大西さんのエントリーに付けさせていただいた二つのコメントを、エントリーに格上げする。いずれも、若干の補足修正をした。
『 ヤクザの態度! (文科系) 2014-06-23 22:08:48
偏狭にねじ曲がった愛国主義が、邪な歴史見直し・改ざんに繋がるのは、歴史法則。以下のように、まるでヤクザの態度である。
「大日本帝国!」の朝鮮侵略を、「征服までの執拗な武力進出40年に続いて、植民地35年」の事績としてこのブログで描いて来たつもりだ。征服前の40年でも、例えば日清戦争に繋がった東学教徒反乱事件などは、どれだけ韓国の人々を殺したろうかと。その後、1929年の世界大恐慌で日本でも「娘売ります」の時代があったことを考えれば、文字通りの慰安婦強制が万一なかったとしても、強制も同じ事を日本が韓国にしたと証明してきたつもりだ。値が高いから商品になる米は税金として群山港などから日本へ輸出し、朝鮮の方々は粟や稗を食べている貧しさにあったなら、「娘売ります」は必然である。それを細かいところで、ちまちまと日本蛮行を打ち消そうとしてきた。こういう大本を顧みることなく姑息なことを論じている輩は、軽蔑の対象にしかならないだろう。何の正しい教養も知性もなく、ただ相手にイチャモンを付けるだけという意味で、もうヤクザの発想である。
『「軍の意向を受けた業者」とする原案を「軍の要請を受けた業者」と訂正した事実』??!!
火を見ないで煙を探す?類と言える。実際の火の前には、煙なんかはどっちでも良いことであるはずなのに。ヤクザのように私利を押し通すだけの連中は、理性がどこまでも落ちていく。だから歴史は怖いと思うのだけれど。』
『 南京大虐殺も同じ論理 (文科系)2014-06-24 13:03:19
南京大虐殺否定論も同じ論理だと観ている。こういう言い方をするのである。
「死者が40万??そんなに多いわけがない。第一南京市の人口はこんなに少ないぞ?!」
対して、歴史資料をよく調べた歴史家らはこう反論するはずだ。南京入城は、上海陥落の直後に起こったこと。上海の3か月続いた激戦からの上海中国軍大潰走は長江沿いに南京に向かったのである。つまり、首都南京には、上海からの敗残兵が溢れきっていた。そして、これを我先にとこれまた長江沿いに日本兵が追走したのだと、そういう構図である。この後に首都南京で起こることは、歴史の素人でも目に浮かぶ。上海の長い激戦で戦友らを多数殺された日本兵の敵愾心がこもった興奮、武者震いはどれほどのものであったことか。1937年12月12日の夜から13日朝にかけて、高い城壁に囲まれた南京の正門からのみ長江へと潰走していく敵軍を川端に追い詰めた虐殺がどんな光景であったのか。民間人に化けるのを常道としていた寄せ集めの中国兵をば民間人諸共に殺す必要もあったのである。陸軍歩兵学校が発行した「対支那軍戦闘法の研究」には、こんな下りも存在したのである。
『支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者』
『仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し』
因みに日中戦争は日本の都合から宣戦布告が無く、日清、日露戦争のような戦争ではないのだ。よって「(戦争)国際法の遵守」も不必要、これは命じられてはいなかったのである。
こういう「大状況」に対して、3万と言ったり、せいぜい数千と言ってみたりする死者の人数論だけを返すのは、やはり煙を論じて火を見ないやり方である。完全燃焼の炎が誰の目にも見えたのに、煙がないから炎はないという論法である。ただ、歴史を知らぬ若い人には炎が見えないことを拠り所としている悪辣さというわけだ。東京裁判否定も含めて、安倍周辺の15年戦争蒸し返し論議はすべてこういう論理と断定してよいと観ている。ただ愚かな、まことに自分勝手な論理という以外にはない。』
『 ヤクザの態度! (文科系) 2014-06-23 22:08:48
偏狭にねじ曲がった愛国主義が、邪な歴史見直し・改ざんに繋がるのは、歴史法則。以下のように、まるでヤクザの態度である。
「大日本帝国!」の朝鮮侵略を、「征服までの執拗な武力進出40年に続いて、植民地35年」の事績としてこのブログで描いて来たつもりだ。征服前の40年でも、例えば日清戦争に繋がった東学教徒反乱事件などは、どれだけ韓国の人々を殺したろうかと。その後、1929年の世界大恐慌で日本でも「娘売ります」の時代があったことを考えれば、文字通りの慰安婦強制が万一なかったとしても、強制も同じ事を日本が韓国にしたと証明してきたつもりだ。値が高いから商品になる米は税金として群山港などから日本へ輸出し、朝鮮の方々は粟や稗を食べている貧しさにあったなら、「娘売ります」は必然である。それを細かいところで、ちまちまと日本蛮行を打ち消そうとしてきた。こういう大本を顧みることなく姑息なことを論じている輩は、軽蔑の対象にしかならないだろう。何の正しい教養も知性もなく、ただ相手にイチャモンを付けるだけという意味で、もうヤクザの発想である。
『「軍の意向を受けた業者」とする原案を「軍の要請を受けた業者」と訂正した事実』??!!
火を見ないで煙を探す?類と言える。実際の火の前には、煙なんかはどっちでも良いことであるはずなのに。ヤクザのように私利を押し通すだけの連中は、理性がどこまでも落ちていく。だから歴史は怖いと思うのだけれど。』
『 南京大虐殺も同じ論理 (文科系)2014-06-24 13:03:19
南京大虐殺否定論も同じ論理だと観ている。こういう言い方をするのである。
「死者が40万??そんなに多いわけがない。第一南京市の人口はこんなに少ないぞ?!」
対して、歴史資料をよく調べた歴史家らはこう反論するはずだ。南京入城は、上海陥落の直後に起こったこと。上海の3か月続いた激戦からの上海中国軍大潰走は長江沿いに南京に向かったのである。つまり、首都南京には、上海からの敗残兵が溢れきっていた。そして、これを我先にとこれまた長江沿いに日本兵が追走したのだと、そういう構図である。この後に首都南京で起こることは、歴史の素人でも目に浮かぶ。上海の長い激戦で戦友らを多数殺された日本兵の敵愾心がこもった興奮、武者震いはどれほどのものであったことか。1937年12月12日の夜から13日朝にかけて、高い城壁に囲まれた南京の正門からのみ長江へと潰走していく敵軍を川端に追い詰めた虐殺がどんな光景であったのか。民間人に化けるのを常道としていた寄せ集めの中国兵をば民間人諸共に殺す必要もあったのである。陸軍歩兵学校が発行した「対支那軍戦闘法の研究」には、こんな下りも存在したのである。
『支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者』
『仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し』
因みに日中戦争は日本の都合から宣戦布告が無く、日清、日露戦争のような戦争ではないのだ。よって「(戦争)国際法の遵守」も不必要、これは命じられてはいなかったのである。
こういう「大状況」に対して、3万と言ったり、せいぜい数千と言ってみたりする死者の人数論だけを返すのは、やはり煙を論じて火を見ないやり方である。完全燃焼の炎が誰の目にも見えたのに、煙がないから炎はないという論法である。ただ、歴史を知らぬ若い人には炎が見えないことを拠り所としている悪辣さというわけだ。東京裁判否定も含めて、安倍周辺の15年戦争蒸し返し論議はすべてこういう論理と断定してよいと観ている。ただ愚かな、まことに自分勝手な論理という以外にはない。』