【卓上四季】:海の向こうの学び
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季】:海の向こうの学び
渋沢栄一が初の外国訪問でパリに到着した1867年3月、逆回りの太平洋航路で米国入りしていた別の使節団がいた。福沢諭吉らの一行だ。米側と契約した軍艦の催促などが目的だった
▼通訳として同行した津田仙は、3カ月以上にわたる各地の見聞で「四民平等尊卑の別ない」ことと「農家の富裕」を目の当たりにする(「津田仙評伝」草風館)
▼農業こそが国家の幸福に必要な事業であり、農家の地位を高めなければならないと心に刻む。福沢が軍備増強を唱えたのに対し、津田は帰国後、農業の近代化によって民の富を増やすことが国を豊かにすると説いた
▼いま気軽に食せる西洋野菜や果物の多くは、津田が種子を取り寄せ、栽培法を普及させた。アスパラガス、キャベツ、イチゴ…数限りない。北海道はカリフォルニアのようになれると予言し、輸出の重要性を訴えた
▼女性教育にも熱心だった。6歳で渡米させた娘の梅子は後に津田塾大を創設する。仙に限らず異国での知見は人生の大きな糧となる
▼文部科学省によると、長期の日本人海外留学者は2004年をピークに減少し、ここ10年は増えていない。経済協力開発機構(OECD)などの統計が示しているという。内向き志向が強まっているのか、留学支援体制が不十分なのか。春は旅立ちの季節。コロナ禍で留学の障害は少なくないが、海の向こうでの学びにも目を向けたい。2022・3・6
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2022年03月06日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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