Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

昭和 40 年代の反原発

2011-04-22 13:45:44 | 科学
昭和 40 年代中期には大学院生で.原発反対と叫んでいた.

それまでは,原子力の軍事利用は ×,平和利用は ○ と言うことになっていた.どっちも × と言い始めたのは画期的だった.しかし今思えばあまりに観念的であった.原発が事故を起こすことは自明と思えたが,それが明日か・何十年先なのか,分からない.反対運動家は気が長くなければならない.この点でも自分は落第だ.
ずーっと反対していれば偉かったのだが,毎月給料をもらえる安定した生活に憧れて脱落してしまった.中退という名誉 ? だけが残った.
おまけに,その後電気文明を享受しているのだから,何も言う資格がない.

今回の事故は歴史的必然だった.推進派もそれには同意するだろう.現在の東電の幹部が反省しているとは思えないか,なぜ自分が偉くなったときに津波が来たのか ! とぼやいているのは間違いない.

今では,原発の電力が日本では 3 割.CO2 問題で火力発電も縮小しなけれはならない.
原発に反対するなら,電気文明脱却を宣言する覚悟が必要.原発が作った電力を浪費するのは,癌になると知りながら酒を飲み続けるようなもの.個人としてはそう言う生き方も有りだろうが,子孫のことを考えたらはなしは違ってくるはずだ.

脱電気文明 - こちとらは唱和 20 年代を体験しているが,若い人は心許ない.デモが一時の流行で終わらないことを祈りたい.



このバナーは「NPO 法人 高木仁三郎市民科学基金」.高木さんはあのころは東大核研の助手だったが,その後都立大助教授,そこを退職されてからは市民運動に専念された.原子力資料情報室も健在.
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