【創価学会】:池田大作氏死去、三色旗前にすすり泣く男性も…信濃町近くの住民「幻の人」「学会の今後は?」
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【創価学会】:池田大作氏死去、三色旗前にすすり泣く男性も…信濃町近くの住民「幻の人」「学会の今後は?」
創価学会名誉会長の池田大作氏(95)の死去が明らかになった18日、学会総本部がある東京・信濃町や周辺では悼む声が聞かれた。宗教の専門家らは池田氏の発信力などを評価する一方、「様々な見方がある」との指摘もあった。
創価学会「千葉文化友好祭」満場の拍手に迎えられ入場する池田大作名誉会長(1991年11月、千葉市内で)
18日は創価学会の創立記念日にあたり、多くの会員が信濃町周辺を訪れていた。突然の 訃報 に、総本部に掲げられた三色旗をじっと見つめてすすり泣くスーツ姿の男性や、涙を浮かべて抱き合う女性たちの姿がみられた。
ニュースで 訃報 を知って駆けつけたという神奈川県大和市の音楽教室講師の女性(63)は「いつかこの時が来るだろうと覚悟はしていた」と話した。
女性は大学生の頃、合唱団員として池田氏が参加する会合に出席したことがあった。「こんにちは」とあいさつすると、笑顔で「学業も頑張ってください」と声をかけられたという。「優しくて親しみのある人だった」と回想した。
著書などによると、池田氏は東京都大田区ののり製造業者の五男。14歳から軍需工場で働き、戦後、創価学会に入会した。1960年に第3代会長に就任し、79年に名誉会長となるまでに会員数を5倍以上に増やしたが、組織拡大の過程で「(会員が)強引に信仰を押しつけている」との批判を受けることもあった。
信濃町駅近くに住む男性(75)は、学会の拡大を目の当たりにしてきた。「どんどん施設が増えていった。これだけ組織を大きくしたのは純粋にすごいと思うが、絶対的なトップを失って学会は今後どうなっていくのだろう」と口にした。
近所の主婦(77)は「一度も会ったことがなく、幻の人というイメージ。近所には学会の関係者がたくさんおり、選挙のたびに公明党候補者への投票を依頼されたことの印象が強い」と話した。
池田氏が創立した創価大(東京都八王子市)でも、悼む声が聞かれた。4年生の女性(22)は「会ったことはないけれども、身近に感じていた。(池田氏の)言葉から受け継いだ思いを今後の励みにしたい」と語った。
◆宗教学者「影響力の大きさ類例ない」
池田氏が創価学会の第3代会長に就任した1960年は、日本の高度経済成長の時代にあたる。創価大の中野毅名誉教授(宗教社会学)によると、地方から都市に働きに出てきた労働者らが慣れない生活の中で助け合う場として組織を拡大し、そのかじ取りを担ったのが池田氏だった。
池田氏は各国の文化的指導者らと対話して平和主義を唱えるなど、宗教家として独自の方向性を打ち出した。大谷栄一・佛教大教授(宗教社会学)は75年に海外で活動する「創価学会インタナショナル(SGI)」を作ったことを挙げ、「日本宗教のグローバル化を進めた」と話す。
日本宗教学会の元会長、島薗進・東京大名誉教授(宗教学)は池田氏について、「教団を現代社会に適応できるよう導き、発信力があった」と評する。「影響力の大きさという点で類例がない。一方、攻撃的な側面もあり、対抗勢力との対立を生んだ」と語った。
「創価学会秘史」(講談社)の著書があるジャーナリストの高橋篤史さん(54)は「巨大組織を作り上げ、歴史に名を残す人物であることは間違いない」としつつ、「池田氏の下で、公明党の票集めが重視されるようになったと言われるなど、その評価については様々な見方がある」と指摘した。
元稿:讀賣新聞社 主要ニュース 社会 【訃報・創価学会名誉会長の池田大作氏が死去】 2023年11月18日 23:40:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。