九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

保安院の大罪(12) 経産相「再稼働」を許せない理由  文科系

2011年06月20日 10時14分34秒 | 国内政治・経済・社会問題

保安院の大罪(12) 経産相「再稼働」を許せない理由  文科系

 標記のことを簡潔に述べてみたい。

①福島事故原因が明らかになっていない。津波と地震自身とで、どちらにどれだけ比重があったのかがはっきりしていない。
②事故後の人為的ミス、あるいは人材に対する課題の難度、などなどの内実も分かっていない。
③以上①、②の実際によって、他原発にも同じ事が起こりうる確率が違ってくる。そういう数字を、経産省自身が本気で調べたとも思えないし、知っていたことですら隠してきた事も多い。それどころか、意図的にごまかしてきた事さえも多かったと断言できる。自分らの責任逃れからと見るのが自然だろう。
④膨大な数の内部被ばく者が発生したわけだが、小児甲状腺癌、骨髄癌などなどの被害の大きさが分かるのは、はるか先のことだ。それで再稼働などとは、国民に対して鬼畜にも劣る手前勝手。こんなことで再稼働を許せば、先の話として癌患者の発生数などを誤魔化しにかかるのが落ちだろう。薬害エイズを長く認めなかったように。
⑤経産省周辺はこうして、「人としての慎み」に欠ける。国民を思うという点で全く品格がない。そもそも、故郷を失った膨大な人たちや海産物を国民が安心して食べられない状況をどう考えているのか? 避難所で寿命を縮めた人々についても同じだ。申し訳なかったという気持ちが、東電と共に全く感じられないのである。④、⑤合わせてみると、これで公務員・「(国民の)保安院」とは、聞いて呆れる!? 
⑥問題になっている電力不足は、休止中の火力発電再開で間に合うと言われているのだし、これで繋いでいる間に自然エネルギーの開発を急げばよい。 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党・石原幹事長、革マル派、中核派を評価

2011年06月20日 00時33分45秒 | Weblog

 自民党・石原幹事長は18日、山口県でのセミナーで脱原発運動の背後には、革マル派や中核派がいると述べたようです(「毎日新聞」)。  

 もちろんこれは、脱原発運動がいわゆる「過激派」の運動にほかならないと印象づけるための卑劣なレトリックですが、しかし、「東京新聞」の世論調査によれば、今や82%の人が即時であれ段階的であれ、原発の廃炉を望んでいる折から、この世論誘導は逆に、革マル派や中核派を評価したことになるのではないでしょうか。

 こんなつまらないことを言ってる暇があったら、お父様のところへいって、懲りることなくオリンピックを誘致するより、「必要不可欠」な原発を東京都内へ誘致することにし、その政策を都民に問うたらどうですかと言って差し上げたらいかがなものでしょう。

 海江田さん、菅さん、「既存の原発の運転を再開せよ」とはやはり原発依存のエネルギー政策ですか?見直すのではなっかったですか?いわゆる「リアルポリティックス」の罠から抜け出すことこそが政治的な決断だと思うのですが、これでは「はじめに原発ありき」のまったくの追認にしかすぎませんね。

 先行きがまったく見えず、メルトダウンからチャイナ・シンドロームの段階に進みつつある「フクシマ」、そこで基準以上の放射能を浴びて働いている人々、住居も職も奪われて収容所同然の暮らしを強いられている住民たち、それらを差し置いてどうしてそんな判断が下せるのですか。

 経済や産業のためには人の命など取るに足りないのだとしたら、その経済や産業ってなんのためのものですか?

 「あんころもち」でした。

コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保安院の大罪(11)「罪に罪を重ねる」その2  文科系

2011年06月19日 10時05分41秒 | 国内政治・経済・社会問題

保安院の大罪(11) 「罪に罪を重ねる」その2   文科系

 昨日の続きです。長谷川幸洋氏は、経産省役人に対して本当に怒っている。こんな説明さえ付けて。『私が書いた署名記事をめぐって役所から、こんなあからさまな圧力を受けたのは初めてのことである』。そこで、海江田万里経済産業相に問題をぶつけることにした。するとまた、返ってきた回答がとんでもない代物。自分らの蛮行を嘘でねじ曲げて正当化したのである。

 こうして長谷川氏の出した結論がこうだ。『官僚の世界では、自分たちの既得権益を守るために戦った人間は、たとえ世間で批判されても、かえって評価されるのだ。そういう官僚こそ「黒光りする」と言って、誉めたたえるのが「霞が関の掟」である』。

 責任転嫁をした回答
 国民の税金を使って仕事をしている政府の人間が新聞の論説委員に対して、言論内容をめぐって圧力をかけるとは許しがたいことだ。 私は10年以上、論説委員をしているが、私が書いた署名記事をめぐって役所から、こんなあからさまな圧力を受けたのは初めてのことである。私自身は無言の圧力を受けたからといって、経産省と裏取引をしたり、筆を曲げるつもりはまったくない。それは5月27日付コラムで「こういう役所はいらない」と書いたとおりである。
 だが、取材記者のことは気になった。論説と編集は互いに独立しているとはいえ、記者に対する取材制限が私のコラムに原因があるのはあきらかだったからだ。そこで考えた末、海江田万里経済産業相に問題をぶつけることにした。事務次官や官房長を直撃する手も考えたが、彼らも同じ官僚である。いくら攻めても、時間の無駄になる可能性が高い。政治家である大臣の見解が聞きたいと思ったのだ。私が大臣サイドに接触し事情を説明すると、話を聞いた担当者はその場で「それは広報の対応がまったくおかしい。すぐ調べます」と答えた。
 すると、まもなく担当者から驚くべき回答が返ってきた。広報室長は大臣室からの問い合わせに対して、こう答えたというのだ。
「東京新聞記者の取材制限をしているのではない。その記者は自主的に懇談出席を見合わせているのです」
 自分たちが取材制限しておきながら、大臣室が介入してきたと知ると「それは記者の判断です」と言い逃れしたのである。責任転嫁こそが官僚の常套手段とは知っていたが、こうまで平然と居直られると、まったく開いた口がふさがらない。
 ふざけた話である。と同時に、官僚のばかさ加減にあきれた。

 そもそも、どうしてこんな事態になったかといえば、私から逃げ回る一方で、こそこそと陰に回って圧力をかけようとしたからだ。自分たちの行動について、よく考えもせず「ちょっと脅せば黙るだろう」くらいのつもりで記者を出入り禁止にした。こうしたケースでは、従来から官僚がよく使う「脅しの手段」だったからだ。論説委員と編集の取材記者の違いくらいは当然、知っていたが「どうせサラリーマン。似たようなもんだ」となめてかかったのである。
 良くも悪くももう少し有能な官僚なら、具体的な行動を起こす前に論理と正当性をしっかり詰める。しかも余計なことは一切、言わない。徹底的に問題点を詰めることこそが官僚の能力であるからだ。それを私はこれまでも体験してきた。しかし、今回はそうではなかった。

原発事故への対応とそっくり
 上司への抗議も出入り禁止処分も、おそらく広報室長1人の判断ではない。直接の上司である官房長はもちろん事務次官にも判断を求めていたはずだ。なぜなら、彼らこそが記者と懇談する「経産省幹部」であるからだ。ところが、それでもブレーキはかからず、突っ走ってしまった。その挙げ句、私に真正面から問われると、沈黙する以外に方法がなくなってしまったのである。
 これは大げさでなく、経産省の原発事故への対応と似ている。

 原発を推進する資源エネ庁と安全監視する原子力安全・保安院が同じ経産省にぶら下がっていたことがなれ合いを生んで、事故の遠因になった。これは事故発生直後から、私を含めて多くの識者が指摘してきた。ところが、マスコミや国会でその点を質されても、経産省はのらりくらりと逃げ回り、国際原子力機関(IAEA)が調査団を派遣して問題を指摘するに至って、ようやく「保安院の切り離し」を認めた。「もう逃げられない」と観念して、初めて渋々と動く。しかも、保安院切り離しについて国民への説明の前に、IAEAに対する日本政府の報告書の中で認めたのである。いかに政府が国民を無視しているかの一例だ。
 今回の出入り禁止処分問題も、これとまったく同じような経過をたどった。
 大臣室からの指摘を受けて、広報室長は先週、ようやく東京新聞記者の出入り禁止処分を解いた。しかも、こっそりと。当事者である私に対する説明は一切なく、大臣室にだけ報告していたのである。これも相手に言わせれば「記者が独自に懇談出席自粛をやめたのです」とでも言い逃れるのだろう。ようするに、出入り禁止処分自体をなかったことにしたいのである。

「黒光り」する官僚
 問題の本質ははっきりしている。私が「論説委員のコラムが原因で記者の取材制限をするのは、大げさでなく言論に対する圧力だ」と指摘すると、大臣室の担当者は黙って頷いていた。
 以上が騒動のてんまつである。役所は自分たちの都合が悪い記事が出ると、平気で記者を出入り禁止処分にする。それで旗色が悪くなると、話そのものをなかったことにしようとする。とても先進国では考えられない事態である。霞が関の能力低下はここ数年、とみに目立っていたが、ここまで落ちぶれてしまったのである。

 最後に今回、広報室長の実名を書かなかったのは、彼の立場に同情したからではない。それはこういう事情だ。
 読者の中には「なにも実名で書かなくても」と思われた向きもあるかもしれない。「彼も上司との板ばさみになっているんだろう」とツイッターで伝えてくれた読者もいる。ネットのような公開の場で批判されれば、彼の将来に傷がつくと心配する人もいる。
 まったく逆である。
 官僚の世界では、自分たちの既得権益を守るために戦った人間は、たとえ世間で批判されても、かえって評価されるのだ。そういう官僚こそ「黒光りする」と言って、誉めたたえるのが「霞が関の掟」である。
 官僚の世界は世間の常識が通用しない。それほど暗闇の奥が深い。ちなみに「黒光りする」という霞が関でしか通用しない隠語の意味を私に教えてくれたのは、彼自身もまた官僚と戦った元首相である。
 広報室長の将来を案ずる必要はまったくない。逆に、これで勲章が一つ付いたようなものだ。私は彼を「官僚のヒーロー」にする手伝いをするつもりはない。だからこそ、彼の実名はもう書かないのである。 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅さん、どこまでもガンバレ・・・   らくせき

2011年06月18日 16時15分13秒 | Weblog

菅さんは、いまだに居座っている。民主党内の反菅勢力も、自民党も
ちょっと攻めあぐんでいる・・・・
菅さんはうそをついたわけではない。いつかは辞める。
もうここまで来たんだから、怖いものなし。
へたにリーダーシップを発揮しなかったから生きのびている・・・

こうなったらアンタしかいない。震災対策に全力をあげる。
それが延命の妙薬。

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発にどういう態度をとるのか?   らくせき

2011年06月18日 16時12分21秒 | Weblog

いま、原発に正面から反対を唱えているのは共産党のようです。
しかし、どれだけ賛同者が増えるのでしょうか?
紋切り型の主張には、共感が集まらないのではないでしょうか?

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保安院の大罪(10) 「罪に罪を重ねる」  文科系

2011年06月18日 12時08分40秒 | 国内政治・経済・社会問題

保安院の大罪(10) 「罪に罪を重ねる」  文科系

 以前ここで、東京新聞・中日新聞論説副主幹/長谷川幸洋氏の経産官僚との闘いを報告しました。事務方である彼らが上司である枝野官房長官を批判したオフレコ発言を公表した所から始まった闘いでした。この闘いの後日談が今回のもの。2回にわたって転載します。出典は「現代ビジネス、ニュースの深層」です。

【 菅直人首相の退陣騒動を追いかけていて一時、中断したが、経済産業省の問題を忘れていたわけではない。先々週まで当コラムで4回にわたって書き続けた資源エネルギー庁長官のオフレコ発言と、それに端を発した経産省の記者締め出し問題である。

 ざっと経緯を振り返ろう。
 東京電力・福島第一原発事故をめぐって、政府が被災者への賠償案をまとめた。株式は100%減資せず、金融機関の債権カットもないので、結局は電力料金値上げの形で国民負担になる。本質は東電救済案だ。
 枝野幸男官房長官は政府案決定後の会見で銀行に債権放棄を求める考えを示した。すると、細野哲弘資源エネ庁長官がマスコミ各社の論説委員を集めた懇談会で、枝野発言について「オフレコですが、いまさら官房長官がそんなことを言うなら、これまでの私たちの苦労はいったい、なんだったのか」と感想を述べた。
 私が細野発言を5月14日付当コラムで紹介すると、経産省は私の上司に抗議してきた。それも17日付当コラムで報じると、今度は経産省クラブ詰めの東京新聞記者を懇談出入り禁止処分にした。それもまた20日付コラムで報じた。
 私は見解を質すために経産省の官房広報室長に何度か接触を試みたが、室長は逃げ回るばかりで、これまで私自身にはなんの抗議も説明もしていない。

 一連のコラムはツイッターやメールで多くの反響を呼んだ。
 私は知らなかったが、新党日本の田中康夫代表は6月2日、ニコニコ生放送の政局特番で同席した際、資料を私に手渡しながら「黙っていて悪かったけど、実は衆議院の予算委員会で長谷川さんのコラムを使わせてもらいました」と笑顔で教えてくれた。
 田中は5月16日の衆院予算委で枝野を次のように直撃していた。
 田中: 「(枝野長官は)東電とステークホルダー、いわゆる株主と銀行の自助努力の範囲で賠償資金を出す、こう発言された。それでよろしいか」
 枝野: 「ご指摘いただいたように、電気料金等に転嫁せずに一定の年月をかけて負担をステークホルダーのご協力を含めて出すことができると考えている」
 田中: 「枝野さんが発言した翌13日に細野資源エネ庁長官は『そんなことを言うなら、なんのために今回の賠償スキームを作ったのかという気分だ』と言っている。出席した論説委員が証言している。つまり『我々(資源エネ庁)は東京電力と株主、銀行の利益を守るために今回のスキームを作った』と述べているに等しい」
 枝野: 「電気料金や税金等に、少なくともそれに相当する金額を企業そしてステークホルダーの努力によって出すことはできると考えている」
 以上がやりとりの一部である。

 田中の所属する新党日本は国民新党とともに民主党と連立を組み、与党の一角を形成している。田中は与党でありながらも、政府の賠償案は国民に負担を転嫁させる仕組みになっており、おかしいと問題点を追及していた。
 こうした質疑が国会で繰り広げられただけでも、私のコラムは意味があった。オフレコ発言を報じることで枝野と細野の食い違いをあきらかにし、賠償案の問題点を浮き彫りにする効果があったと思う。

オフレコはただの情報操作
 東京新聞記者の懇談出入り禁止を受けて、私は広報室長から事実経過を聞いたうえで私の考えを説明し、処分撤回を求めようとした。
 まず問題の論説委員懇談会は経産省の記者クラブとなんの関係もない。私は記者クラブに加盟もしていない。また多数の論説委員が出席している場で、官僚が一方的に「これはオフレコで」と宣言したところで、オフレコは成立しない。
 オフレコがありうるのは、基本的に他の第三者がいない場で両者が明示的に同意した場合だ。多数が出席する公開の場では、だれかがオフレコ内容を匿名で外に漏らしたとして、だれが「犯人」と分かるのか。初めから守られない可能性があると知ったうえでのオフレコは、官僚が一方的に匿名で相場観を広める手段にすぎない。
 しかもコラムを書いた本人である私には一切、接触しようとせず、上司に抗議しただけでなく、なんの関係もない現場の取材記者の活動を制限したのは、まったく容認できない。
 論説と編集は言論活動と報道活動の無用な相互干渉を防ぐために互いに独立している。これは広報にかかわる人間の常識である。政府であればなおさらだ。
 そんな事情を承知のうえで、記者に取材制限を課したのは言論活動に対する圧力にほかならない。上司や(広い意味で)同僚記者を通じて、私に無言のプレッシャーをかけようとしたのである。】

  (続く)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高裁宮川判事意見に感銘    大西五郎

2011年06月17日 16時53分03秒 | Weblog

 大西五郎さんが朝日新聞に投書された意見。原文を送って下さったので掲載します。(らくせき

 

 7日の朝日新聞朝刊は、最高裁第一小法廷が、5月30日の第二小法廷判決に続いて、

公立学校の卒業式などで君が代斉唱時に教諭を起立させる校長の職務命令は

「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないと判決した。

しかし、第一小法廷の5人の裁判官のうち宮川光治裁判官が反対意見を述べた、と伝えた。

 

 宮川裁判官は「国旗に対する敬礼や国歌の斉唱は多くの人にとっては自発的な行為であり、

起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし、そうではない人が相当数存在している。

『日の丸』や『君が代』を軍国主義や戦前の天皇絶対主義のシンボルとみなし、

平和主義や国民主権とは相いれないと考えている。

少数であっても、そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけていると見ることができる。」として、

精神的自由の問題を多数者の視点から考えるのは相当でないと意見を述べた。

 東京都教育委員会は卒業式に都職員を派遣し、起立しない教職員がいないか監視し、

見つければその者を処分の対象としているというが、

この行為は、国旗・国歌法を審議した国会(1999年)で、当時の小渕首相や野中官房長官が

「国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」と約束したことを無視し、

他人の心に踏み入って、自分たちの意見を押し付ける行為である。

 

 多数者の尺度で少数意見を強制的に従わせることこそ、

「思想・良心の自由を保障した憲法に反する行為」である。

裁判官としての良識を発揮された宮川裁判官のご意見に私は大いなる感銘を覚えた。

最高裁の他の裁判官もこの宮川意見をよく噛みしめ、法の番人としての役割を発揮してほしいと思う。

 

(少数意見の尊重は大切。今回の原発事故でも少数意見が尊重される風土があれば

事態の推移は違っていたことと思う。らくせき)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊の国民投票で脱原発の結果に新聞社説の反応 

2011年06月17日 09時53分28秒 | Weblog

朝日、毎日、中日は肯定的、日経、産経は疑問

伊の国民投票で脱原発の結果に新聞社説の反応

                       2011..15 ジャーナリスト会議 大西 五郎

 

 イタリアの原発再開の是非を問う国民投票では投票者の94%が

ベルルスコーニ首相が提起した原発再開の方針に反対を表明し、

ベルルスコーニ首相もこの結果を受け入れることを明らかにした。

 6月15日の朝刊各紙(読売新聞を除く)は社説で揃ってこの結果について論評した。

朝日新聞は「決めよう、自分たちで」

毎日新聞は「フクシマの衝撃は重い」、

中日新聞は「欧州からの新たな警鐘」で、

原発の投票結果を肯定的に受け止め、

日本のエネルギー政策について国民的議論を起こすよう呼びかけていた。

日経新聞は「『脱原発』欧州の不安と現実」で、

イタリア国内で長期のエネルギー政策について十分な論議が交わされたとはいえない、と

投票結果に疑問を呈し、

産経新聞も「伊も脱原発 日本から流れを変えよう」と、

欧州で脱原発の流れが強まっているが、その流れを日本が変えよう、と

原発推進の立場で論じていた。

なお、読売新聞は記事でイタリアの国民投票で原発反対が94%に達したことを紹介したが、

 15日の社説ではこの問題に触れなかった。

 

 各紙社説の要点を紹介する。

 

<朝日新聞>「決めよう、自分たちで」

 

  ドイツ、スイスに続き、欧州でまた「脱原発」の猛烈な民意が誠司を突き動かした。日本では、

 福井や佐賀、青森など原発立地県の知事選が相次いだが、原発の存廃そのものを問う展開には見え

なかった。「脱原発」票は行き先を探しあぐねているようだった。欧州とのこの落差はいったいど

民主、自民の2大政党とも推進派で、有権者が原発問題と向き合う機会が少なかったのも事実だ。

 だが、いまや安全神話を信じる人は見当たらない。事故の被害は子や孫の世代まで及びそうな現実

も思い知らされている。もう黙ってはいられない。私たちの将来を決める選択なのだから、「お上

任せ」「政治しだい」でいいはずがない。国民がみずからエネルギーを選び、結果の責任を引き受

けていこう。

各地で散発的に始まった「脱原発デモ」を全国一斉実施にまで拡大させている。かつてない規模

で広がる「脱原発」の民意を、政党はどう汲み取れるのか。始まったばかりの超党派の国会議員に

よる勉強会に注目する。だが、何より大切なのは、やっと声をあげ始めた私たち有権者がもっと議

論を重ね、もっと発言していくことだ。

 

<毎日新聞>「フクシマの衝撃は重い」

 

  欧州で「脱原発」の流れが加速している。イタリアは国民投票で原発再開に「ノー」を突きつけ

た。ドイツが既存の原発を22年までに全廃することを閣議で決めた。いずれもフクシマ第1原発

の事故が背景にある。世界に波紋を広げるフクシマ・ショックの重さを改めてかみ締めたい。

 原発政策は、経済や政治の統合が進む欧州と日本とでは事情が違う。その欧州も、仏英などの原

発推進派と独伊やスイス、ベルギーなどの「脱原発」派に分かれているのが実情だ。80年にいち

早く脱原発へかじを切ったスエーデンの議会は昨年、方針を転換する法案を小差で可決している。

だが、脱原発に踏み切った独伊の決断はあくまで尊重されるべきである。脱原発を進めれば、電力

コストがかさんで国民負担は増えやすい。両国はフクシマを反面教師として、多少の負担増は覚悟

の上で「安全」を選んだといえよう。

  一方、米国や中国、インドは原発推進の姿勢を変えていない。中東ではサウジアラビアが30

 年までに16基もの原発を建設するとの情報もある。世界の分かれ道にどう対応すべきか。スリ

ーマイル島やチェルノブイリに続く原発事故の震源地となった日本Mとしては、将来の原発政策

を腰を据えて考えたい。

 

<中日新聞>「欧州から新たな警鐘」

 

  イタリアの今回の国民投票は原発再開の是非を問うもので、94%の圧倒的多数Mが再開に反対

した。東日本大震災を受けドイツに続き欧州主要国が下した判断は重い。

 イタリアの今回の決定には地震多発国という事情も作用したのではないか。今後問われるのは、

欧州全体としての意志だ。欧州は戦後、原子力共同体(ユーラトム)を創設して原子力屁岩利用へ

の共通政策を模索してきた。現在、脱原発を図る各国の動きも、欧州全体として原発容認する体制

下で進められている。今後の原発政策の流れを大きく左右する欧州としての意思の収斂を早急に図

るべきだろう。

 投票結果は、売春罪などで起訴されている現首相に対する審判の意味合いが強かったとはいえ、

その深層にはイタリア国民の自然への畏怖があったと思いたい。

 

<日経新聞>「『脱原発』欧州の不安と現実」

 

  スイス、ドイツに続きイタリアも脱原発にカジを切ることになる。キタリアの投票結果の意味を判断するには、同国の国内事情を十分に考慮に入れなければならない。イタリアは現在電力の15%を、フランスやスイスなどからの輸入に頼っているのが現実である。電力料金は欧州で最も高い水準であり、これがコストとなって産業競争力の足かせとなっている。恒常的な電力不足をい解消するために、ベルルスコーニ政権が原発の運転再開を模索してきた経緯がある。今回の

 国民投票に至るまでに、国内で長期のエネルギー政策について十分な議論が交わされたとは言えない。国民は脱原発を選択したが、政府は風力や太陽光発電などで代替する具体的な政策を描けていない。

  安心な暮らしや経済成長には、安全で安定した電力供給が不可欠だ。原発のあり方や再生エネルギーの活用を含む全体像について、コスト、技術進歩、環境への影響など総合的な観点から考える必要がある。

 

<産経新聞>「伊も脱原発 日本から流れを変えよう」

 

  イタリアの脱原発が決まった。欧州全体でみれば、フランスや英国など原発堅持の国が多い

 とはいえ、東京電力福島第1原発の事故を引き金に欧州の一部で原発離れの潮流が勢いを増しつ

つある。各国の意思は尊重したいが、正しい選択なのだろうか。持続可能なエネルギー政策であ

るのかどうか冷静に見極めが必要だ。

  感性に流れる選択よりも、理性に基づく判断が必要だ。安全性を再確立して範を世界に垂れ、

 脱原発の流れを食い止めるのは、事故を起こした国として日本が国際社会に果たすべき責務で

あろう。脱原発の電力不足は火力発電に委ねられ、原油や天然ガスの価格高騰を招く。エネルギ

ー不足とコスト高は日本経済、ひいては世界経済にも悪影響を与えかねないのである。

 

※読売新聞は、社説ではこの問題に触れず、

記事解説で「欧州でスイスとドイツ領政府が将来原発を廃止する方針を決めており、

イタリアの原発拒否の立場が固まったことで欧州各国で反原発世論が勢いづく可能性もある。」と述べた。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保安院の大罪(9) 官僚に信賞必罰は?  文科系 

2011年06月16日 16時47分15秒 | 国内政治・経済・社会問題

保安院の大罪(9) 官僚に信賞必罰は?  文科系 

フリージャーナリストの上杉隆が、週間ポスト6月24日号にこんな記事を書いています。題して「ウソと情報隠蔽で国民騙した枝野長官の責任は重い」

【 記者クラブメディアがポスト菅の候補にあげる枝野幸男・官房長官だが、なぜいますぐ辞任すべき人物が次期首相なのか、はなはだ疑問である。彼は官房長官として、原発事故から3か月間、東電とともに「メルトダウンはしていない」「格納容器は健全に守られている」「放射能の外部放出はない」「放射能汚染水の海洋流失はない」などといい続けてきた。
それが、いまやどうだろう。1号機は3月11日午後8時頃にはメルトダウンしていた。それどころか、燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ち、容器に開いた穴から外側の格納容器に落下して堆積する「メルトスルー(溶融貫通)」まで起きていたのだ。事故から6日間の放射能放出は、4月に報告された数値の「倍以上」に訂正され、重いから飛ばないとされていたプルトニウムが原発敷地外から検出された。

結果として枝野氏は、東京電力とともに国民にウソをつき続けていたことになる。それだけではない。政府は情報を隠蔽することで、国民を重大な危険にさらしたのだ。
放射能拡散予測システム「SPEEDI」の結果などを公表しなかったことで、高放射線量を記録した飯舘村などの住民の被曝を招いた。また、半減期が長く、骨などに蓄積しやすい放射性物質ストロンチウム90の調査を怠り、最近になって原発から62キロ離れた地点から検出された。
さらに政府は、国際環境NGOグリーンピースからの海洋放射能汚染調査に関する協力要請を拒否していた。私はグリーンピースの調査をもとにした取材結果を『週刊文春』で発表したが、それがなければ国民は、海産物の放射能汚染の実態を知らされないままだったことになる。
本人に悪意はなく単に能力の問題なのだろうが、3か月間にわたってウソと情報隠蔽で国民を騙してきた枝野氏の、結果責任は重い。だからこそ私は、即時辞任を求めているわけだが、これが既存メディアの手にかかると次期首相候補になってしまう。

記者クラブは、「これは自分たちの意見でなく、世論調査の結果、国民の声だ」というかもしれないが、読売の電話による世論調査では、「次の首相には、誰が最もふさわしいと思いますか。次に読みあげる11人の中から、1人だけ選んで下さい」との設問の後に、「1、枝野幸男」と彼の名前が筆頭に来ている(ちなみに2が岡田克也幹事長)。世論調査においては、一番初めの選択肢が選ばれやすくなる傾向があり、これも印象操作の一つなのだ。他の既存メディアにしても、彼への批判はほとんど見られない。】

 さて、枝野幸男官房長官の言葉は全て、官僚・保安院の資料提供、助言による共同作業と見るのが自然だろう。彼が語る談話の観点とか資料とかの全てを、彼が集めてきたなどということはありえないのだから。してみると、枝野長官の罪状は、経産省・保安院の官僚たちの罪状でもあろう。そこで大声で叫びたいことがある。
【 官僚にはそもそも一体、信賞必罰は存在しないのか?!!】
 考えてみて欲しい。普通の会社では、こんな事は到底あり得ないだろう。上の記事に述べられているように、これだけ大量の被ばく者を生み出しておいて、刑事罰はともかく一団体としての降格とか譴責とか、信賞必罰が何もないとは?! 起こった事実への「未必の故意」などの罪状は今は置くとしても、以降に職務上得た情報を速く流していれば避難したと推定される分だけの大量被ばく者は生み出さずに済んだと、そういう大罪のことを語っている積もりだ。

 これだけの罪状があってなおかつ、天下り付きで生涯昇進が保証されていくというのは、一体何という制度なのだろう。こんなに甘い体質と、政治家をも凌ぐこの大権! 自民も民主も、あの小沢一郎でさえもモノともせず、彼らの天下が続いているはずである。こんな彼らにしてみれば、彼らを罰することができそうもない弱体内閣こそ、好都合というもの。自民政権末期以来、積年の悪政の共犯者・官僚が陰に回って、どんどん首相のすげ替えが起こっているわけだ。

 そう思われないだろうか、主権者の皆さん!

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆  「僕らのビストロ」   文科系

2011年06月16日 11時12分38秒 | 文芸作品

   僕らのビストロ

 その店で最初に出てきた前菜を見てかなり驚いた。大きなお皿の上に、スモーク・サーモン鶉卵巻きに鴨の生ハム、フォアグラまで載っている。小っぽけなビストロの、フランス・コース料理としてはぎりぎりの値段で予約したはずが、こんな品々!サーモンも生ハムも全てシェフの、心を込めた手作りのはずだ。試みに聞いてみると、鴨の生ハムなどは十日以上も塩を擦り込み続けたものだという。ここに予約・案内した僕としては、同人誌の仲間七人が大喜びしているのが、涙が出るくらいに嬉しかった。
 このシェフ、僕が二十年以上お付き合いしてきた方である。同居していた両親の生前から、家族三世代で通ったビストロの主で、Yさんと言う。このビストロが、一時期の「イタリア料理人気」に押されて消滅。間もなく、名古屋駅近い高級店の雇われシェフになったという案内があった。そこにも僕はよく通った。家族や友人たちと会食の機会があれば予算が合う限りほとんど利用したし、娘の結婚披露宴二次会もここでやった。この宴は僕が提案したものではなく、僕の知らぬうちに娘が決めていたものである。以心伝心、「僕の心」が娘に伝わっているようで、何とも言えぬこの嬉しさは、今でも時に蘇ってくる。こういうYさんが一か月ほど前に開店したのが、この店だった。「安普請ですが」、最初に訪ねたときに彼が頭をかきながら、癖になっている神経質なマバタキを繰り返しつつの言葉だ。マンションビルの一階端っこ。雇われシェフ数年で貯めた予算などは知れていようと思わせるように小さく、簡素な作りだった。

「○○さん、僕の料理って、そんなに下手ですかねー」。
 鴨を食べながら、思い出していた言葉、光景だ。前の店が閉店すると聞きつけて、最後に訪ねた夜。閉店後二人だけで遅くまでワインを飲んでいた時。父は既になく、母が最後の病床にあって、看病と仕事の板挟みで相当に参っていた僕には、彼の心が手に取るように分かる気がしたものだ。当時の彼に出現して今なお残っている、あの頻繁なマバタキ。誠実な働き者の勲章のような気がして、こんな風に答えたはずである。
「貴方が、こんなに若くしてこれだけの店を構えたのは、修行してきたあんな大きな店で、周囲の誰よりも何でもできると分かったからのはず。下手なわけないでしょう。いろんな時勢が相まって、イタリア料理に押されただけだと思います」

 この同人誌会食から何日か後、二つばかりの予約を入れるために、彼に電話をした。用件が済むとすぐに、急き込むように彼が話し出す。
「先日のお仲間の二人が、順に週一近くの割で予約してくれて、本当に助かってます」
 なんか僕の心が通じているようで嬉しかった。そう、僕はいつの間にかこんな気持ちになっていたらしい。「僕らのビストロ」を育てあいたいものだ、と。短い一生で、二十年以上もつき合って来た仲だ。ましてシェフと客なんて、これだけの大都会でこんな得難い存在も、お互い少ないはず。先が短いと感じ始めたこの身、縁は大事にしたいものだ、な。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これで拭きたまえ、と・・・・    らくせき

2011年06月16日 09時44分42秒 | Weblog

村上春樹さんの授賞式のスピーチ。よかったですね。
最後のこのエピソードは、辛辣です。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、
原爆開発の中心になった人ですが、
彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。
そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

「大統領、私の両手は血にまみれています」

トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、
言いました。「これで拭きたまえ」

いま、日本の専門家はオ博士の立場でしょうか?
ト大統領はいませんが、本当の支配者である官僚さんなら
ポケットから小切手を出して、これで良心を拭きたまえ、って言うかな?



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 「五十年!」  文科系 

2011年06月15日 11時12分55秒 | 文芸作品

   五十年!

 その一泊ツアー、バスに乗り込んでまず目を見張った。最後尾にトイレがある。それも二重扉とあって、気の配られたもの。一見して総革張りと分かる座席は新幹線のグリーン席並みに広いし、脚を伸ばす余裕も十分。こんなに大きいバスなのに二十五席しかない。
 こうして快適な旅を予感した、その昼食。何の変哲もない紀州海辺の食堂に入って行くから折り詰め弁当程度のものを想像したが、まったく違った。刺身皿には、鯛、ヒラメ、カンパチに生キハダマグロが付いている。別の小鉢には、ホタルイカ。すぐに煮物が出てきたが、これが「春つげ魚」旬のイサキ。甘目だったが、美味い魚だった。ふと前を見たら、連れ合いもこのイサキをすでに綺麗に平らげている。次に出てきた揚げ物は、海老にキスに春の山菜。そして締めの味噌汁が大好物のアサリときては、ここまででこの旅への期待は膨らむばかりだ。こんなわけでお昼の生ビール。美味かったなー。


 さて、南紀熊野川を遡った熊野大社に近い川湯温泉のホテル、混浴の川原露天風呂に浸かった後の夕食である。総ガラス窓沿いに川が流れている一階の食堂は、すべてが一等席だ。定番の会席料理に加えて、部屋の奥にしつらえられたバイキング料理が周到で、楽しめたこと。バイキングだけでこんな感じ。炭の遠火焼き鮎が食べ放題だし、土地柄の高野豆腐には筍が合わせてあり、味の濃い生野菜に、デザートは蕨もちや葛切り、などなど。注文した「熊野三山」という吟醸酒が進んだこと。連れ合いも相当飲んで、珍しいほどの赤くなり様。食後は例によって、はるばる持参のギターを弾く。自室窓辺で川音を伴奏にしながらのバッハ・リュート組曲レッスンは、止まり止まりの音でも川面を綺麗に流れて行く感じ。こんなふうに僕は、どんな旅にもギターを持参して、楽しむのを習慣にしている。中国は雲南省北端の、忘れられない夕べ以来欠かしたことがない習慣だ。連れ合い以外は誰もいない少数民族アンティークホテルの中庭で弾き耽った思い出である。


 さて、翌早朝、二人で川沿いの舗装道路を下り始めた。心に探し求めるものを持っていたのである。四十五年前この地に数日泊まったときの、名前も覚えていない旅館。あれは一体、どこにあるのか? そもそもどんな旅籠だったのだろう。二人とも、そんなことも忘れてしまった。僕らの新婚旅行のことなのに。 
 川沿いに二百メートルも下ったころのことだ。道路沿い向こうの二階建てに僕の目が吸い寄せられ、ぼんやりと見覚えが湧いて来る。銅板屋根の四隅が反り返り、切妻・破風などにも、二階の欄干にも年輪が漂っている。今という時代には小さすぎるように見えるが、見るからに由緒ありげな温泉旅籠だ。すぐ前のバス停にもその名が入っていて、二人ともがほぼ同時に思い出していた。「かめ屋旅館」。川向かいの低い山を見上げると、その山裾辺りにも見覚えがある。二人で登った時は、さながら若草山。それが今は大きく育った杉林などにほとんどが覆われていて、左山裾だけに往時の面影が残っている。
「あんな杉なんか、なかったよな。あの後植えられてこんなに育ったんだ。四五年かー」
「つき合い始めてからなら、五十年ね」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災 被災3ヵ月/東北の位置付け変え自立を・・河北新報社説から

2011年06月14日 20時21分16秒 | Weblog

東日本大震災 被災3ヵ月/東北の位置付け変え自立を
 中心に居ると、周縁が見えない。国を治める者にとって地方は政策遂行のための客体であり、地元の意向はしばしば無視される。
 中心の身勝手さの例としては、被災地の苦悩を顧みることなく繰り返される不毛な政争を挙げるだけで十分だろう。
 大震災から3カ月、おぼろげながら見えてきたことがある。東北は国策に翻弄(ほんろう)されている。過去も現在も望まない役割を背負わされ、日本を下支えしてきた。震災は国土構造のゆがみを白日の下にさらした。
 日本の中の東北の位置付けを変えずして、本格的な復旧・復興などあり得ない。東北の自立を主張すべき時だ。
 仙台から南へ約1800キロ。在日米軍基地の75%が集中する沖縄で、こんな声を聞いた。「今こそ沖縄から被災地支援を」
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として日米両政府が想定する名護市辺野古地区。海上ヘリ基地建設に反対する人たちが5月初めから、「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地支援に充てよ」と、署名活動を始めた。
 米軍駐留経費の負担について今後、日本側が5年間にわたり現行水準(2010年度1881億円)を維持するという協定案が成立したのは3月31日のこと。同じ額を被災者支援に回せば、50万人に毎月5万円を3年間支給できると反対協の人たちは訴える。
 共同代表の安次富(あしとみ)浩さん(65)は「被災者が苦しんでいるこのタイミングで思いやり予算をもらって、オバマ米大統領は恥ずかしくないのか。基地も原発も、アメ(カネ)で地元をがんじがらめにするという点で根っこは同じ」と明快だ。既に6千人以上の署名を集めた。
 片や文字通り基地を提供することで日本の安全保障を支え、こなた電気や食糧、人材を首都圏に供給する「基地」として。沖縄と東北が戦後、たどった道は酷似している。
 震災発生から3日後、沖縄の地元紙・琉球新報は河北新報の社説を引用しながら「共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ」と訴えた。沖縄が東北の窮状に共感するのは単なる偶然ではあるまい。
 沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は「人ごとの論理が、基地問題も原発問題も見えなくしてきた」と指摘する。本土にとって都合の悪い基地は、沖縄の民意がどうあろうと押し込めておく。ネオンこうこうと輝く不夜城東京も、電源地帯に思いを致すことなどしてこなかった。
 平和を望むが、基地は要らない。電気は欲しいが、原発は来てほしくない。「人ごとの論理」とは自己中心と同義語である。地元にもたらされる公共事業と雇用、わずかばかりの補助金がそうした矛盾を覆い隠し、都市と地方を分断してきた。
 一向に動かない基地問題にいら立ち、沖縄では「差別」と捉える見方が広がっている。地方を踏み台にした国の繁栄など私たちは望まない。物言わぬ東北から物言う東北へ。大震災からの復興を歴史の転換点としたい。

2011年06月11日土曜日       (河北新報社社説から   ネット虫)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保安院の大罪(8) 「海へのだだ漏れ」確信犯   文科系

2011年06月14日 10時55分01秒 | 国内政治・経済・社会問題
(5月18日拙稿の再掲です。この汚染水問題「確信犯」は、雨期を控えるなどでまだまだ予断を許しませんので、現在なお我々に必要な警戒観点だと強調したいです。東電の汚染水対策は、どう見ても動きが遅いと思います。)

 最近標記の命題を、僕は疑っている。高濃度汚染水を、海にだだ漏れさせているという点に於いて、東電は確信犯なのではなかったか。そして多分、経産省・保安院も、これを黙認してきたという点において共犯者である、とも。その証拠は以下の通りである。

 2号機で汚染水が海に漏れていたと、これはかなり前に国際的大問題になった。ところが、最近分かったことなのだが、他の例えば3号機でも高濃度汚染水が海へだだ漏れであった。それどころか、3号機が漏れているかどうかという探査さえ事故発生当初からずっと、行われていなかったと判明した。この点については、(5月)13日の当ブログ拙稿において、中日新聞の記事が証明済みであることを示している。これでは、高濃度汚染水を海に流すことを東電が何とも思っていなかったと推論されても自然なはずだ。本当に、そんな確信犯だったのか? いや、僕はこう思う。東電が、高濃度汚染水が海に流れているかどうかを確かめる余裕がないほどに、それほどに切羽詰まっていたのだと。
 最近のニュースによれば、1~3号機全てがメルトダウンしていたようだ。これら全てを再臨界が起こらないように冷やすことに必死だったとすれば、どうだろう。冷やす水がどこへ行くかなどと、心配している余裕はなかったのではないか。というよりも、水の行方を調べて、水かけを制限しなければならない方が、はるかに恐怖だった! これが現在までの真相、実態なのではなかったか。

 とすれば、2号機の垂れ流しも言われてきたように本当に、「低濃度汚染水だった」のか?  また、海の汚染は、ほとんど発表されていないが、もの凄いことになっているのではないか。だとしたらこれは、世界に対する犯罪である。
 また、まだまだ続く汚染水の処理のために、これからも長く四苦八苦することになるはずである。高濃度汚染水の垂れ流しが続いていないかどうか、これはしっかり調査していないといけない。国際環境団体グリーンピースが福島周辺でこの調査を始めて、深刻な結果の一部を公表したらしいが、外国籍の団体の調査を待たなければ真相が国民に分からないなどとは! 日本政府も実に怪しげなことをやっていると言われても、否定はできまい。
 僕は、東電の真相隠蔽に政府も加担しているという事態になり切っていると思う。そして、小出さんらが言い続けてきたように、再臨界防止と大量汚染水の安全な処理とのこの二律背反を、一体どう両立させていくのかが、大変不安になっている。

 以上を投稿し終ったのは、(5月)18日未明前のことだったが、その後今朝の中日新聞1面を読むと、この内容をほぼ確証できるに等しい記事が載っている。よって、それを示すべく、この1面記事の要約を追加する。

『(1~4号機で)炉心の冷却に毎日計約500トンを注水しているが、これが漏れて新たな汚染水になっている可能性が高い』

『また、地震で建家地下にひびが発生し、地下水が流入、逆に建家から流出する可能性もあるため、その対策を検討する』

『東京電力は17日午後、福島第1原発3号機のタービン建家と立て坑にたまっている放射能汚染水を集中廃棄物処理施設へ移送する作業を始めた』

『3号機のたまり水の水位は、この一週間で毎日ほぼ2センチずつ上昇してきた。汚染水の量は東電が推計している22000トンより増えているとみられる』

 だだ漏れ対策をやっと「検討」し始めたとか、17日になってようやくその「作業を始めた」とか、一体今まで何をしていたのかと考えるのが自然だろう。そして、一方で「水棺にする」と言って大量の水を入れ、他方で上記のように漏れの探査さえしていなかったとなれば、ただ漏らしていたと考えるのも自然である。これでは「メルトダウンでどこかにたまっている燃料が水に流されてくれないか」と期待していたに等しく、犯罪的この上ないと言えるのではないか。国際的批判が大きくなることが明らかなこんな行為を、政府も見逃していたということにもなるだろう。恐怖を感じるほどに、酷い所行である。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア、原発廃止に     らくせき

2011年06月14日 10時11分34秒 | Weblog

イタリアの国民投票は圧倒的な多数で原発にNOを。
大統領の息のかかった国営テレビの天気予報は、
前日「明日は海に遊びにいくには絶好の天気」と
普通なら投票への呼びかけをするところを、異例のコメントをつけたとか。
逆効果だったようです。


日本のNHKの世論調査では、絶対反対が20%弱、
どちらかと言えばないほうが良いが50%だそうです。
反対が少し増えたいるということ。
これから原発事故の様子が明らかになっていくと
反対はもっと増えそうですね。
賛成は、快適な暮らしを捨てたくないということでしょうか?
絶対賛成も2%あったそうです。関係者かな?
数字になって現れるなんてスゴイですね。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする