九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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随筆紹介  生々流転    文科系

2016年08月04日 19時34分01秒 | 文芸作品

  生生流転   S・Yさんの作品です 

 母が体調を崩して病院へ運ばれた。九十二歳なので身体が衰えるのはいたし方がない。
 駆けつけると救急治療室で寝かされていた。入れ歯が外されているせいか驚くほど顔は小さくて皺くちゃ、白髪頭も山姥のよう。呼びかけると皺が動いて薄く目が開いた。「来てくれたの。ありがとう」弱弱しいがはっきりと聞こえた。母に付き添うこと数時間、その間、様々な検査をした結果、そう問題はないので帰宅してもいいということになった。
「ご本人も入院はイヤだと言われてますし、入院すると寝たきりになる可能性もありますからね」。しかし、嫂は頑として入院させるという。私は逆らえなかった。哀しかった。
 その後、私は片道二時間かけて病院へ通うのが日課となったが嫂は一度も顔を見せない。病院側から再三の退院してほしいとの催促に私も困惑しているのだが、母と同居しているのは兄夫婦。彼らが忙しいと突っぱねるのに私は反論できない。自分の弱さが歯痒い。
 兄は誰もが認める暴君である。兄には世間一般の常識は通用しないどころか、彼自身が法律なのである。対等に話し合いなどどだい無理なこと。それでも暴君なりに情の深いところもあったが、ところが近頃、これまた誰もが認める薄情な嫂にどうやら感化されている節がある。やっかいなことだ。こうなると気がかりなのは老いた母のことばかり。
「長く生き過ぎた。今が死に時かねえ。でも人には定まった寿命があるのか、なかなか死ねないんだよ」病院のベッドでそう繰り返す母の顔を見ながら、私は奥歯を噛み締めた。

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「よたよたランナーの手記」(167) 癌治療薬を飼い慣らす?   文科系

2016年08月04日 18時14分44秒 | スポーツ

 7月3日以来しばらく書かなかったのは、前立腺癌治療薬の様子を見ていたからだ。12月から陽子線照射治療に入る前の半年間に、毎日1回の飲み薬と、月一回の注射をやっているのである。強い薬である注射の方は6月20日から既に2回打った。女性ホルモンとか、男性ホルモン抑制とかの作用があるらしい。
 これらの影響について、前の7月3日にはこう書いた。

 『先ず、ウオームアップがなかなか深まらず、時間がかかる。その間に、時速8キロで走っていても心拍数が160近くになることがあるし。やがて、心拍数が140を切るように落ち着いてきても、なかなか速度が出せない。10キロ時で走れはするが、後で猛烈な疲れが残ることが分かっているから、特にそうだ。「汗が出る」とか「身体がだるい」とかが、薬の注意書き本に書いてあるのだから、自然なことなのだろう』
 
 さて、手帳の記録を見ると治療開始前の4月4日、9.9キロ(/1時間)以降、どんどん下がっている。注射を打っていなかった5月未までは10キロ近くまでのスピードで走っていたが、6月以降今日まで9キロ台はない。ウオームアップに時間がかかって、前半30分が4キロちょっとしか走れないのだから。前半に無理をするとその疲れが後に残って、後半に歩き出すことも何回かあった。それで、通院、投薬などでばたばたした新しい環境に慣れてきた今のやりかた、目標は、こんな風に構えている。

  9キロに最も近かったのが7月19日の8.9キロ。さし当たって、これを越すためにちょっと力を入れてみている。そして、8.4、8.5、そして今日8.6まで来た。今の問題は、筋肉よりも心臓なのだ。ウォームアップが長く要るようになったのも、冒頭に書いてような心臓の変調が原因であって、注意して鍛えている筋肉には何の問題もないのだから。心臓不調はホルモン剤の影響なのだろうと、これに慣れる走り方、その日の心臓の上げて行き方が要チェックなのだろうと、そんな風に考えている。注射薬の副作用(これを解説した冊子をもらった)に、こんなことも書いてあるからだ。
『動悸、息切れがする・・・・』
『汗が出る、熱が出る、からだがほてる・・・』

 これでも走り、こんなふうに自分を駆り立てるのは、これが僕の長年のやり方、生き方だから仕方ない。30歳前に椎間板ヘルニアの手術をしている身体でも、不整脈からやがて心房細動・心臓カテーテル手術をしても、今これだけ走れているのは、こういう「弱点を逆に叱咤激励するやり方」できたからなのである。でも、不整脈がありながら心拍計を付けて走っていたから不整脈関連のことが学べて慢性心房細動からいち早く命を救えたのだし、不整脈対策の血液検査から前立腺癌マーカー・PSA値を定期検査していくことにもなったのだから、2度命が救われたのは走っていたお陰とも言えるのである。攻撃は最大の防御なりではないが、「ただ身体を大事にして守るのではなく、逆に攻めてこそ守れる」という結果が、僕の今の走りなのだろうと振り返ることが出来るのである。

コメント (1)
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