おおかたの方の記憶にはないと思うが,左は政府が接触8割減を呼びかけたときのグラフである.
この図は以下のように描かれたと推察する.S を未感染者数,I を感染しており他を感染させる者の数,R を回復し抗体を持つ者と亡くなった者の数,β を感染率,γ を回復率としたとき,これらが SIR 方程式
dS(t)/dt = -βS(t)I(t)
dI(t)/dt = βS(t)I(t) - γI(t)
dR(t)/dt=γI(t)
に従うとする.
左のグラフは第2式,あるいはそこにもっと近似を加えた dI(t)/dt = [βS(0) - γ] I(t) によるものであろう.この方程式群に従うとすれば,新規感染者数はその右のグラフのように,何もしなければ青線,接触を2割減らして8割とすれば赤点線のようにやや小さな山を経て減少,接触を8割減らして2割だけ残せば赤実線のように単調に現象する.
もちろん事態は絵に描いたようには進まない.現実では8割減に近づくのに半月以上かかったし,新規感染者の数が明らかになるまでにも何日かかかる.もっともらしいカーブを描くようにプログラムをいじるのは簡単だが,ここではやめておこう.とにかく現実でも新規感染者数は自粛要請後,小さな山を越えてから確かに減少に向かっているらしい.
8割減から30日後に自粛を全廃して接触を10割に戻すと,SIR 方程式ではどんな計算結果になるだろうか.下左の点線である.30日遅れで,自粛しなかったときの山を登るのに近い.ただし山の高さは何割か低くなる.
この結果は自明.第2式を
dI(t)/dt = [βS(t) - γ] I(t)
と書き直すと,I(t) が減少する条件は
βS(t) - γ < 0
である.つまり βS(t) を小さくしなければならない.自粛令はβを小さくするが,S(t) はほとんど小さくしない ! むしろ S(t) をそのままの数に温存することが眼目であった.従ってβをもとに戻せば βS(t) - γ 値は自粛令以前とほとんど変わらない.山を迎えるのは当然である.このモデルでは S(t) が十分小さくなるまで,すなわちある程度の人数が抗体を持つまで,コロナ禍は収束しない.
ただし全人口が感染し抗体を持つまで収束しないわけではない.収束までに人口の何割が感染しないで済むかを計算したのが右上の図である.ここでは (接触自粛などの) 対策を打たないと仮定している.横軸は (正確ではないが) ひとりから何人に感染するかという比率と思っていただきたい.横軸が 10 であれば感染しない人は1万人に1人もいない.しかし横軸が2であれば2割程度が感染を免れる.
現実的はもっと楽観的かもしれない.我が国で感染はおおやけの統計よりも少なくとも 1-2 桁は大きく広まっているらしい.とすれば S(t) は自粛令発令時よりもはるかに小さいはずである.また,この計算では接触が一挙に10割に復帰したとしているが,市民が自制するので,実際はこの復帰もゆるやかで, β ももっと小さい.βS(t) の値は自粛以前より小さく,山は現れるとしてももっと低いだろう.
もちろん1組の連立方程式で日本全土をカバーするのは無理.東京や大阪では S(t) が十分小さくなっているかもしれないが,地方はこれからだろう.
下は 5月1日 政府の専門家会議で出された予想図で,最初の山は自粛令が行き渡らないうちに現れたものである.第2の山は上・左の図の点線の山に対応する.まあこんなものかもしれない.でも説明がトップの左の図と整合しないのはいただけない.
第2の山があらわれたとしても,断じてそれは,国民の自粛が不十分であったためではない.政府の専門家会議の目的は,医療崩壊が起きないことであり,外出自粛要請は時間稼ぎでしかなかったのだ.裏にあるのは,時間が経てば S(t) が小さくなり (抗体を持つ人が増え),医療設備・人員は充実し,うまくいけば特効薬やワクチンができるだろうという,ある意味でははかない願望である.それが悪いとも言えないが,第2の山が現れたら,また自粛令を出せばいいと言う,へんな自信も持たれたかもしれない.
新規感染者数のグラフに現れる第1,第2..の山を低くすれば,解決はそれだけ先延ばしになることだけは確実だ.何度も繰り返すが日本流コロナ対策は時間稼ぎの一手である.9月新学期もオリンピックも怪しいんじゃないかな...