【王将社長射殺事件】:「黒幕と疑われた男の告白(下)」 私を犯人扱いした京都府警
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【王将社長射殺事件】:「黒幕と疑われた男の告白(下)」 私を犯人扱いした京都府警
2013年に起きた「餃子の王将」の大東(おおひがし)隆行社長射殺事件。この事件を受け、経営母体である「王将フードサービス」の第三者委員会は、約260億円の資金がA氏に流出し、約170億円が未回収であるとの「調査報告書」を公表した。
餃子の王将(
)このA氏こそ、部落解放同盟のドン、故・上杉佐一郎氏の異母弟にして、美空ひばりの最後の後見人だった上杉昌也氏(72)である。不動産業やゴルフ場経営などを手掛けている氏は、京都府警からの事情聴取を受けたほか、殺人容疑で会社を家宅捜索もされている。これに対し、
「なぜ、私が“人殺し”の汚名を着せられねばならないのか」
と、上杉氏は事件への関与を否定する。報告書の“約170億円が未回収”についても、「話の根拠もさっぱり理解できません」というのだ。
■債権放棄
「(170億円の)内訳を見ると、『王将』の子会社である『キングランド』から、私が185億円を借金し、95億4000万円は返済したものの、89億6000万円の債務が残ったなどとされている。
さらに、ゴルフ場のホテルを31億円で『王将』に売却し、のちに8億円足らずで買い戻したとか、雲仙の旅館も20億円で売りつけながら3億円弱で買い戻したりと、まるで不当な取引を行ったかのようです。
それらの数字にはまったく身に覚えがありませんが、ただ、取引自体は、私が『王将』から50億円の融資を受けたことが発端になっています。
私が福岡でゴルフ場をオープンしてからしばらく経ち、95年に住専問題が起こりました。私の経営する会社も、住専の大口融資先でした。そのため、中坊公平弁護士率いる住管機構から債権回収のターゲットにされた。98年の4月13日から3日間、住管機構の職員約200人が大挙して押しかけてきて、特別調査を受けました。挙げ句、その月の27日までに50億円の返済を要求された。猶予はわずか2週間しかなく、私はギブアップする覚悟を決めました。
たまたま、朝雄さん(※『王将』創業者・加藤朝雄氏)の次男で、『王将』の財務担当の専務だった欣吾さんに、『もう、お手上げですよ』と、電話で愚痴をこぼした。当時、社長は長男の潔さんでした。
すると、2日後、欣吾さんから『それくらいだったら、うちでなんとかします』と、50億円を用立ててくれたのです。まさしく、地獄に仏とはこのことでした。
■食い違う債務額
その50億円で、住管機構との和解が成立すると、福岡の本社ビルを担保に銀行から借金をしたり、持っていた土地を売却したりして、40億円を調達し、『王将』に返済しました。
それでも、未だ10億円の債務が残っていましたが、経営が軌道に乗るまでの運転資金として、追加で3億円とか5億円を借り、それを返して、再び借りたりということを繰り返していました。ところが、そのうちに借金を返しても、『王将』が物件を担保から外してくれず、トラブルになりました。
そのころ、わざわざ欣吾さんが京都から福岡の会社まで来て、私の留守中に『社長の了解は得ているから』と従業員にウソをつき、怪しげな書類にうちの社判をつかせるようなことも何度かあった。
そして、最終的に、私の債務額でかなりの食い違いが出てくるのです。
05年の段階で、『王将』は私に対し、90億円以上を貸し付け、そのうち返済額は40数億円に過ぎないと主張してきました。
経営悪化の責任を取って、潔さんも欣吾さんもすでに『王将』を去っていた。私は、潔さんのあとに社長に就いた大東さんと何度も話し合いの機会を持ちました。
私としては40数億円という数字には納得いきませんでしたが、あと5億円を支払えば残りは債権放棄するからということで、『王将』との和解に応じました。『王将』は、東証1部への鞍替えを準備していたため、いつまでも債権を引き摺るわけにはいかないという事情があった。
その結果、私が負った債務は約40億円であると、双方で確認し合い、それは文書にも残されているのです」
■責任転嫁
それなのに、なぜ、いまになって、約260億円というケタ違いの金額が私に流出したことになっているのか。
私には、『王将』の内情が火の車だったことに理由があったと思えてならない。
欣吾さんが専務だった当時、『王将』は商工ローン大手の日栄の株を大量購入したり、不動産投資にも積極的に手を出し、大赤字を抱えてしまったことがある。
終いには、ロンドン市場で50億円もの外債を発行したものの、デフォルト寸前にまでなっていた。
『王将』の経営陣は、損失の穴埋めのために、経理上、それを私に押し付ける格好を取ったのではないでしょうか。私との取引で損失が発生したことにすれば、会社内部で誰からも異論を唱えられないと責任逃れをしたに違いないのです。
私が上杉佐一郎の弟だから、アンタッチャブルだという誤った偶像化がされてしまったのかもしれません。
第三者委員会による『調査報告書』は、すでに13年に実施されていた社内調査を叩き台にしていると聞いています。その社内調査は、東証1部上場への準備で、辻褄合わせに行われたに過ぎないものでした。本来、それは、公表されるべきではなかった。ところが、大東さんの事件が起き、私に責任転嫁をしたままの調査結果が明るみに出てしまった。
そのせいで、私は白い目で見られることになったのです。
■なぜ、社長は狙われたのか
犯人扱いした京都府警の刑事は、私のアリバイを聞いてくることもありませんでしたが、大東さんの事件が起こった13年12月19日の早朝は、福岡の会社の寮で寝ていました。つけっ放しのテレビから事件の一報が流れ、私がすぐに『王将』の親しかった役員に電話を入れても、取り込み中でほとんど話はできなかった。
葬儀には顔を出そうとしましたが、うちの京都の従業員から『騒ぎになっているから、社長は行かん方がいい』と言われたこともあり、断念しました。
なぜ、大東さんが狙われなければならなかったのか。
私なりに、京都府警の刑事には知っていることを伝えました。1つは、大東さんが陣頭指揮を執り、『王将』が05年から始めた中国・大連への進出です。すでに、『餃子の王将』という商標権を中国企業に取られている問題があったにもかかわらず、なぜか、6店舗もオープンさせました。しかし、結局のところ、撤退せざるを得なくなったのは、大東さんが現地で経営を任せていた中国人女性やその親族と大揉めになったからです。
他に、ハワイへの社員旅行に連れて行かれた取引業者が、朝雄さんの妻つまり大東さんの姉からエルメスのバッグをねだられた問題もあった。取引業者がそれを断ると、『王将』からあっさり切られたのです。生活に困った取引業者は飛び降り自殺をしました。
それらの事実を伝えても、刑事の反応はいま一つでしたが……」
京都府警捜査1課の刑事は、上杉氏への事情聴取の際、「あんた、同和の人ですやん。同和即反社ですよ」など、氏を挑発するような言葉を繰り返したという。京都府警に“同和即反社”などの発言があったのかを訊ねると、「誰を事情聴取したかも含め、お答えできません」(広報)。また、王将フードサービスは、「調査報告書」がデタラメであるとの上杉氏の指摘に、「第三者委員会による調査結果に基づく報告書について、コメントする立場にありません」と言うのみ。
「反論の機会も与えられないままに犯人だと決めつけられ、私は社会的信用を失いました。そのため、資金繰りにも窮し、現在、経営するゴルフ場が乗っ取られる危機に瀕しています。
この汚名をそそぐには、事件解決を待つよりほかないのです」
特集「『餃子の王将』社長殺人の黒幕と疑われた『美空ひばり』最後の後見人の告白」より
元稿:新潮社 主要出版物 週刊新潮 【デイリー新潮・DAILY SHINCHO】 2016年09月28日 07:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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