会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都一人旅第5日目ー 2 大覚寺

2010-01-12 18:15:26 | 旅行
1月12日(火) 
西日本から荒れた天気  
 
 
 昨日の暖かさは一日で終わった。午後からは冷え込んできて雪となった。あまり積もらなければいいが・・・・。

 正月に少し硬い物を食べたら前歯の1本がぐらっとした。歯茎が弱くなっている。抜いてしまおうかなと歯医者に診てもらった。接着剤とプラスチックで補強すれば当分大丈夫と言われた。80歳で20本の“80 20”表彰をねらっている重ちゃんとしてはほっと一安心。自分の歯で食事が長くできるように歯磨きをしっかりしていこうと思った。


11日(金)    大覚寺

 映画村はあまり魅力がなかったので見学をさっと切り上げて外に出る。西芳寺の参観の時刻まではまだ十分時間があった。大覚寺へ行くことにした。バス時刻は30分も待たなければならない。雨の中しばらく待っていると流しのタクシーが来た。大覚寺まで乗る。(1120円)

 『大覚寺は、平安時代の嵯峨天皇の離宮を皇女・正子内親王が仏寺に改めた。南北朝時代には南朝の御所となり、嵯峨御所と呼ばれた。宸殿(しんでん)は宮中の紫宸殿を移したもので狩野三楽筆の襖絵「牡丹図」「紅白梅図」が残る。五大堂の観月台から平安時代の名残を留める「大沢池」が望める。』
はずであったが、当日映画の撮影があり、宸殿の中や前庭には入れなかった。
大沢池の眺めも雨降りで池の北にある多宝塔や名古曾の滝もみえなかった。
残念であるがしかたがない。




大覚寺は本堂も本尊もない寺?・・・・・・・。
 この寺はもともと嵯峨天皇の離宮であり、宸殿は内裏から移され、他の建物も宮殿様式で造られているため、大沢池の風景とあいまって、寺の匂いのしない、明るい印象をもつ。五大明王とそれを安置する五大堂が、本尊と本堂に擬せられるが、元来この寺は般若心経信仰の寺で、嵯峨天皇以下5天皇の宸筆般若心経が納められ、その心経がいわば本尊として扱われている珍しい寺である。ちなみに大覚寺は華道嵯峨流家元という、特異な性格をもつ。
下の写真は、嵯峨天皇以下5天皇の宸筆般若心経が納められたお堂で勅封心経殿です。大正14年に再建された。

勅封心経殿の周りのお庭はよく手入れされ松が美しい。華道家元の一面をみた思いがする。