守られてきたのでしょう。しかしその安全神話が崩れたのです=

    以上、「原発は原爆よりも恐ろしい」と吐露されるのは、元NHKディレクター志村建世さん。             
        毎土曜日、新宿で「九条守れ」のスタンディングを続けておられる方です。

 




 

  
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科学という「物語」と「神話」     あんころもち

2011年08月15日 01時09分46秒 | Weblog
 これは前項の只今さんの文章にお付けになった文科系さんへの反論です。
 その場でもすでに書きましたが、私たちがこうした問題に向きあってゆくための基本的な問題を含んでいると思いますので敢えて新しいトピを立てさせて頂きます。

  ==================================

 原爆と原発はやはり同じテクノロジーです。
 前者は核反応を瞬時に引き起こす、後者はそれを徐々に引き起こすということです。そしてそれは、技術としては前者のほうがはるかに安易で、広島・長崎で実験され、さらにその数十倍の威力のあるものまで実験されました。

 しかし、後者の徐々に燃やすという技術はいまだに確立していません。発火させることができても消すことが出来ず、その廃棄物も処理できません。
 それがスリーマイルでありチェルノブイリでありフクシマで実証された事実です。

 文科系さんの上の文章(注:只今さんのトピへのコメント)では、なにか情緒的で反科学的な言い分は反動的でいけないのだというように読めますが、それはまったく違います。
 科学というのも現象を記述するひとつの「物語」にすぎないのです。ですから、反科学的といわれようが情緒的といわれようが、そこに悲惨や残酷があった場合、それに対して断固として「反動的」になることこそが人の道なのです。

 それから補足ですが、おっしゃっているように原発反対はそんなに少数派ではありませんでしたよ。
 この間の情報が明らかにしてきたように、電力資本と官僚、地方自治体長などが有り余る電力資金をもとに、あらゆる公聴会、アセスメントを牛耳り、原発賛成が多数派であるように装ってきたのが事実なのです。

 再度繰り返しますが、人間が被る悲惨や残虐の前に「科学的」であるかどうかなどはまったく無縁です。逆に、これまでどれだけ「科学的」という名のもとに人が殺されて来たかをご存知でしょうか。

 私は情緒的といわれようが反動的といわれようが、人類が悲惨や残酷に陥らないほうに与します。
 文科系さんに「科学」という「神話」、「進歩と反動」という「神話」から脱却されることをお勧めいたします。
 これは以前、文科系さんがおっしゃっていた、いかにしてスターリニズムから脱却したかにも関連します。
 はっきりいってその総括(過去ログへさかのぼって拝読しました)は不十分だったということです。
 



 
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