九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

掌編小説  結婚式のフィナーレ   文科系

2019年01月12日 10時10分21秒 | 文芸作品
 娘の結婚式で俺が泣くなんて、思ってもみなかった。これまでただの一度も思ったことがないどころか、涙が出始めるその瞬間まで。あれは良く作られた娘の演出、その演出効果狙いの一つではなかったか。それならそれで良いのだ。別に、俺の意地で泣くまいとしてきたわけでもないのだから。

 式は完全な手作り。チャペル風建物での「人前結婚式」の司会は娘の職場である小学校のお柿さんのような人らしいし、受付も進行係も友人がやっている。それどころか、こういう式につきものの様々の音楽やBGMが全て手作り、生なのである。まず式場へ彼氏が入って行く時は、娘の親友のソプラノ独唱でマスカーニのアベマリア。次に、娘が俺のエスコートで入場するときには、友人女性トリオが「アベ・ベルム・コルプス」を高い天井に響きわたらせる。披露宴では、彼氏の弟の津軽三味線に乗って和装の二人がご入場。披露宴のいわゆる余興にも、もう一人のソプラノ独唱でへンデルの「オンブラマイフ」。オーボエの生演奏もあって、これはシューマンの曲だとか。
 総じて、「手作りの、音楽結婚式」という趣である。教育学部音楽科出身で、音楽教師として海外青年協力隊で中米へ二年間出かけたこともある娘らしいと俺はただただ感心しながら一鑑賞者としてご満悦であった。まさか、この全てが後で俺に降りかかって来るなんてこれっぽっちも思わずに。

 さて、披露宴の終わりである。両親四人が立たされて、その面前で二人が謝辞のような言葉を述べ始めた。娘の番でいきなり「お父さん!」と静かに始まった話は、最も短くまとめるならばこんなふうだ。
「お父さん。私の音楽好きの原点はあなたとの保育園の往復の日々。二人で自転車で歌いながら通ったこと。『ちょうちょ』とか『聖しこの夜』とか、よく歌ったね。思えば、こんな小さな時から、二人で二部の合唱をしていた。私たちも、音楽にあふれた家庭にしたいと思います」
 そこで俺は急遽アドリブでこう返すことになった。とにかく、全く知らされていなかったハプニング場面だから、その時すでにもう涙ぐんでいた。

「まさか、僕が娘の結婚式で泣くなんて、思ってもみなかったことです。娘がよりによってあんなセピア色の話をしたからなんです。しかも今の話、あれは僕の最も弱い場面だと思います。
 さて、君が覚えている自転車通いの話は、兄ちゃんが入学した後の最後の二年。それまでの送迎は確かこうだった。家族四人車で家を出て、車の中で朝食を摂りながら、まず母さんを遠くの職場まで送っていく。それから、家の近くの市立保育園まで戻ってくる帰りには、三人で歌ばかり。ここまでの時間約七十分。それから僕の出勤。お迎えも僕で、また歌ったりね。その間に母さんは夕食作り。夕食を食べると、僕はまた出勤。こんな保育園送迎七年こそ、僕を父親らしくしてくれたんだと思う。『ちょうちょ』も『聖しこの夜』も、今でも低音部を歌えます。こんな僕は凄い薄給だったけど、今振り返れば僕らは豊かだったんじゃないか」

 娘が作ったハプニングを今振り返れば我ながら上手く乗り切ったもので、上手く乗り切りすぎてそれだから泣けてきたというところ。俺にとってのそういう話を、娘が予告もなしに振ったのである。彼女の方はちゃんと文章にしたものを持っていて、こちらはこれを予期していなくともアドリブでなんとか答えるだろうと、見込んでいたのだ。見事な演出と言うべきである。「泣かぬ」と言って来た俺を泣かした上に、そんな涙を手作り結婚式の式次第に組み込むという演出。これは、『手作りの音楽会結婚式のフィナーレ』にぴったりしすぎている。この場面にはおまけに、娘のこんな解説までが言外に含まれているのである。ちょっと敏感な人ならばみんな感ずるような形で。
「父にとってはこれはハプニングです。でも父はあのように応じてくれました。これが、私たちの間柄なんです」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌編小説 血筋が途絶える世界    文科系

2019年01月10日 12時53分52秒 | 文芸作品
   掌編小説 血筋が途絶える世界
                         

 照明が効き過ぎというほどに明るく、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は、本当に驚いた。
「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」
 思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」
「確か二年前の数字だったかと……」。
 このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの日本語教師派遣に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉である。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされている。既婚未婚を問わず一定年齢間の女性全てを分母としたその子どもの平均数という定義なのだろう。

「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」
 韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、
「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」
 僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼が訊ねる。
「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」

 日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ってすぐに、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟の比較、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみて驚いてしまった。考えてみなかったことも含めて、びっくりしたのである。
連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数(つまり僕らから見て甥姪、我が子も含めた総数)は、連れ合い側七人、僕の方十人。このうち既婚者は、前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、大きな差がある。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があったのである。そして、つい最近知ったのだが、連れあいの側の甥1人が15歳年上の子どもが三人いる女性と結婚したという話もこれに加わってくる。

 それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。
「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」
 中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評文で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書の「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。

 それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。今はもう亡くなった彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はともかく、曾孫はたった二人! その孫たちももう全員四〇代を過ぎている。一般に「母子家庭が最貧困家庭である」とか、「貧富の世襲は当たり前になった」とかもよく語られている。今の日本においては、どんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が少なくなって、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。

 こんな豊かな現代日本、これに韓国も加えるとここ30年ほどで先進国に仲間入りした世界が軒並み、こんな原始的な現象を呈している。それも間違いなく、世界的な格差という人為的社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことさえ言えるのではないか。
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆  ミヤコワスレ   文科系

2019年01月09日 13時26分58秒 | 文芸作品
 家のトイレの戸を開けてすぐの棚に、この二週間ほど二輪のミヤコワスレが活けてあった。少し暗い部屋なので長くもったのだろう。薄紫のふつうのと、白っぽいピンクのと一本ずつだった。今日それがとうとう枯れ始めたので、僕の手でかえたところだ。濃いピンクのと、細い花弁の小輪で濃い紫のと、普通の薄紫のとの三本に。見つめていると神経が温められるような幸せな気持ちになるので、用を足すときはもちろん、用のないときも戸を開けてながめる。それほどに僕はこの花が好きなのだ。「花のなかで一番いいと思うのはミヤコワスレです」と、この数年人に言うほどである。庭にこの花の蒐集畑も作った。ただそこに白いのがない。来年の春に買うか、人にたずねて、もらおうかと思っている。

 さて、人が、「僕が魚で最も美味いと思うのはヒラメだな」とか、「野菜ではナスが一番好きかな」とか言うときには、実はその好きな対象だけを話題にしているのではない。それを好きである自分というものも、やはり語っているのではないか。無意識のうちに語っている場合がほとんどだろうが。
 ミヤコワスレ自身の単一で素朴な色や、やはり素朴なすっきりとした一重の花弁が好きだという人は多かろう。また、そういった容姿で、小声だがきちっと自己主張もしているといった感じの可愛らしさに惹かれると語る人も多いだろう。余談だが、これらの表情は、三本くらいまでを切り花にして、やや暗い色調の花瓶に活けると、よく見えてくる花だと思う。しかし、今日ここでは、この花にこんなに惹かれている私というものを表現してみたいと思うのである。
 僕は人間に疲れている。押しの強い人はもちろん、遠慮が多い人にも今は疲れてしまう。随筆などによくあるが、人は人間に疲れるとき、自然を親しく感じるものだという。この自然が親しいとは、単にふつうに草木が好きだという程度ではないらしい。浮世のことはノーサンキュウで、自然と、自然に近くなっているような分かりあった身近な人とに逃げ込んでいるような心境と言って良いのかも知れない。僕もこんな心境で花に接しているんだと、いつのころからか気づいた。そんな心にぴったりと通じてくる花が僕の場合、ミヤコワスレだったのである。押し出しが強い花は、たとえすごいと思っても、疲れさせられる人みたいだ。可愛いと親しむけれども、少しきつくて、はしっこい人を感じさせる花もある。素朴なもののなかでも、ぼっーとしたものもあり、やや複雑で安らげぬと感じるものもある。単純素朴な美しさ、表裏を感じさせない自己主張、ミヤコワスレはほっとする安らぎをくれる人と同じだ。見ると神経が温められるように感じるのは、そんなことなのではあるまいか。

 ところで、こんなことをかえりみていたある日に、確信したことがある。この花の名前にかかわって、一つの物語を思いついたのだ。もちろん僕の創作だが、そう、この名前の由来はもうこれしかないと。
 昔、都に一人の男がいた。境遇にも女性にも不自由なく、天真爛漫に、面白おかしく暮らしていた。そんな彼がいつの頃からか、都人のぎらぎらした表裏に気づき、人の中にそれをさぐるようになってしまった。やがて彼はそのことに疲れ切って、逃げるように任地におもむいた。そこで、なんとなく惹かれる一人の女性に出会ったのである。都の栄枯盛衰にただよっている女性たちとは違う世界の人のようだと感じた。前にもこういう人に出会っていたろうに、どうして気づかなかったのだろうか。こんなふうに彼女を遠くからぼーっと眺めていたある日あるとき、ふっと浮かんだ。

 あの花と同じだ。ちかごろ私を幸せな気持ちにしてくれているあの花と。この人も、あの花も、何かほっとする。いろんな世界があるものだな。
 男は一人こんなふうにつぶやき、やがていつしか、都を忘れていったという。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米、その衰退史と世界政策(6 最終回)米国今後の世界戦略  文科系

2019年01月07日 05時40分40秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ここまでは、アメリカの衰退を、物作り・税収の減衰、自治体・家計の大赤字、そして、日本の輸出でさえも対米から対アジアへと雪崩を打って移ってきたことを示してきた。
 そして先回は、今後の米中衝突の有り様を考える過去の参考例として、アメリカをも買い漁った全盛期日本にアメリカがどう対処したかを、元外務省国際情報局長・孫崎享の著作から見てきた。彼は、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で日本がアメリカに先行すること」とが、アメリカの日本を縛り続けてきた2本の”虎の尾”であったと語っている。


 さて、以上を背景として、アメリカ現在の世界戦略を考えてみよう。

「中国製造2025」は今のアメリカにとってとてつもない仇になっていく。過去の全盛期日本への対応にも執念のようなものがうかがわれたが、それよりも遙かに大きな敵として何とか潰したいと目論んでいるのは明らかだ。つまり、中国をその周辺から疲弊させるような何かを今後も必ず起こす。

・併せて、ドルの世界基軸体制と結びついた原油独占価格体制死守がまた、アメリカの至上命令である。特に、アメリカに多いシェールガスの原油価格と折り合う程度の高価格に保つことが当面の重大事になって来る。この点で問題になるのが、ロシア・イラン問題とロシア・ベネズエラ問題だろう。ベネズエラの石油埋蔵量は世界1位、イランは4位の国である。
 イランの盟友シリアでの長い戦争にも示されて来たように、この3国も今や、このことをはっきりと意識して動いている。この3月にイランがベネズエラに艦隊航行を計画と発表されたし、ベネズエラはオルチラ島という所にロシアの戦略空軍基地建設を進めている。この二つの計画は、アメリカが準備万端整えた上で大々的な問題にしていくはずだ。

・従来から2本の外交柱を突きつけてきた日本にかかわって、アメリカの今後はどうなるか。対中国戦略に日本を軍事的に巻き込んで行くために米軍基地はますます重要になるだろうし、アメリカの頭越しに日本が対中接近を進めることは、さらに厳しく見張られることになる。物の経済接近は許されても、金融の接近は許されず、政治的特に軍事的な両国の離間が今後も周到に図られていくだろう。

・ただし、これら従来政策の遂行を妨げることになる最大問題は、むしろアメリカ国内にあると考える。物づくりも、税収も、国家財政や家計も金融に収奪されたこの国で、従来政策がどこまで貫けるかという問題である。ちなみに、トランプ当選も、民主党の「社会主義者」サンダース躍進も、既成支配層への根深い不審がもたらしたもの。これは今や、アメリカ政治世界の常識に属する見解になっている。

 そう、21世紀に入ってからのアメリカは、サブプライムバブルなどいろんな無理を重ねすぎて、もう余力も残ってはいないのではないか。例えば、GAFAと称されるIT関連4社の株式時価総額がドイツのGDPを抜いたなどは、どう考えても大変なバブルだろう。特に、アフガン戦争、イラク戦争が引き起こした難民問題などを通じて、国連で他国から信頼されるという意味の余力こそもう皆無に近くなっているはずだ。こんなことも、アメリカ国内の心ある人々が見ていないわけはないと考える。
1991年 湾岸戦争
1992年 バルカン・東欧紛争
1995年 ボスニア紛争
2001年 アフガン戦争
2003年 イラク戦争
2011年 リビア空爆
2014年 ウクライナ危機、シリア戦争

 ちなみにアフガン戦争は、すでに18年続き、米国史最長の対外戦争となった。それも、アメリカにとって地球の裏側の「防衛戦争」なのだそうだ。たしか、ビン・ラディンらを匿ったとかで始められた戦争と聞いたが、この彼も2011年というとっくの昔にパキスタンで暗殺されている。


(終わりです。ここまで読んで下さった300名ほどの方々、有り難うございました。)
コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またも金字塔、長谷部誠を称える   文科系

2019年01月06日 19時56分19秒 | スポーツ
 2010年南アw杯以来長く日本代表キャプテンを張ってきた長谷部誠に、世界でも燦然と光る素晴らしい勲章が付いた。ドイツキッカー誌が選んだ今期前半のベストDFに選ばれただけではなく、DF陣で最高点が付けられたのである。

 この勲章は、バイエルンのフンメルツやボアテンクよりも上と言う評価なのだから、驚くばかりだ。渡独2~3年目だったかに一度キッカー誌年間ベスト・イレブンになったことがある長谷部だが、DF最高得点というのは初のこと。こんな活躍も認められてのことだろうが、既に2020年までの契約も済ませて「幸せだ」と応えているという、世界相手に功成り名遂げた選手生活で終わりそう。

 さて、ドイツと言えば昔から守備でならした国。そこで最高点とあらば、やっとナカタヒデの実績を越える渡欧日本人選手が生まれたと言えるのではないか。これは、本当に素晴らしい話である。特に、身体が小さいから守備的な戦い方は日本人には向かないと語り続けてきた評論家たちに対しては、重要な教訓を垂れたことにもなるはずだ。繫ぎばかりを重視して、「当たり、潰し戦術には日本人は向かない」などともどれだけ聞かされてきたことだろうか。

 日本のサッカー誌にもこの際、長谷部誠特集を組むことを是非望みたい。彼の戦いの詳細を残して置くことは、後輩への偉大な贈り物になるはずである。守備の文化がないと言われ続けてきた日本サッカー界には特に貴重な財産になるだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米、その衰退史と世界政策(5)日本が米に「たてついた」時  文科系

2019年01月05日 15時19分43秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ここまでは、アメリカの衰退を、物作り・税収の減衰、自治体・家計の大赤字、そして、日本の輸出が対米から対アジアへと比重が移って来たことを描いてきたそしてさてここからが本論になるのだが、アメリカ外交の今後と日本の進路に関わって、中国の急な台頭を横ににらみながら描いていく積もり。十分なものは書けないが、ここで読んできたいろんな本を参考にしつつ出来るだけ広く深いものを目指してみたい。

 まず、米の対中政策を考えるために、過去日本への対応を見てみることにする。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代があった。アジア新興工業国を率いた日本が、ロックフェラービルなど「アメリカ」を買い漁るなど、米の脅威になった時代のことだ。その時のアメリカは、どう日本に対応したか。ちょうど冷戦が終わった時だったので、アメリカにはこんな議論もあったのであるが。
「年30兆円の軍事予算を半減して、日本の経済力に対抗していくべきだ」

 が、アメリカはそうならず、軍事費は今日までに倍増をさらに通り過ぎ、物作りでも日本や、次いで中国に敗れてきた。当時は、金融による世界(の会社などの)征服で対応できるだろうという考え方もあったのだろうが、日本への金融による経済的征服は一定進んでも、中国への侵出は今やまったく予定通りに行かなかったと思い知ったのだろう。
 この時の米の日本政策の「二つの柱」をも、元外務省国際情報局長・孫崎享は以下文中で語っている。2013年1月6日の拙稿、孫崎著作の抜粋などで示してみる。


【 ①(民主党)新政権発足直前の問題発言からたった7日で秘書の逮捕
 
 以下は、孫崎の著作「アメリカに潰された政治家たち」からの抜粋を中心として進むが、事の起こりは民主党新政権09年9月発足前の小沢の発言であったと言う。夏の総選挙を控えた2月24日、強気になっていた小沢は奈良県でこんなことを記者団に語ったのだ。
『 「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。・・・極東におけるプレゼンスは第七艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う」・・・・この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。(中略 ここに、共同通信のアメリカ関係者の反発発言が細かく紹介されている)・・・発言から1か月も経っていない09年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのである。』
 僕は、こういうことが書ける所に、この著者のアンテナの鋭さを見たいと思う。「この発言は危ないぞ」という認識力が国際情報部門責任者を務めてきた人らしいと。ちなみに、僕がいままでも紹介してきた孫崎の持論「アメリカの虎の尾2本」(「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」とはアメリカの日本への2本の”虎の尾”だと、孫先は語っている)のうちの一方を、小沢の発言が踏んだということになるのである。発言と秘書逮捕との間隔も、孫崎が言うように「発言から1か月も経っていない」どころか、たった7日目のことではないか。それも政権交代が噂された超微妙な時期の、次期首相を噂された人物の発言とその秘書逮捕となのである。

 さて今振り返れば、この発言と秘書逮捕によって民主党初代小沢内閣の目が消えたわけである。日本政界にとっては、新政権の話題性も相まって戦後ちょっとないような大変な出来事だったと言えるのではないか。問題の疑惑というのがまた、3年以上も前の話だ。まるで、彼のアラを見つけ出し、取っておいて、このときとばかりに告発すると、まるで首相の目をなくするための「予防拘禁」のようなものに見えないか。挙げ句の果てが、今日現在までずるずると小沢を引っ張り続けるなどあらゆる手を尽くしても、有罪にできなかったと言うおまけまでついた話である。米CIA得意の手法の一つなのであろうか。

②反撃に出た小沢
 
 孫崎はこう語り継いでいく。
『 ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます 』
 この反撃部分は全文抜粋しておく。外務省最高の情報責任者であった孫崎が「アメリカの2本の虎の尾」と見てきたものを相次いで踏み越えていこうとした小沢が、今の僕には痛快この上なく見えるからだ。
『 鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。
 鳩山首相については次項で述べますが、沖縄の米軍基地を「最低でも県外」に移設することを宣言し、実行に移そうとします。
 しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの”虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです 』


③僕の感想

 僕の感想を少々。小沢は合理的なだけに考えすぎて、敵を見誤ったのだと思う。戦後半世紀の冷戦体制が終わってもこれまでの軍事力以上のものを世界に持ち続けているというアメリカの不条理な意図をば、普通の人間の判断力で解釈しすぎたと。僕にはそう思えて仕方ないのである。他方それに加えて、こんな気もする。
 田中角栄はアメリカ、ニクソン大統領にぎりぎり先駆けて日中国交回復をなしたことへの報復としてロッキード事件の憂き目を見た。彼の電撃的な日中国交回復とは、その寸前にこの動きを察知したキッシンジャー国務長官が他国政治家と同席の場所でものすごい呪いの言葉を発して罵倒したもの。このことは、いまやもう有名な話だ。小沢一郎は、師匠角栄のロッキード裁判を全部傍聴したたったひとりの国会議員である。そこで僕はこんな推察もする。小沢が若いころ、すでにこんな決意をしていたのではないかと。いつか力をつけて、日中友好をもっと進めて見せよう。それまではすべて我慢だ。そして47歳で自民党幹事長になった。「まだまだ早い」。50歳を超えた1993年にベストセラーになった「日本改造計画」を世に出しても、まったくアメリカの意向に沿う内容だけだった。そして、新政権確実となって、かつ冷戦後20年近くなったという勇み足から、アメリカの世界戦略をば常識的に判断しすぎたのではなかったか。さらに加えて、日本の検察がここまでアメリカに抱き込まれているとは、内部の者以外には決して分かることではなかったはずだ。孫崎も書いているように『西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米日本大使館の一等書記官として勤務しています』という事実があったとしても。】


 安倍は、文中小沢らの「失敗」から徹底的に学んだということだ。それが現在の「トランプへのご追従」という態度になっているわけである。安倍はこれだけ貧乏国になっても今なお、こう従順であり続けるのだろうか。中国がその為替政策など当時の日本のように対米従順にはならないのは明らかで、日本の中国との貿易のほうが対米貿易よりもはるかに重いものになっているのに。「中国製造2025年」などをめぐる米中衝突こそこうして、当面の世界最先端かつ最大の問題になっている。 


続く
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米、その衰退史と世界政策(4)世界経済の中の日本  文科系

2019年01月04日 14時40分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今回は一つの考え方、参考例として、日本の一つの進路を示しているある本の結論部分だけを要約して、提示する。2017年3月17日の拙稿だが、。

【 「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年1月刊)の要約・書評第5回目、最終回になった。今回は、全4章「勃興するアジア」の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」と最終章「同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵」の要約である。

 東アジアの生産通商状況が世界一の地域激変ぶりを示している。80年代中葉から2000年代中葉にかけて一度、2000年代中葉から後にもう一度。前者は太平洋トライアングルから東アジア・トライアングルへ、後者は「三様の新機軸」という言葉で説明がなされている。

 太平洋トライアングルというのは、日本、東アジア、アメリカの三角関係だ。日本が東アジア(主として韓国、台湾)に資本財、生産財などを輸出してそこの物作りを活発にし、日本、アジアがそろって米国に輸出した時代である。その「日本・アズ・ナンバーワン」の時代が、世紀の終わり20年程でこう換わったと語られる。アジアの生産、消費両方において、アメリカとの関係よりもアジア域内協力・互助の関係が深まったと。最終消費地としてのアメリカの役割がカジノ資本主義・超格差社会化によって縮小して、中国、東南アジアの生産と消費が急増し、東アジア自身が「世界の工場」というだけでなく、「世界の市場」にも変容したと述べるのである。
 例えば日本の東アジアへの輸出依存度を見ると1985年、2000年、2014年にかけて17・7%、29・7%、44・5%と増えた。対して対米国の同じ依存度は、46・5%、29・1%、14・4%と急減である。
 ちなみに、世界3大経済圏(の世界貿易シェア)という見方があるが、東アジアはアメリカを中心とした北米貿易協定をとっくに抜いて、EUのそれに迫っているのである。2015年の世界貿易シェアで言えば、EU5兆3968億ドル、東アジア4兆8250億ドル、北米2兆2934億ドルとあった。

 次にさて、この東アジアが2000年代中葉以降には更にこう発展してきたと語られる。
 東南アジアの生産性向上(従って消費地としても向上したということ)と、中国が主導役に躍り出たこと、および、インド、パキスタンなどの参加である。
 この地域が世界で頭抜けて大きい工場・市場に躍り出ることになった。
 例えば、世界からの直接投資受入額で言えば2013年既に、中国・アセアンの受入額だけで2493・5億ドル、EUの受入額2462・1億ドルを上回っている。

 さて、こういう世界経済の流れを踏まえてこそ、日本のあるべき発展、外交、防衛策も見えてくる。最終章「グローバル化を生き抜く智恵」というのは、そういう意味なのだ。世界経済発展の有り様と東アジア経済の世界的隆盛とを踏まえれば、日本の広義の外交の道はこうあるしかないだろうということだ。
 最初の例として、中国への各国直接投資額が、2011年から2015年にかけてこう換わったと指摘される。増えたのが、韓国、フランス、ドイツ、EU4か国などからの投資額で、それぞれ、58・0%、58・4%、38・0%、24・4%の増加。減ったのがアメリカ(11・8%減)と、日本に至っては49・9%減なのである。

 次に、新たな外交方策として、アジア重視のいろいろが提言される。アジア各国の生産と消費との良循環を作ることを通して得られる様々なものの指摘ということだ。今のアジア各国にはインフラ充実要求もその資金もあるのに日本がこれに消極的であることの愚かさが第一。この広域インフラ投資を進めれば、お互いの潜在的膨張主義を押し留めるという抑止力が働くようになるという成果が第二。こうして、アジアが経済的に結びつくことによって不戦共同体が出来るというのが、最後の意義である。

 さて、この書の結びに当たるのは、こんな二つのテーマだ。英国のEU離脱とは何であり、現在のグローバル化は過去とは違うこういう積極的なものであると。
 英国のEU離脱を引き起こした『(EUの難民)問題はだから、(エマニュエル・トッドが語るような)EUではない。中東戦争の引き金を引いた米欧の軍事介入だ。それを支える米国流“民主化”政策だ』
 そして、現在のグローバル化とはもはや、米英流金融マネーゲームのそれではなく、こういうものだと語られる。
『一方で先進国の不平等を拡大させながらも、他方で先進国と途上国間の不平等を限りなく縮小させているのである』
 】
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米、その衰退史と世界政策(3)自治体と家計の大赤字

2019年01月03日 09時54分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ここまで、米国の物作りの衰退と国家累積赤字の酷さを描いてきた。今回は、標記の自治体と家計の窮状を紹介する。

 まず自治体については、進藤榮一著「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(講談社現代新書 2017年2月29日、第一刷発行)から、僕なりの要約を。

 15年晩秋、久しぶりの訪米で衝撃を受けたことの一つが、全米随一の自動車都市デトロイトの光景だった。
『ミシガン中央駅は、かつて世界一の高さと威容を誇り、米国の物流と人口移動の中心を彩り、「工業超大国」アメリカの偉大さを象徴していた。しかしその駅舎は廃虚と化し、周辺は立ち入り禁止の柵で囲まれている』
 荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
 デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。



 次いで、アメリカの家計の窮状。以下の文章は「マスコミに載らない海外記事」のサイトからの抜粋である。これの出典はオンライン誌「ニュー・イースタン・アウトルック」で、著者はウイリアム・エンダールという地政学者とあった。

『 実際のアメリカ経済状況には、ほとんど言及されていない別の要素もある。アメリカ消費者金融保護局による最近の研究によれば、他の多くの国々と比較して、1世帯当たりの平均収入は名目上高く見えるが、食料や住宅や強制医療保険などの固定費という現実で、新種の貧困が生まれている。調査は、約50%のアメリカ人が、毎月の請求書支払いが困難で、三分の一もが、時に食べ物や、まともな住居や医療のお金が不足していると結論づけている。ある最近の研究は、四人家族の医療費だけでも、年間28,000ドル以上、平均収入の半分もかかると推計している。

 アメリカ国内の厳しい見通しに加え、メディケア保険資金の運営委員会が、信託基金は、8年で枯渇すると発表したばかりだ。社会保障信託基金も、引退する多数の戦後ベビー・ブーマー世代と、払い込む若い労働者数の減少のおかげで、出生率も人口成長も減少しているので、1982年以来、今年初めて赤字に転落する。また、ニュージャージー州は、財政破綻が迫るなか、あらゆる歳出を凍結した。連邦準備制度理事会が金利を上げると、企業と家計の債務不履行の連鎖反応が、あらかじめプログラムされている。

 要するに、アメリカ経済は、わずか1%の富裕層に失血させられ、限界点に至っているのだ。アメリカ株式市場は、十年間の低利資金のおかげで、現在過去最高を享受しているが、アメリカ合州国の根本的な経済的現実は、控え目に言っても、不安定だ。唯一の超大国による世界支配を維持するという点では、権力者にとって、二つの道が開きつつある。戦争か、あるいは2008年のものより酷い新たなグローバル金融危機を引き起こし、危機を世界資本の流れに対する支配を再び取り戻すのに利用するかだ。

 世間的に確立したG7同盟諸国に対する貿易戦争のような戦術を、アメリカ大統領が始めるのを余儀なくされている事実が、窮余の策が予定されていることを示唆している。現実には、戦いこそが、EU、特にドイツの未来なのだ。』


 さて、次回からは、こういう状況からもたらされうる、アメリカの世界政策をご紹介してみたい。今の日本の外交などの政治方向は、アメリカの動向を抜きには何の予測もできないからである。流石に、現保守長期政権も中国への態度を修正し始めたことだし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れまい慰安婦 当時の政府文書二つ    文科系

2019年01月01日 13時32分21秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
【 日本軍慰安婦問題、当時政府の二通達 文科系 2018年08月20日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 このブログでは、日朝関係史、南京虐殺といつも続けて来ましたが、慰安婦問題でもある決定的資料を改めてそのまま再掲しておきましょう。以下の文書には、強制のこともさえ軍自身が以下原文中でこのように認めています。
  『故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ・・・・』

 朝日新聞がガセネタ報道を謝罪してからは、まるでこの問題自体もなかったような情勢になりましたが、あれは朝日のミス。「あれはミスだったが、慰安婦問題は厳然と、かつ大がかりに存在していた」と対処すれば良かったのです。こんな文書も残っているのですから。


【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』】


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リバプール・マンU戦を見た   文科系

2019年01月01日 12時51分29秒 | スポーツ
 昨夜、世界のサッカー雀の間で今話題のクロップ・リヴァプールが、モウリーニョ・マンUに3対1で勝った。シティを押しのけ相変わらずプレミアトップの座を守り続けているのである。このゲームが、今夜NHK衛星第一で観られる!と書いたのが、先月17日。以下こう続けて書いたもの。多少、今日現在の内容追加も加味して書くと・・・。

 『世界サッカー界のちょっと古いナンバー1監督と最新式ナンバー1監督との対決なのだから、興味が尽きないゲームである。と言うと、ペップ・ファンからはこんな抗議があるだろう。「ペップこそナンバーワンだぞ!」。がそこは、直接対決ではクロップが勝っているということで、是非我が説をご理解願いたいもの、と、そう申し上げておく。去年のCL勝利や、今年の直接対決ドローのことを言っている。かくして今年のリバプールはリーグ戦は未だ無敗。

 さて、繫ぎばかりを観て、組織的潰しを観ない日本のサッカーファンには、是非お勧めしたい今夜放映のゲームだ。何せ今のクロップは打って変わって、17ゲームで失点僅か7。これを原動力にして、プレミア無敗で首位を守っているのだ。こういう戦い方は、日本では鹿島、川崎がお得意とするところ。鬼木、大岩などこの両チーム関係者も最も注目しているチーム、ゲームだろう。
 去年CL2位に躍り出たその賞金などを費やしてさらに選手層を厚くし、さらに力を伸ばしているこの世界注目チームのゲームをNHKがBS12時にいつもやってくれるなんて、感謝感激雨あられ!
 
 というゲームの結果がさて、こういうものだった。
 凄まじいゲームだった。まずシュート数で、リバプールが36対6と圧倒。得点は3対1だったが、その1点はリバプールのキーパー・アリソンのミスだろう。

 目立ったのは、リバのプレーがほとんど走りながらのものであること。走っている選手の鼻先にパスを出してボールをゴールに持って行くというような。つまり、ボールの受け方が香川にそっくりなのだ。クロップが香川をトップ下に据えた理由も分かる思いだ。そして、ボールの出し方はこれまた、全員が中村憲剛のよう。足下になんか出さない。走っている鼻先に出す。ちょうど、2010年南アW杯後のパラグアイ戦の香川・憲剛二人の得点のように(2010年9月17日の当ブログエントリーを参照。これの出し方はこうします。右欄外カレンダーの下「バックナンバー」の年月欄で2010年9月をクリックすると、今月分カレンダーがこの月のものに替わるから、その17日をクリックする。すると、エントリー本欄が2010年9月17日のエントリーだけに替わるから、お求めのものをお読み願えます)。

 次にリバプールのプレスも、走って先回りしつつ足を出すというようなもの。これでは相手組織が常に乱され、プレーの精度も悪化する。そもそも、相手は乱された組織で、後手後手に回るから、終始あわてているだけという感じなのである。
 こういうことすべての結果がまず、キープ率で6割以上、シュート数36対6ということである。』


 見終わって、今期の初めにクロップが、選手相手にこう叫んだ意味が分かった思いがした。
 「恐怖感」と書いたパネルを見せて、「今年君たちの相手が、君たちと対戦して抱く感情、気持が、これである」


 これだけの走力を持った選手を集め、選手層も厚くなったからここまでできるのだと思えた。かつて「スペシャルワン」と自認していた名監督モウリーニョの顔面が蒼白になっていた。モウリーニョのみならず世界の監督達が、まさに「六宮の粉黛」顔色無しとなったことであろう。
 クロップ恐るべし。

 とこの後数日で、一時代を画した希代の世界的名監督モウリーニョがマンUを首になった。サッカー監督家業って、厳しいーい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よたよたランナーの手記(241)「好事魔多し」から「雨降って、地固まる」・・  文科系

2019年01月01日 11時24分03秒 | スポーツ
 みなさん、明けましてお目出度うございます。


 さて、前回23日に書いてから、「好事魔多し」から「雨降って、地固まる」を地で行ったような成り行きがあった。

 ここのところ書いてきた走法変更・ピッチ数増(160から170前後へ)で記録は上がって、今年78歳になるこの身が1時間に9・5キロは走れるように復活した。そこで、こんなプランでやってきた。
 低速などで走る日を増やしたりして少し走り込めば、ムラのある心拍数が150以下になって1時間10キロ時が可能になる。まー、外走りなどの距離を増やすことだろう。そして、せめて中2日置きでは走りたい。ランニングウヲッチをきちんと使って知恵を出すことだろうし、そういう知恵はあるはずだ。

 とやっていたら、たちまちこうだ。23日階段70往復、24日外走り7キロの後、25日火曜日辺りから、軽い鈍痛を伴った違和感が右膝外側にある。どうも、ここのところ少々張り切ったその付けらしい。2年ぶり以上の10~11キロ時と慣れないスピードで励んだ分のストレッチ等手当を十分にやらなかったのが原因のようだ。
 ストレッチ、冷やす、マッサージ等に励んだら、ちょっとやわらいできた。激しいトレーニングは相応のクールダウン他に努めねばならぬというのを忘れていた。 というわけで僕にしては近年珍しく、1週間の休養を取った。24日月曜日以来走らず、上に書いた右膝違和感に対処している。休養とストレッチを主として、階段往復と片足連続つま先立ち各30回の補強運動に努めつつ。

 そして、31日、1週間の休養後におそるおそる戸外を走ってみたが、ちゃんと走れた。ゆっくりゆっくりと心がけたが、10キロを超えた。それも後でGPSウオッチを見たら、キロ6分52秒、ストライド86センチと出て、心拍数の高さにはびっくり。平均156なのである。ちなみに、1週間ブランクを置けば、心拍数は増えて当たり前なのだ。

 右膝の痛みの原因を改めて考えてみた。やはり、フォームというか、走るリズムというかが悪いのだ。現象としては左脚の着地時間がちょっと長かった。それで、前に出した右脚に負担が来るフォームになっている。これで、タイムも右膝も悪くなっていたということらしい。現に、最も良い改良法が、こんなことだったのである。それぞれの着地の瞬間に「パッ、パッ、パッ、パッ」と唱えながら走ると、タイムも疲れも減ってくる。そう気付いたのは、大収穫。だって、そうして走っていて時計のキロ・ラップを見ると、時に6分ちょっとになっていて驚く、とか。左脚着地が長い分、タイムも右脚疲労でも損をしていたわけだ。

 多分これは正しい現状分析だろうと思う。これが正しいとすれば、またGPSウオッチの恩恵を受けたわけだ。なにしろ、その都度の心拍数と歩幅、キロラップが分かるのは大きい。走りの性格、良否などがその都度そのまま数字に現れるから、いろんな改善方を思いつくのである。年取ると増える身体各部の弱点を、記憶もフォームも乱れてくる中で「それを瞬時に教えてくれる仲間」。これは貴重なものだなーと改めて思ったことだった。
 このよたよたランナーにも、78歳にして1時間10キロ(復活)が改めて見えた思いだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米、その衰退史と世界政策(2)物作り/税収の減衰  文科系

2019年01月01日 10時11分07秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今回は、その(1)の結論の内、①と②の詳論をする。株主資本主義によって物作りがいかに駄目にされてきたか、および、その結果として国家累積赤字がどう酷くなったかを描き出してみよう。前者の結果後者が起こったということなのだが、先ず結果の方を先に書く。


 アメリカ国家の累積赤字は、GDPの4倍になっているという。米国会計検査院の元院長デイブ・ウォーカーが2015年11月に国の債務額は65兆ドルと発表した。公式に発表されていた当時の数字は18兆ドルということなのだが、「市民や軍人に払い切れていない年金額の18兆5000億ドルを加え、さらに、社会保障、医療費など国の義務的支払い未払い額を加えた場合」という数字である。ウォーカーはこの報告をこう結んでいるという。
『米国人は現実との結びつきを失ってしまう』


 さて次が、こういう米国人の「現実喪失」を招いた、物作りの衰退、その原因である株主資本主義、経済の金融化を描き出してみよう。以下の出典はすべて、中公新書、ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2011年10月初版)である。

 金融化について、ある人の要約を著者がこう紹介する。『国際国内経済で、金融業者、企業の役割や、一般人の金融志向が増していく過程』。この「増していく」の中身は、こういうもの。社会の総所得における金融業者の取り分が増えたこと。貯蓄と企業との関係で金融業者の仲介活動が急増したこと。株主資本主義。政府がこの動向を国際競争力強化の観点から促進してきたこと。

 米企業利益のうち金融利益の割合が、1950年代までは9・5%であったものが急増して、02年には41%と示される。その後非金融業の巻き返しがあってやや減少期があったものの、2010年度第一四半期はまた36%まで来たとあった。サブプライムバブルの膨張・破裂なんのそのということだろう。

 次は、こうなった仕組みとして、金融派生商品の膨張のこと。
 著者は先ず、シカゴ豚肉赤味の先物市場投資額を、急増例として示す。初めの投資総額はその豚肉生産総費用にもみたぬものであったが、これが、生産費用とは無関係に爆発的急増を示すことになる。1966年の先物契約数が8000だったものが、2005年に200万を超えるようになったと。そして、これも含んだ金融派生商品全体のその後の急増ぶりがこう説明される。2004年に197兆ドルだった国際決済銀行残高調査による派生商品店頭売り総額が、2007年には516兆ドルになっていると。この期間こそ、08年に弾けることになったサブプライム・バブルの急膨張期なのである。同じ時期の現物経済世界取引総額とのこんな比較もあった。同じ2007年4月の1日平均金融派生商品契約総額が3・2兆ドルだが、これは世界のこの月の1日実体経済貿易総額(320億ドル)の実に100倍であると。

 これほど多額の金融派生商品の売買は、証券化という技術が生み出したものだ。
 証券化の走りは売買可能な社債だが、『住宅ローンや、消費者金融の証券化、様々な方法で負債を束ね「パッケージ」にして、低リスク・高リスクのトラッシュ(薄片)に多様に切り分けて売る証券や・・』というように進化していった。リスクが大きいほど儲かるときの見返りが大きいという形容が付いた例えばサブプライム債券組込み証券(の暴落)こそ、リーマン破綻の原因になった当の「パッケージ」の一つである。
 そんな金融派生商品の典型、別の一つに、これに掛ける保険、クレディット・デフォルト・スワップ(CDS)という代物がある。この性格について、有名な投資家ジョージ・ソロスが「大量破壊兵器」と語っているとして、こう紹介される。
『ゼネラル・モータースなどの倒産を考えよ。その社債の持ち主の多くにとって、GMの再編より、倒産した場合の儲けの方が大きかった。人の生命がかかった保険の持ち主に、同時にその人を打ちのめす免許を持たせるようなものだ』
 まさに「(会社再建よりも)打ちのめした方が儲かる」というCDSの実際が、投資銀行リーマン・ブラザースの倒産でも、見事に示された。倒産時のリーマン社債発行残高は1,559億ドルだったにもかかわらず、その社債へのCDS発行銀行の債務総額は4,000億ドルだったのである。社債を実際に持っている者の保険と言うよりも、単なるギャンブルとしての約束事だけの保険のほうが2・5も大きかったということになる。約束事だけへの保険ならば、競輪競馬に賭けるようなもので、無限に広がっていく理屈になる。

 こうして、こういうギャンブル市場がどんどん膨張していった。政府も国際競争力強化と銘打って証券文化を大いに奨励した事も預かって。各国年金基金の自由参入、確定拠出年金・・・。これらにともなって、機関投資家の上場企業株式所有シェアがどんどん増えていく。1960年アメリカで12%であったこのシェアが、90年には45%、05年61%と。そして、彼らの発言力、利益こそ企業の全てとなっていった。

「経営者資本主義から投資家資本主義へ」

そういう、大転換英米圏で起こり、日本はこれを後追いしていると語られる。
 この大転換の目に見えた中身は語るまでもないだろう。企業から「金融市場への支払い」が、その「利益+減価償却」費用とされたキャッシュ・フロー全体に占める割合の急増。アメリカを例に取ると、1960年代前半がこの平均20%、70年代は30%、1984年以降は特に加速して1990年には75%に至ったとあった。
 彼らの忠実な番犬になりえた社長は彼らの「仲間」として莫大なボーナスをもらうが、「企業の社会的責任。特に従業員とその家族、地域への・・」などという考えの持ち主は、遺物になったのである。こうして、米(番犬)経営者の年収は、一般社員の何倍になったか。1980年には20~30倍であったものが、最近では彼の年金掛け金分を含んで475倍平均になっている。その内訳で最も多いのは、年当初の経営者契約の達成に関わるボーナス分である。全米の企業経営者がこうして、番犬ならぬ馬車馬と化したわけだ。

「証券文化」という表現には、以上全てが含意されてあるということだ。企業文化、社長論・労働者論、その「社会的責任」論、「地域貢献」論、「政治家とは」、「政府とは・・?」 「教育、大学とは、学者とは・・?」、そして、マスコミの風潮・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする